第5話


「……あ!」

「なに」


 ふと思い出したのはジャムの言葉。自分の痴態によって忘れていた。

 彼が部屋のドアノブに手をかけて振り返る。


「“おかえりなさいませ、イェナ様”」


「……」

 必ず言うように、と教えられたのにもかかわらず言い忘れていた私の挨拶に、イェナは答えないでノブを回して部屋へと入っていった。



「……これは、私が入ってもいいのかな?」

 静かに閉まっていった扉の前で立ちすくんでいると、ガチャっと目の前で再びドアが開く。

「わぁ!」


「なにしてるの。入れば」

「は、はいっ」

 開かれた扉の隙間から見える真っ黒い目はまるでホラー映像のようだ。ドキッとしたのは恐怖からか驚愕からか。恋愛的なものではないと信じたい。


「失礼します……」

 イェナの部屋はシンプルというか生活感がない内装だった。ベッドと机、本が本棚に並んでいるくらいで、興味深く辺りを見回しても観察するところが特記してなく、すぐに視線を彷徨わせるのはやめた。


「──イェナ様!?」

 ふとイェナに視線を向ければ、彼は前ボタン全開でシャツを脱ごうとしていた。着替えを手伝うべきだったのだろうが、まだそんな免疫がない私は咄嗟に目を隠そうとする──が、腕の傷が目に入る。血塗れだったのは敵のものであろうとばかり思っていたが、それだけではなかったようだ。


「イェナ様!血が……っ」

「ああ、ちょっとね。予想より相手が強くて手こずった」

 なんてことないように言うが、素人目でも傷は深いことが分かる。見ているこっちが気分悪くなってきて、顔を顰めた。


「……ちょっと、失礼します!」

 くいっと彼の腕を傷に触らないように引き寄せて、手をかざすと傷に向けて意識を集中する。温かい光が患部を包み込み、みるみるうちに傷が塞がった。


「へえ。治癒能力?」

 きっと驚いてはいるのだろうが、変わらず表情には現れない。


 ──そう、私には生まれつき自分以外の人の傷を治す能力がある。トリップしてからも使えるかどうか確信はなかったが、どうやら使えるようで安心した。


「……なんだ、ちょっとは使えるんじゃん」

 イェナからお褒めの言葉をいただく。存在価値が出れば、殺される可能性も少しは低くなってくるだろう。


「お前はオレのなんだから、これからも怪我したら頼むよ」

「ままままず怪我をしないでくださいっ」


 彼にそんな気なんてさらさらないのだろうが、天然なのか私の胸キュンポイントを突いてくる。“オレの”が婚約者であることを指しているのは確実であろう。


「……それ、誰にでも使えるの?」

「自分以外なら……」

 しかしよく考えれば、私自身のことよりも私の能力に対する質問の方が多い。興味の対象となっているうちは生きていられるのだから、喜ばしいことに違いはないのだが。


「ふぅん、自分には使えないのか。じゃあ、お前が怪我しないように守らないといけないね」

「……え?」

 気を抜いていれば再び投下された、胸キュンポイントを刺激する言葉。極悪非道の殺人鬼から「守る」という言葉が出るとは驚きだった。

 驚く私に怪訝そうな──これは私の予想ではある──顔をして、首を捻った。


「自分の婚約者を守るのは当たり前なんじゃないの?」

「イェナ様に守っていただけるなら、怖いもの無しですけどぉ……」


 “当たり前”と言ったイェナがわからない。初めて会った記憶喪失紛いの女を住み込みのメイドにするどころか、自身の婚約者になんて──しないのが“当たり前”だ。……とは、言えないけれど。


「激弱なんだから、黙って守られときなよ」

 イケメン発言にまたしても胸キュンしながら、私はふにゃりと笑った。

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