第9話
「ナツ、今日もお出迎えよろしくね」
わざわざ使用人の部屋へやって来たイェナはそれだけを告げ、私の頭をぽんぽんとたたいた。大事な用でもあるのかと身構えていた使用人たちは首を傾げる。
隣ではまたジャムが目を見開いていた。ロールは目を輝かせ、私に耳打ちする。
「ほんっとにイェナ様は君のこと大好きなんだね?」
「ええ!?」
ロールの言葉に顔に熱が集まるのが分かった。顔が近いのはこの人の癖なのだろう。もう気にしないことにする。
「……ロール、そろそろ怒るけど」
「あはっ、ごめんなさーい!」
しかし地獄耳のイェナには全て伝わっていたのだから、私の恥ずかしさは倍増だ。“大好き”なんて言葉もまた、彼から絶対に出ることはないものなのだから。
「ジャム」
「はい」
ジャムに向き直ったイェナが静かに切り出した。表情は変わらないが、チラリとこちらを一瞥する。
「ナツがもし危険な目に遭いそうになったら頼むよ。激弱だから」
「……承知しました」
了承の言葉を返すジャムの顔はやはり驚愕に満ちている。予想外に私の身を案じる言葉に感激していると、ロールも先ほどの茶化すような態度はなく「え、ほんとにイェナ様?」と心底驚いているようだ。一晩経って、さらに甘さが増したんじゃないかと思ってしまう。その言動の意図は全く想像できないけれど。
「さ、仕事までまだ時間があるからナツ来て」
「あ、はいっ」
婚約者である彼に手招きされ、本来の仕事は他の使用人へ押し付ける形にはなってしまうが──イェナの後ろをついて行くことになった。
長い廊下を、イェナ様の大きな背中とサラサラのロングヘアを見つめながら歩く。
「──あ、兄貴」
前方から聞こえたその声に、私の心が震えた。
イェナの身体に隠れて見えないが、この声はまさか──。
こちらに近づいて来たのは端正な顔立ちの男。イェナとは全く似ておらず、母マーイスに似た表情豊かなこの人はノエン。私が待ちわびた、原作の主人公パーティーメンバーだ。
作中最も人気であるといえるキャラクターは、何を隠そうこのマヴロス家の次男。暗殺一家で教育を受けたこともあり腕前は確かだが、優しいノエンは殺しをためらってしまうため暗殺者としては一家の中でも落ちこぼれなのだそう。そんな家業が嫌になって家を飛び出し、主人公と運命的な出会いをする。
……ということは、今はノエンが家出をする前──物語が始まる前なのだということが初めてわかる。
「──誰?」
ノエンが私の存在を確認すると、目を丸くする。イェナが連れている人間に、少なからず興味があるらしい。
「新しく入ったメイドのナツです!よろしくお願い致します!」
深々とお辞儀をすると「あーよろしく」とやる気のない声が聞こえた。それも彼の性格を熟知している私にとっては嬉しいものでしかないのだが。
「ナツってゆーんだ」
「はい、ノエン様!思う存分呼んでくださいませ!」
呼ばれた自分の名前に興奮して目を輝かせる私を見て、ぷっと吹き出したノエン。
「なんかお前変なメイドだな!」
ケタケタと笑うその顔は、何万ものヲタク女子を虜にしてきたことか。心の中は非常に荒れていたけれど、それを表に出さないように必死だった。
「お前、ちょー弱そうじゃん!」
「はい!激弱ですよ!」
「ドヤ顔すんなって!」
やはりマヴロス家の使用人は戦闘にも長けていなくてはいけないのだ。私がここにいられるのは本当に幸運なことである。
稀有な存在である私に対する疑問は尽きないらしい。ノエンの質問に答えながら二人で楽しく笑い合っていると、手首をくいっと引かれた。その正体はもちろん私の主。
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