第2話

「……そういえば、メイドが足りなくなってるって言ってたな」

 まさかの好機。なんとか殺されずには済むようだと、ほっと胸を撫で下ろす。


「気に入らなかったらすぐ殺しちゃうからなー、オレもオレの家族も」


 ──前言撤回。“今この場では”を付け足そう。


「多分殺しちゃうけど、それでもいいなら、来る?」

 この状況を嘘だと思いたい。だが今のところ夢である気は全くしない。

 それでも、非情な彼が出してくれた提案を断ればきっと瞬時に殺されると思い、何度も首を縦に振った。



「……あ、一応試験ね。オレのこと、力いっぱい殴ってみて」


「殴ったから殺すとかいう理不尽なことしませんか?」

「しないよ、馬鹿なの?」

 ヒィッ……と声が漏れる。あまり安易に言葉を発するのは良くないようだ。


「暗殺一家マヴロス家に仕えるなら、戦闘もできなくちゃ意味ないよ」

 こんな平凡な私が戦闘なんてできるわけもないが、仕方なく震える拳で目の前の男のお腹を殴る。私の出せる精一杯の力で。


 ポフッ


 情けない音しか出なかったのはこの際目を瞑ろう。


 よく小説とかで見る、トリップ特有のチート能力がないだろうかと期待したけれど。そんなものは欠片も見当たらなかった。


「……弱すぎ。殺す価値もないんだけど」

 当たり前だが、私の弱々しい拳に心底呆れているのが分かる。


「……や、やっぱりダメですよね……」

 あわよくば、殺されて元の世界に戻りますように……と祈りを捧げる。


 あからさまに落ち込む私を見て、突然イェナは私に背を向けた。



「……行くよ」

 私の聞き間違いかと彼を見れば、もう一度淡々と同じ言葉を吐いた。


「い、いいんですか!?」

「オレのこと好きとか言ったの君が初めてだからね。ちょっと興味ある」

 興味があると言う割に、その表情からはなんの感情も読み取れない。だが運良く気に入ってもらえたらしい。


 さっさと歩くイェナを慌てて追いかけた。


「──遅すぎ。カメなの?」

「ぼ、凡人にこのスピードはキツいですよっ」


 彼が歩く。その後ろを私が全速力で走る。それでも徐々に距離は離されていた。



「……はぁ、仕方ないなー」

「イェナさんっ!?え!?」

 よいしょ、と軽々と私を持ち上げて横抱きにした。


「うるさいな、殺すよ?」

「黙ります!!」

 この夢のような展開に、ヲタクの性とでも言うべきか──胸が高鳴ったのは許してほしい。相手は殺し屋には変わりないけれど。


「それと、メイドになるならイェナ様、だから」

「……はい、イェナ様」

 それから彼は地面を蹴って走り出す。周りの景色がはっきり捉えられない。ビュンビュンと風を切る音がして、気を抜けば彼の腕の中から吹っ飛びそうだ。


「もっとしっかりつかまれないの?」

「精一杯ですううう」

 恐れ多くもイェナの首に腕を回して、ぎゅっと力を込める。


「──あ」

 するっとイェナの私を抱く腕の力が抜けて、体が浮遊感に包まれた。


「え”」


 宙に放り投げられた身体をすぐにまた抱え直してくれたけれど、心臓はいまだかつてないほど脈打っている。


「手が滑った」

「それじゃ済まないですよ!!」

 私を落とそうとしたことに抗議したけどちっとも悪びれない。


「もうすぐ着くよ」

 長い髪が風に靡いて夜空に溶け込む。


 もう離すまいと、私はまた腕に強く力を込めた。

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