第4話

 次にイェナに連れられてやってきたのは執事室だった。

 執事室といっても、キッチンや倉庫も兼ね備えている場所らしい。メイドと執事数名がイェナを見るとぎょっとして慌てて頭を下げていた。


「ジャム」

「はい、イェナ様」


 イェナがパチンと指を鳴らすと現れたのは燕尾服を身に纏った男性。清潔感のある黒髪や細長いシルエットに眼鏡という出で立ちは、執事というイメージをそのまま形にしたかのようだ。


「こいつ、今日からメイドに使って」

「──承知しました」

 ゆっくりと頭を下げたジャムという男性は微笑んでいるが、目の奥は笑っていないような気がした。物腰は柔らかいものの、きっとこの人はとても優秀な執事なのだろうと思わせるような雰囲気がある。


「君、名前なんだっけ」

「ナツと申します……」


「年は?」

「18です……」


 そう言えば、私は彼に名乗ってすらなかったのだ。それも関係なく婚約者にしようとするのだから、やはりイェナは変わり者である。


「ま、適当に使ってよ」

「はい、イェナ様」

 もう一度お辞儀をしたジャムの眼鏡の奥がキラリと光る。この人も私を頭からつま先まで視線を走らせて見定めようとした。



「……それと、コイツ激弱だからあんま苛めたらすぐ死ぬよ」


 ジャムの視線に耐えかねていると、イェナが発した予想外の言葉に彼を見上げる。

 心配してくれているのだろうか。人間らしい一面があるものだなと思っていると

「オレには関係ないけど」

 と突き放すのだから、調子に乗った自分を恥じた。


 そんな私の身柄をジャムに預けると、「じゃ、オレ仕事だから」と言って立ち去ろうとする。



「……あ、言い忘れたけど、そいつオレの婚約者でもあるから」

 扉を閉める前にそれだけを告げ、すぐに彼の背中は見えなくなった。



「あなたが、イェナ様の……」

「……はい、成り行きで」


 未知の生物を見るような目で私を見るジャム。やはり使用人の間でもイェナは他人に興味のない機械のような人物であると知れ渡っているようだ。




 

 私はそれからメイドとしての仕事内容についてジャムから指導を受けた。イェナの婚約者だからなのか、彼の性格なのか……丁寧で優しい教え方は私にも分かりやすかった。


「──今日はこれくらいにしましょうか。あとは、イェナ様がお帰りになられたらお茶をお出しすること。それが終わったらもう休んでください」

「はいっ」


 意外にも、私がすることは本当にメイドのするような仕事ばかりだった。掃除、洗濯、炊事など、私にもできることばかりで安心する。今のところ、危険な仕事はないようだ。これも、イェナの助言のおかげか。

 

 ふと、この屋敷へ近づいてくる気配を感じた。邪悪なもの……というよりは、私を拾ってくれたあの男のものだろう。


「あ、イェナ様が帰ってこられたかも」

 ポツリと呟くと、ジャムが目を見開く。彼にはイェナの気配を読み取れなかったようだ。


「何故、わかったのですか」

「……?」

 何故かと尋ねられても、私自身何か根拠があったわけではない。ただ、私の意識の中に“イェナが帰ってきた”ことだけがパッと浮かんだだけ。なんと説明するのが良いのか考えあぐねていると、気配がもう玄関のすぐそばまでやってきた。


「とにかく、お出迎えしなきゃ!」

 ジャムに断りを入れてから、私は駆け出した。



 動きにくいスカートで走って玄関へと向かうと、ちょうど彼が扉を開けて入ってきていた。

「……イェナさっ」

 尻尾を振る犬のように駆け寄ったまではいいのだが。カーペットに躓きそのままの勢いで見事に転倒した。


「……ぶふっ」

「……なにやってるの?」


 そんな私を見てもやっぱりイェナは無表情だ。倒れたまま彼の顔を見上げれば、真っ黒な目で見下ろしていた。その瞳と同じ真っ黒なワイシャツとズボンは彼によく似合う。よく見れば、彼が身にまとうもの全て血塗れだ。


「ナツ、お出迎えするならもっと静かにしないと殺すよ?」

「ええ……」


 私の脇の下を支えて軽々と立ち上がらせる。滅多なことでは殺さないと言っていたのに。と口を尖らせるが、イェナから出た言葉に目を丸くした。


「な、名前……っ!覚えてくれたんですかっ」

「馬鹿にしてる?それくらい覚えるよ」


 呆れ顔でスタスタと部屋へ向かうイェナの後ろを必死でついていく。私の顔はだいぶ緩んでいただろう。

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