閉幕
お茶会とアイデンティティ
トンボが俺たちを馬鹿にするようにスイスイと泳いでいる。
正門前にずらりと並ぶ高級車に、自分たちが場違いであるということはすぐに分かった。
「なんか、思ってたのと違う」
それが、春野の感想であった。
「お茶会ってこんな威圧感のあるパーティーだっけ」
なんでも、車の周りにスーツ姿の男の人たちが厳しい顔で見張っているのだ。ウフフおほほのイメージは飛んでいった。
「こころちゃん、陽介くん、そっちじゃなくてこっち」
はっと声の方を振り向けば、着物姿の佑月さんが手招きしている。
「ゆ、佑月さん、私たちどうすれば……!」
「ごめんね、二人には別の部屋を用意してるから」
案内するね、と言われ、ついていく。正門ではなく、裏口があるようだ。
着物のせいか、ややいつもよりゆっくり歩く佑月さんは、また違った雰囲気で素敵だった。彼女は赤がよく似合う。
「せいらと一緒に来なかったの?」
「あー、車より自分の足で帰った方が早いからって。家にいるんじゃないですか」
「まったくあの子は……」
佑月さんが眉間をもむ。
「でもでも、私お手伝いさんに車乗せてもらうのなんて初めてで、とってもお嬢さま気分でした!」
綾子さんも佑月さんも、もちろんばあちゃんも、支度や接待で忙しいようで、車で迎えにきてくれたのはお手伝いさんだった。
しかし、せいらお嬢様のご友人、なんて呼ばれたときは耳を疑った。よっぽど「人違いです」と言おうと思った。そしてお手伝いさんは正門で俺たちを放っぽり出してどっか行ってしまったわけだけど。
「こころお嬢さまって?」
「おお!」
春野のスカートが嬉しそうに跳ねる。鳥谷には金持ちもいるが、学力重視のため俺たち庶民もたくさんいる。こういう体験は特別だった。
裏門は表口と違って閑散としていた。小門をくぐり、屋敷の敷地に入る。
すぐに、縁側で寝転んでいる奴を見つけた。
「せいら、こころちゃんたち来たよ」
「んー……」
ぐーっと伸びをすれば、神谷の顔面に丸くなって乗っかっていた猫が、ぴょんと飛び降りた。
「じゃあ私は戻るね。せいら、そこにお茶菓子と給湯器があるから。二人ともゆっくりしていってね」
佑月さんは俺たちを送り届けると、笑顔を残して去っていった。
「忙しいんだな」
「そりゃね、東京に行っちゃって、これからしばらくは姉もお茶会に出なくなるだろうから、今回の主役は姉と言っても過言じゃないし」
「そっか。寂しいな」
「陽介が?」
「いや、お前が」
いつも横にいた人が遠くへ行ってしまったら寂しいなんて、あたりまえに行き着く結論だったのだが、神谷にとってはそうではなかったらしい。
「ふむ、寂しい、か。でもようやく姉が家を出れたんだから、喜ぶべきだと思う」
起き上がった神谷は、夕空を見上げた。ひどく澄んで、雲までも吸い込みそうな瞳だ。
その隣に腰掛ける。
「お前の姉ちゃんは、家を出たかったのか?」
しかし神谷は「さぁ……」と言って、それきり黙った。斜陽が神谷の輪郭を照らし、にゃーん、と猫が神谷の足に頬ずりした。
「佑月さんは、苦痛になんか思ってなかったと思うよ」
そっと、ぶち模様の背を撫でながら、春野は言った。
「せいらちゃんと一緒にいるのが楽しいって、笑ってたもん」
ゴロゴロと猫が喉を鳴らす。
いつのまにそんな話をしたんだ。……それにしてもずいぶんお人好しだな。佑月さんも、春野も。こいつの頬が緩んでしまう。
神谷は猫を抱き上げると、その腕におさめた。
「それもそうか! あたしのこと大好きだもんねー、姉。よしよーし」
頭をかいぐりかいぐりすると、猫は嫌そうに身じろぎした。そのふてぶてしい顔に、見覚えがある。
「たしかに澤平に似てるな」
「でしょー!」
ぽーん、と投げると、澤平似の猫は鮮やかに庭に着地した。そのまま我が物顔で池の周りをウロウロする。
「そういえば、その澤平くんって人はどうなったの?」
春野が訊く。
「あー、あいつはいろいろ落ち着いたら来るよ」
「学校に?」
「ああ。だけど、卒業したら鳥谷じゃなくなるらしいな」
「ふーん」
