文化祭☆ 備えあれば

『そうだ。あのこともごめんね』

 澤平が残した言葉。いったい何のことかと首を捻った。


「渡辺‼︎」

「渡辺くん‼︎」

 校舎を出てすぐ、村上と岡村さんに囲まれても、俺は「なんでしょうか?」としか出てこなかった。

「お前、一応も良いとこの実行委員だろ! どうにかしてくれよ!」

「いいから体育館準備室に来て!」

「お、おう」

 半ば強引に連行される。後ろから神谷もついてきた。

 緊張も緩み、正直なところ一服したかったが(そういやご飯食べてない)、彼らの圧に負けて体育館へと入る。



 リハーサル終わりにも集まった準備室には、クラスの半分ほどが揃っていて、全員この世の終わりみたいな顔で机を取り囲んでいた。

 なんだ……?

「渡辺くん、これ、どうしよう」

 先に着いていた春野が、生気を失った声で言う。

 机の上には「三ー二」のダンボール。


 ——そして、無惨に切り刻まれた桃太郎の衣装。復元も不可能なほどに。


 息を呑む。足場が崩れる感覚がした。

 これでは、桃太郎が……。

「布も余ってないし、なにより時間がないよ」

 上演は明日の午前。そして今は昼過ぎ。

「いやでも、今から布買って作り直せば……」

「そ、そうだよな」

 村上が頷く。しかしその言葉とは裏腹に表情が暗い。

「俺、このあと部員で店まわる予定だったけど、断っとくよ」

「わたしも、彼氏との予定あったんだけど、やっぱりちゃんと演劇成功したいし……ね」

 ぽつりぽつりと諦めの表情を次々と浮かべていく。

 みんな、最後の文化祭を大切な人と楽しみたいに決まってる。

 俺だって、仕事に奔走するんじゃなくて、いろんな出店をまわって焼きそばとか食べて満喫したい。

『あのこともごめんね』

 澤平のあっけらかんとした謝罪。そういえば、体育館ですれ違ったとき、用があるとか言っていた。

 コレのことかよ——!

 あのやろう、絶対許さない。絶対殴る。ボッコボコにしてやる。それからもう一回屋上から飛び降りてもらおう。


「あれ、桃太郎の衣装じゃーん。なんでこんな切ったの? もしかして流行? いつのまに世界はこんなことに……?」

 ひょこりと神谷が俺の肩越しに顔を出す。

 ふと疑問が走る。コイツはCDの件では奴の行動を知っていたが、この件とも関係あるのだろうか……。

「ちげぇよ。誰かにやられたんだ。でも俺、誰かに恨まれることした覚えねぇよ……。そりゃちょっと魅力的すぎる男なだけで」

「そんなことないから安心しな」

 村上が悲壮感溢れさせても、岡村さんがすぐさま切り捨てた。

「本番までに、間に合わせれば……いいんだよ!」

 もうどうしようもない。鬼目線の話とはいえ、『桃太郎』の劇で桃太郎自身に私服で世界観を壊させるわけにはいかない。仕事を分担してクラスみんなで協力すれば、明日には間に合う。たとえそれが一日目を潰すことになったとしても。

「え、これを作り直すの? なんで?」

 春野に経緯を教えてもらった神谷は、しかし首を傾げた。

「なんでって……」

「だってコレ、リハーサル用の衣装でしょ?」

 春野が目をぱちくりさせる。

「——へ?」

 神谷はつと原形を保たない衣装だったモノをつまみ出した。

「うん、これこころたちが縫ってたやつだよね。無惨な姿になったのは涙もそそる悲しいことだけど、あたしたちはそんなことで挫けないのだ! こんなこともあろうかと、同志たちは準備万端なんだから。ふっ、ひと回り上回ってたってことだね」

 全員が沈むなか、神谷だけは嬉々としていた。


「リハーサルと本番で変えるなんて粋なことするよね。感心感心」

 まるで、もう一つ衣装があるかのような口ぶり——。

 春野がパッと口元を押さえた。


「あ、ああああああ‼︎」


 な、なんだ⁉︎

 時が止まったように硬直したのち、春野は神谷に詰め寄った。

「せいらちゃん! せいらちゃんが縫った桃太郎ってどこにあるの⁉︎」

「校長室」

「はぁ⁉︎ は——ま、まぁいいや! 連れてって!」

「合点承知のすけ」

 そのまま出て行こうとする二人を、慌てて引き止めた。

「ちょ、ちょっと待て! どういうことになった⁉︎」

「あるんだよ! 衣装がもう一つ!」

 春野は興奮に頬を紅潮させて、ぴょんぴょん跳ねた。

「ほら、暇そうにしてたせいらちゃんにお願いしてたやつ!」

 ヒマソウニしてたセイラチャン?

 しばらく黙って記憶をたぐり寄せる。


 そもそも神谷に裁縫技術なんてあるわけない。それでも縫わせたなら村上にでも恨みがあるのか——。

『おい、神谷にあんなことさせて大丈夫なのか?』

『え? ああ、あれ、ボツになった桃太郎の衣装で、本番で使わないから』

「…………」

 準備で役に立たなかった神谷に、嘘を混ぜ込んだ仕事を、春野は渡していた。そして神谷は針を手に取り……。


「——あれが、あるのか!」

 やっと二人の会話に追いついた俺は、弾かれたように顔をあげた。

 

 


 校長室の扉をそっと叩く。

「失礼しまーす……」

 そろそろと覗けば、この学校の長がいた。

「なんだね」

 眩しくて目を窄める。今日も彼の頭は、磨かれた宝玉のように輝いていた。

「こーちょー殿! かくまっていただいた例の物をお預かりに参ったでござる」

 変な口調で、神谷は躊躇ためらいなく入室した。

 校長の膝から黒猫が飛び降りる。「合言葉は?」「『ブラックサンダー至極美味』」「よし、待っておれ」

 ……完全にノリに出遅れたと、ここまで痛感する日はなかなかない。口を開けて呆けたまま、春野と扉口で突っ立っていることが、俺ができる精一杯のことだった。

「これでよいか」

「感謝いたす。確かに頂戴ちょうだいいたした」

 校長から袋を手渡され、中身を確認すると、神谷は至極真面目に頷いた。

「それでは失礼つかまつる。どろん!」

 そして俺たちのもとまで戻ってくると、颯爽と部屋を出ていった。

 かろうじて「失礼しました」とだけ言って、あとは無言で彼に背を向けた。

「ふっ、お互い生きておればまた会おう」


 俺たちは、聞かなかったことにしようと、このあと話した。

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