第16話

 

 私が紅茶を、アンがお菓子を担当して準備し、執事室のテーブルに並べる。二人で向かい合って座れば両手で頬杖をついたアンがこちらをニコニコと笑顔で見つめていた。


「あのイェナ様に婚約者だなんて!嬉しいわあ。ホラあの子、ちょっと変わってるっていうか……人としての感情が欠落してるでしょ?暗殺者としては三兄弟の誰よりも優秀なんだけどねぇ」

 さりげなく悪口を含んでいて笑ってしまいそうだったけれど、全部本当のことだから頷いておく。


「でも……私、べつにイェナ様に好かれているわけではないんです」

「……ふぅん?」


 首を傾げたアンに今までの経緯を説明する。もちろん、私がトリップしたことは伏せて。イェナの奇行に振り回されていることも告げるが、アンの笑みは変わらなかった。


「──『興味はある』とは言われましたけど、恋愛感情はないと思います」

「……興味があるってことは、あなたのことを知りたいってことでしょ?恋愛につながる第一歩じゃない」


 話しやすくてついつい恋愛相談のようになってしまうが、私だってイェナに恋愛感情があるかと聞かれたら──なんて答えるだろう。



「それに、ただ興味があるだけなら婚約者になんてしないわよ、あのイェナ様なんだから。女の子に対して興味を持っただけでもすごいのよ?」


 バンバンと机を叩くアン。それが思ったよりも力強くて驚いた。そういえば、イェナが「馬鹿力」って言っていたような……。


「自信を持ちなさい、イェナ様はナツのこと大事にしてるそうだし」

 饒舌に喋るアンの謎の説得力で思わず頷く。


「女は愛されてナンボよ、思う存分愛されなさい」

「……尊敬します」

 アンの名言に、感嘆のため息が出た。そこで満足したのか、アンは一息ついてティーカップに手を付ける。


「あら、この紅茶ナツが淹れたの?」

「はい、お口に合いませんでしたか……?」

 驚いたように私と紅茶とを見比べる。


「ううん、すごく美味しい!使用人の誰もこんな味は出せないわよ」

「あ、ありがとうございます!」


 ニッコリと笑って褒めてくれるアンは理想の上司だと思う。いくらイェナの婚約者だからといっても、激弱である私を受け入れてくれているのだから。ジャムやロールとは違った優しさが温かくて身に染みた。



「イェナ様にも飲んでもらわないとね?」

 悪戯っ子のように笑うアン。「もう飲んでもらった?」と聞かれたから首を横に振る。

「イェナ様はコーヒーがお好きだと聞いたので……」


「あら、ナツが淹れたならなんでも飲んでくれるわよ」

「……そうでしょうか」


「もちろん、間違いなくね」


 ウインクした彼はやっぱり美しい。どこからその自信が来るのかは分からないけれど、アンが言うと本当にそうかもしれないと思う。どこか安心感のある彼の言葉や表情は、やはりマヴロス家のイメージとはかけ離れている。漫画という外の世界から見ていた頃の、客観的な捉え方による“恐怖”はこの屋敷のどこにも転がってはいない。



 読者はそんな真実を知らずにマヴロス家を悪く思っているのだと考えたら、私だけが知っている彼らの魅力に優越感を抱きつつ──なんだか少し悔しかった。

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