第85話
目を開けると薄暗い天井が見えた。手が後ろで縛られているが、それ以外は自由に動くことを確認する。
「あら、起きたの?」
聞こえてきた声に一瞬戸惑ったが、気を失う前のことを思い出して声の主を睨んだ。
「ミルさん……なんで」
なんで、とは聞いたものの、理由など分かり切っている。
ミルはきょとんとした後、ニッコリ笑った。
「あなたが邪魔だから?」
「……ですよねぇ」
ため息をつけばミルはピクリと眉を動かした。怯える様子のない私に苛立っているようだ。私の髪の毛を掴み上げると上品さに欠ける舌打ちをした。
「あなたが出てこなければ、イェナは……!」
「……私がいなくても、イェナ様はあなたのものにはならないと思いますけど」
「は!?」
原作──“私がいないこの世界”を知っている私には分かる。私の立ち位置がどれだけ異質であり得ないことなのか。だから私が今いるこの場所は、誰にも代わることのない唯一のもの。
「だって、私よりずっと付き合いは長いんでしょ?なら私が出てくる前にどうにでもできたはずじゃないですか。でもできなかった。イェナ様があなたを好きにならなかったのは私のせいじゃない」
「黙りなさいっ!!」
髪を掴まれたまま頬を平手打ちされる。いくらモブキャラでもこの大会に出るほどには力がある。激弱な私にはかなり痛いが、そんな素振りを見せなかったのはせめてもの強がりだった。
「イェナはあなたのために、どこまでできるのかしらね?」
鼻で笑ったミルはイェナが私をどれだけ大切にしてくれているか知らないようだ。自意識過剰だと言われてもいい。私が一番身をもって実感しているのだから。
「自分の命とあなたの命──どちらを選ぶかしら」
「──そんなの」
あれほど強いイェナが、どちらかを選ばなければいけない場面に出くわした時──一体何を選択するのかなんて、私には分からない。それでも、彼が何を選んでも私は。
「──イェナ様に私の方なんて選ばせません」
私は彼を生かすためにここへ来た。未来を変えることになっても。もしも私にそれ相応のペナルティが待っていたとしても。
『──フランさん、もしも異世界から来た者が未来を変えたとしたら……どんな副作用が起こるか分かりますか』
この大会について来ることを決めてすぐ、私はフランの元へと出向いた。私の“もしも”の話に驚いて目を見開いた後、困ったように眉を下げたフラン。
『……確信を持って言えることは何一つありません。ですが、ある滅びた小国の文献には“決して未来をねじ曲げてはいけない”とあります。私ももちろん同感です』
『そう、ですよね』
最後に彼が付け足したのは、私への警告なのだろう。何を考えているか見透かされているようだった。
『“未来を変えし者はその過去が消え去るだろう”』
『え……?』
冷たく放たれた言葉。
『一説では未来を変えた者の過去──記憶が全てなくなると言われています』
『記憶が……』
あるべき未来を壊した罪。それを償うには自らの過去を犠牲にする。
怖くない、と言ったら嘘だ。でも、イェナのいない未来と私の過去。天秤にかけてどちらが大切かなんて考えなくても分かる。
『……あまり変なことは考えないように。確実に言えることは、未来を変えてもいいことなど一つもないということだけです』
哀れむように細められた目。その視線が痛かった。
いたたまれなくなって、その日はフランに礼を言ってすぐにお暇した。
──だからイェナには自分を選んでもらう。
この大会が終われば私は過去を失うかもしれないのだから、そんな女よりも自分自身を選んでもらう。そのためにはどんなことだってしよう。そう決めて強くミルを見つめ返した。
「──明日が楽しみね」
口の端を吊り上げて笑うと、小さく粗末な部屋の中に私を一人残し、ミルは出て行った。
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