君は世にも奇妙な婚約者
向日ぽど
漫画の中の世界
異世界転移
第1話
「……なに、君」
目を開けたら、そこは地獄だった。
いや、厳密に言えば地獄よりも恐ろしい場所かもしれない。
「──なんで私……漫画の中にいるの……?」
「は?」
目の前にいたのは、愛読する漫画の主人公──ではなく、その主人公の永遠のライバルであり、最強の殺し屋と言われる男。いつも無表情で、無感情。そして驚くほど強く、誰よりも無慈悲なその人だ。
長い黒髪も、華奢な体も中性的な顔立ちも美しい。何なら私の推しの1人でもあったのだが、実際には一番会いたくない人であろう。
「イェナ……」
「なんでオレの名前知ってるの?」
イェナ・マヴロス
そう、それが彼の名前。彼は私がこぼした言葉に眉を潜めた──ような、気がした。見知らぬ女が自分の名前を知っていたら確かに警戒するだろう。特に殺し屋という職業は人から恨まれることが多いためだ。彼の性格上、素性をペラペラと話すような人でもない。
ここは人気のない路地裏。家と家の間に挟まれて──厳密に言えば、家の壁とイェナに挟まれて、顔を真っ青にする私。よく分からないけれど、家でうたた寝をしていただけなのだが何かの拍子にトリップした私が目を開ければ、そこはもう惨劇。
人の屍が所狭しと並び、飛び散った血の香りが鼻をついた。その恐ろしい光景に叫び狂いそうになったけれど、すぐに口を噤む。死体の山の真ん中に立っていた男が、見覚えのある人だったから。彼が、私に気付いて歩み寄って来て──。
──そして冒頭に戻る。
「いや、あの……」
「見られたからには仕方ないね。殺すよ」
なんてことないように、そう言った彼。簡単に言うものだから、やはり人を殺めることに抵抗はないのだろう。
「──わ、私、イェナさんが好きで、えっと……だから名前も……知ってて」
咄嗟に出たのがこの言葉。間違ったことは言っていないが、もっとマシなこと言えなかったのかと後悔するも時は戻せない。
どうにでもなれと自暴自棄の如く続けた。
「私を、拾ってください!」
「……」
彼からの視線が怖い。無言は更に怖い。
だがこうするしか……訳もわからずトリップした私に生き残る術はないと思った。冷静に考えれば、一番最悪な道を自ら選んだのだと理解できるのに。
「家、ないの?」
「はい……多分……」
知らないうちにこの場所に来ていた、と伝えれば、彼は首を傾げた。その仕草が可愛い、とは言わないでおく。命は惜しい。
「……なに、記憶喪失?面倒くさいから殺そう」
「待ってくださいっ!!」
二言目にはその言葉。物騒にも程がある。殺し屋だから仕方ないのかもしれないが、比較的平和な国で育った私には受け入れられるわけもない。
「……な、なんでもしますぅ……」
泣きそうになりながら懇願すれば、彼は無表情を崩さないまま顎に手を当てて、うーんと考える素振りを見せた。
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