第15話


 結局イェナの部屋で他愛のない話をしたあと、彼は暗殺の仕事へと向かった。玄関でイェナを見送ってから執事室へと戻る。扉を開けた瞬間、とてもフローラルな香りが私を包んだ。


「……あら?」

 目の前にいたのは──男性、だろうか。


 中性的で華やかな顔立ちをしているその人は、長い髪を一つにまとめている。背は高く、声はハスキーでパッと見ただけでは性別を判断できないが、その人が身に纏っているのは燕尾服だった。


「えっと……」

 初めて見るその使用人。もしかして──。


「もしかして、あなたが噂のナツ?」

「は、はい……」


 テンションが高いこの人は私の手を取って目を輝かせた。手は大きくて指は細長いが骨張っている。


「イェナ様の婚約者らしいじゃない!」

「はい……」

 私がおずおずと頷けば更に表情が明るくなった。


「んー、想像以上に可愛らしいわね」

「ありがとうございます……」


 圧倒されつつも目の前の人の後ろではジャムが苦笑しているのが視界に入る。助けてほしいと視線を送るけれど見て見ぬふりをされてしまった。



「私はアン。執事長をしてるわ」

 その名を聞いて、やはりと思う。イェナから聞いていた人とは全く印象が違っていたが、圧倒的なオーラはモブキャラではないと感じさせた。


「オクトーヴ様について行っていたのよ、会えなくてごめんなさいね?」

 マヴロス家当主であるオクトーヴ。イェナやノエンの父である。しばらく暗殺依頼のために出張中であると聞いていたが、戻ってきたのだろうか。

「い、いいえ!これからよろしくお願いします!」


 アンによれば、今オクトーヴは依頼を遂行し、一日休暇を取っているとのこと。明日には屋敷へ戻ってくるらしい。

 明日には当主である彼に挨拶しなければならないと思うと緊張した。なんといっても、マヴロス家の当主。彼は威厳とカリスマ性に溢れ、その手腕は伝説的だと言われるほど有名な暗殺者である。失態は許されないだろう。


 不安に思う私を余所に、アンは明るい声で話す。

「わからないことはなんでも聞いてちょうだいね」


 そして最後に「恋バナもしましょ」と微笑んだ。男性だろうが女性だろうが関係なく、綺麗な人だ。



「お仕事はもう覚えた?」

「はい、一通りは」


 私の答えに満足したように頷くと、アンは「お茶でもしましょう」と提案する。まだ何も仕事はしていないと伝えるが、執事長と婚約者の権限ということで半ば強制的にジャムに仕事を押し付けてお茶会の準備を始めた。


 イェナから聞いていた通り、使用人の中でジャムやロールに逆らう者はいない。そしてそんな二人も反抗できない存在がアンであるということが改めて分かった。

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