これからあいつは神谷に振り回される日々を送るわけだが、騒ぎを起こしたことに罪悪感でもあるのか、このまま鳥谷に残るつもりはないらしい。らしくないといえばらしくない。別に俺があいつのなにを知ってるわけでもないが。
「せいらちゃん、あのあと怒られなかった?」
「そういえば母がなんか言ってたけど、姉が丸くおさめてたよ。祖母は記憶にない」
「認識薄すぎない……?」
他人事のような口ぶりだな。これは年中綾子さんたちが気を揉むわけだ。
あの事件は昨日のことなのに、ずいぶん昔の感覚だ。
澤平斗真。結局さいごまで俺にはよく分からない奴だった……。
屋上での一連の会話を思い出す。退屈そうな口調、どこかバカにした目。髪は揺れて、背後には空。
「なぁ……俺ってなんか特徴あるか?」
「え?」
「あ……あー、いいや。今の忘れて」
途端に恥ずかしくなってやめた。俺って普通だよね? なんて、なんかなぁ。格好がつかない。
そもそもそんなこと訊いて、どう返してほしいんだ? 「普通じゃないわよ」ってのも、隣の変人みたいよあなた、って聞こえるし、「そうね、普通よ」と答えられても……。……。
あれ?
トンボが目の前を横切る。
「……なぁーんだ」
春野は目を点にした。
「え? え? なぁーんだって⁉︎」
言い方。
「いや、もう解決した」
自分は、どうやら『普通』がけっこう気に入っているらしい。どれだけ自己紹介がつまらなくて自虐ネタになろうと、それを前向きに捉えてるようだ。いまわかった。我ながら幸せな性格をしてる。だってこれからずっと特別にならなくても、俺はそんな自分がいい。
「変な陽介ー」
「普通だ」
そう、『普通さ』は、俺の特性。自分の一部。
大事にしたい、と思う。
「さて、と。豆腐屋のおばちゃんのところにでも行こうかな」
神谷は立ち上がった。
「こころと陽介も来るでしょ?」
まぁ、お前がいなくて俺たちだけでこの家にいるのもおかしな話だ。それに、屋敷全体の張りつめた空気が、以前と比べて居心地を悪くしていた。
春野がよいせと腰を上げた。俺もそれに続く。
「にしても、なんで豆腐屋のおばちゃんなんだ?」
「きび団子をね、つくってくれたから、それを受け取りに行くんだよ」
「きび団子?」
「そ。今年はよーすけたちのおかげで、面前に出ないにしても家にいられてるわけだから、そっとお供えしたとしてもバチは当たらないでしょ?」
「?」
春野が『お茶会、どんなんだろうなぁ。行ってみたいなぁ』と探りを入れたため、断ることを知らなさそうな佑月さんによって俺たちはお呼ばれした。そこにいちばん付き合いの長い神谷がいなかったら意味がないため、毎度家から放り出されているのを、今年は家にいてオーケーとなったのだ。ただし、もちろんお茶会の場には出ない。
そこまでは分かる。その続きのセリフが不明なのだ。
すると、あまりに俺が不審な目をしていたからか、いつもなら気にしない神谷が、珍しく自分から説明してくれた。
「桃太郎って、きび団子あげて犬とかを仲間にしたんでしょ? だから、あそこにいる人達にもあげたら、仲良くできるんじゃないかと」
視線の先には、がやがやと賑わう茶会の会場があった。
なるほど。こいつにも思うところはあるようだ。だから、言わないでおこう。桃太郎はきび団子をやって動物たちを下僕にしたんだよ、なんて。
正門から中を覗いたとき、見えた紳士婦人は、まるで神谷家を値踏みするかのような、異様な目の輝きをしていた。
だから綾子さんや祖母さんはあそこまで神経質になるのだろう。
あの人たちと神谷が仲良く、なんて想像もできないが、でも、もしかしたら彼女の『変人さ』に毒毛を抜かれて、というか呆れて、いつかきび団子を受け取ってくれる日が来るかもしれない。
「そうだな。そうだといいな」
そう言うと、神谷は満足そうに舞っていた銀杏の葉を掴み、くるくると回した。
パッと手が離れて、葉ははらはらと、池の水面を彩った。
そうして月日は流れる——。
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