第40話

 泣き疲れて眠るナツをイェナのベッドに寝かせ、自らはそのそばに腰掛けた。仕事は終わったというのに何故か帰路まで付いて来たアロを睨む。

「これからはナツを連れてくるな。毎回気絶されたら迷惑だろ」

 ナツを寝かせ布団を掛けるところまで、優しさをふんだんに詰め込んだかのようなイェナの手つきを見てアロは微笑んでいた。


「……気絶するとは確かに予想外だったね」

 少しは反省でもしたのか、アロが珍しく謝罪した。ナツの“激弱”という言葉をようやく理解したのだろう。


「次同じ事したらもうお前とは組まない」

「それは困るなあ」

 何度も共に依頼をこなし、幾度となくイェナを揶揄ってきたが彼が感情を表すことはほとんどなかった。苛立つ様子を見せることはあっても、本気で“怒る”という彼の中の感情を見たのは初めてだったのだ。


 そんな会話をしている間にも、ナツの髪を指先でゆっくりと梳かすイェナ。

「相当好きなんだねぇ……」

 ボソッと呟いたセリフも、地獄耳の彼には届いていたようだ。

「好き?オレが?」

 ぴたりと手を止め、アロを見据えると首を傾げる。この男は未だ“好き”という感情を理解していないというのだ。

 あまりの鈍感さに、アロは呆然とした。人の気配や感情に誰よりも敏感な男が、自分の感情にはこうも鈍いのか。


 ──面白い、とアロは思う。

 人間味を帯びた暗殺者のエリートだなんて、これ以上に揶揄い甲斐のある者はいない。


「……じゃあボクがナツの恋人になったら、キミは婚約を解消してね?好きじゃないならできるでしょ」

 愛想のいい笑みを浮かべながら「彼女気に入っちゃった」とナツを見遣る。

「……それはできない。ナツの治癒能力は使えるからね」

 イェナは尤もらしいことを言って拒否するが、アロにはもちろん苦し紛れの言い訳にしか聞こえない。


「じゃあ治癒が必要になったら派遣するよ。能力のためだけに彼女をそばに置いておきたいなら、結婚までしなくてもいいだろう?」

「……それもそうだね」


「じゃあ遠慮なく口説こう。……ボクがナツを抱きしめようがキスしようが、キミには関係のないことなんだろう」

 スッと立ち上がったイェナがまたしても“怒った表情”をあからさまに見せる。殺気を抑え込むようにしているのはナツを起こさないための配慮だろう。


「……アロ、あんまりふざけてると本気で殺るよ?」

 イェナとの付き合いも短くはないが彼がここまで何かに執着を見せるのもまた初めて。面白さを重視して少女漫画を貸したのは正解だったかもしれないと思う。


「ナツが好きなのはオレだから」

 歯の浮くようなセリフも少なからず彼の口から出るようになったのだから。


「人の思いは簡単に変わるよ」

 クスクスと未だ愉快そうに笑うアロ。イェナはナツを一瞥すると「そんなことない」と言いかけて口を噤む。そして代わりに──



「……オレが離さないから大丈夫」


 そうきっぱりと言い放った。


(……それもう“好き”って言ってるようなものなんだけど……。ナツはナツでイェナのこと恋愛対象に見てる、というよりは忠犬って感じだし。イェナにそれが“恋”だって言ってあげてもいいんだけど……それじゃあ面白くないしなァ)


 自身の想像以上に面白く進んでいる展開に、アロはゾクゾクと興奮を覚えながら思案する。


「早く帰って」

 イェナがうんざりだとばかりにアロを自室から追い出す。ピッタリと閉められた扉の向こうで、彼はどんな表情をしているのだろうか。想像するだけでアロは気分を高めさせていくのであった。








【おまけ】


「でもナツのドレス姿も可愛かっただろ?」

「…」

「否定しないんだね」

「うるさい。黙って」


「ボクが選んだんだよ」

「嫌だ。もう二度と着させない」

「どうしてだい?」

「他の男が選んだ服なんて着させるわけないだろ」

「……そんな“当たり前”みたいに言われてもねえ」

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