はじめてのおつかい

第41話

 今日はこの世界に来て初めてのおつかいだった。


 もちろんイェナは納得なんてせず、文句を言っていたが付き添いがアンであることを告げると渋々了承してくれた。……というのは建前で、本当に一番効果的だったのは「イェナ様にお礼の気持ちを込めてプレゼントを買いたいと思ったのに……」だったと思う。その言葉を聞いてすぐ「怪我なんてして帰ってきたら一生屋敷から出さないから」と素晴らしい脅し文句と共に了承を得たのだから。


 暗殺一家に拾ってもらっているというのに、律義にも給料はきちんと振り込まれていた。しかも普通に働くよりもずっと多額で目玉が飛び出たくらいだ。だけどあの屋敷にいる以上必要なものは揃っているし、私も物欲なんてものはなくて給料を使うなんてことはなかった。


 だからイェナにプレゼントを買おうというのは外出する理由としてだけではなく、本当に思っていたこと。“初任給で両親にプレゼントをあげる”という習わしを思い出したわけではないが──イェナは両親ではないけれど、紛れもなく感謝を伝えたい人なのだから。


「──じゃあ私は隣のお店でいるから、何かあったらすぐに言って?」

「はい!」

 アンとそんなやり取りをして目を付けたお店へと足を踏み入れる。イェナに何をあげるかは悩みに悩んで──仕事の邪魔にならないデザインの腕時計をあげることにした。アンに相談したら彼が以前時計に興味を示していたという。「あってもいいけど種類が多くて選ぶの面倒くさいからいいや」と言っていたのだそう。それを聞いて即決した。彼の腕にそれらしきものがついているのは未だ見たことがないからだ。そしてアンに付き添ってもらって腕時計が置いてあるお店に連れてきてもらったのだ。


 ショーケースの中に入った腕時計を見て、シンプルで激しい動きにも邪魔にならないものをお店の人と選ぶ。血で錆びたり汚れたりしないものはどれですか──なんて、聞けやしなかったけれど。


 優柔不断な私でも思ったよりもすんなり決まったのは店員さんの素晴らしい接客のおかげだろう。腕時計の入った紙袋を見て頭を下げると、お店を出てアンのいる場所へと足を向けた。



「──あれ、ナツじゃん」

 お店から出て数歩歩けば、男の人の声に呼び止められた。この世界で私を知っているのはマヴロス家の人とアロだけだ。そしてこのアニメ声優のように耳にスッと馴染む声は──。

「ノエン様!?」

 振り返った先にいたのは、マヴロス家を出て行ってから会うことのなかったノエンだった。彼の隣にはもう紙面上では何度も見た姿があって目を見開く。


「誰だよこの姉ちゃん」

 ヤンキーチックな見た目とは裏腹にその純粋な瞳をキラキラさせて興味津々で私の顔を覗き込んだのは──イウリス。この物語の主人公だ。


「うちの──てか、兄貴の婚約者」

 ノエンが答えると、イウリスは驚愕の表情を浮かべる。

「こいつが“あの”ナツ?あの兄貴、変人だとは思ったが婚約者にメイド服着させるとか変態じゃねーか……」


 “あの”という言葉には引っかかったものの、イェナへのイメージがおかしな方向へ行ってしまいそうなのを慌てて手を振って否定した。

「ち、違います!私は婚約者である前にマヴロス家の使用人ですから!」


「メイドに手ぇ出したのか……」

「違います!ほぼ同時進行でした!」


 だがそれもあまり意味を成さないくらいに、私の婚約者には“変人”のイメージが染み込んでしまっているようだ。……仕方がない、としか言えないけれど。


「……なんかよくわかんねぇけど。あの変人の婚約者って──お前も相当変人なんだな」

 曇りのない瞳に思わず照れてしまいそうになったけれど、貶されているのだと理解して慌てて抗議した。


「ぷっ、確かに。“変な女”ではあるわ」

 ノエンが口元に手を当てて笑いを漏らす。最初は少し警戒していたイウリスだったけれど、ノエンの様子から私が害のない人物だと認めたようで改めて「よろしくな!」と子どものように無邪気な、満面の笑みを見せてくれた。

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