第24話
「……気持ち悪いの?」
「少し……」
イェナの部屋に着くと、ベッドにそっと降ろされる。本当は横になりたかったけれど、さすがに主人であるイェナのベッドだからと座ったまま気持ちを落ち着けた。
「血とか死体見たことないの?」
「ないです……」
ベッドの下で膝をついて、顔を覗き込んだイェナが心底不思議だと首を傾げる。
「……そう。普通は死体見たら気持ち悪くなるんだ」
この世界での“普通”は分からないが、私にとっての“普通”はあまりにも平和すぎたのだろう。ショッキングな映像であったことは間違いない。
「……オレのこと、怖い?」
探るような瞳。ここで私が「怖い」と言ったなら──彼はどんな反応をしただろうか。
「……初めて人が死ぬ場面を見たものですから……驚いたんです。確かに、あの時のイェナ様は──正直、知らない人のようでした。いつもの優しいイェナ様ではなかったので……」
敢えて、「怖い」という表現は使わなかった。怖いかと聞いた時のイェナの表情が少し寂しそうに見えたから。
「オレが優しい?」
「はい。ナツはイェナ様の優しさのおかげで、ここで楽しく暮らしていけているのですから」
確かに、彼に“優しい”という言葉は不似合いかもしれない。いつだってイェナは“優しさ”とはかけ離れた存在で、私もこの世界の外ではそう思っていたから。
「……やっぱりナツは変だね」
「変でも結構です。イェナ様はナツにとって優しいご主人様ですから」
彼を知っていく度に、“暗殺人形”と呼ばれたイェナの人間らしさが垣間見えた。それを知れば知るほど、怖さなんてなくなっている。
「……今も、怖い?」
「……いえ、今はもう、私の大好きなイェナ様ですよ」
幾分気持ちも落ち着いてきて、笑いかけると安心したのか私の隣に腰を下ろした。
肩と肩がぶつかるほどの距離に驚いていると──
「……い、イェナ様!?」
彼の腕が私の身体に回り、柔らかく抱きしめられた。優しいのに、私が身じろぎしてもその腕が解かれることはない。
「なに、普通はこうしたら落ち着くんでしょ」
抑揚のない声からは感情を読み取れないため、イェナが今何を思っているかなんて想像もできないし、“普通は”という彼の言葉には疑問しか浮かばない。
「どこ情報ですか!」
「……あれ」
イェナが指さしたのは机の上に詰まれた本。あのサイズは、もしかして……。
「……あれって……漫画ですか?」
「うん。少女漫画だってさ」
この世界にも、漫画は存在するのか。まず浮かんだのは、そんなどうでもいい感想だった。
「なぜイェナ様が……」
暗殺一家のエリート長男と少女漫画というあまりにもアンバランスな組み合わせ。イェナがあの無表情で少女漫画を読む姿を想像すると、じわじわと笑いがこみ上げてきそうなのを必死で堪えた。
「知らない。仕事で一緒になった奴に『恋愛ってどういうものか』って聞いたら、あれ読めば分かるって渡された」
イェナの交友関係など知らないけれど……私には一人だけ、心当たりがある。それは原作においても重要なポジションである男。イェナよりもずっと登場シーンだって多いはず。
あの人なら面白がってやりそうなことだ。
イェナ同様敵キャラのため、できるなら会いたくはないが。いつかは会う日がくるのかもしれないと思うと、心の準備ができた。
「……もう落ち着いたんじゃない」
しばらく抱きしめてくれていたイェナが体を離そうとする。もう少し堪能していたかった私は彼の胸元に頬を擦り寄せた。
「……もうちょっと」
引き離されるかと思ったが、またぴったりと体を寄せてくれる。彼の体温が思ったよりも温かくて、少女漫画に影響されたわけではないが、本当に安心できた。
「私も、ぎゅってしてもいいですか」
「……勝手にすれば」
「はい、勝手にします」
思ったよりもすんなり許可が出て、私も手をイェナの背中に回す。ぐっと力を込めると、イェナの腕の力も、少し強まった気がした。
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