文化祭☆ 答え合わせの午後
「おつかれー」
無事に春野と交代し、店番も終えた俺は、あくびをしながら神谷たちを探していた。目立つ奴だからすぐに見つかるかと思ったが、どうやら校舎内にはいないようだ。
美術部の展覧会を覗いてみたりしたが、神谷の上手いのか下手なのか評価し難い猫の絵があるだけだった。
「どこだよ……あ」
ふわ、と焼きそばの匂いが風に運ばれてここまで来た。
腹減ったな……。そういえばもう十二時を過ぎている。あいつらがいない今のうちに、静かな昼食をとろうかな。
「いた! 渡辺!」
パタパタと走ってきたのは村上だった。声に少し緊迫感が混じっている。いつもののんきでバカっぽい感じは抜けていた。
「どうかしたか?」
なんだか顔色も悪い。ゼェゼェ息を荒げているが、どこから走ってきたのか。
「ちょっと……来てくれ」
その既視感のあるセリフに、嫌な予感が背中を走った。
*****
どこに向かっているのか、人が少ない道を走っていく。何があったのか訊いても、村上は「見たほうが早い」と説明しなかった。
この方向……体育館か?
石畳を蹴り、ぶつかりそうになった人にすみませんと謝りながら、村上は急ぐ。
「おいっ、待て! ちょっと休ませろ!」
「ぐだぐだすんな! 火急の用事だよ!」
「だから何なんだ、用事って⁉︎」
村上はちょっと詰まったあと、振り向いた。その顔が泣きそうに歪んでいた。
「お、おれの、衣装——」
——その時、ガヤッと校庭でどよめきが起きた。
村上が走るスピードを思わず緩めるくらい、それは不穏なものだった。
「うわ、やばくないか」「なにあれこわい!」「誰だよあそこにいるの」
耳に滑り込んでくるそれら。只事ではない。
みんながみんな手を止めて、屋台から顔を出す。さっきまでの楽しい雰囲気が嘘のように、身体をこわばらせて。
全員、上を見ている。
何があるのか、と俺もその視線を追ってみた。
「——……」
意味がわからない。なんだこれ。
急展開すぎる。こんなの物語の中でしかあり得ない。
屋上。鉄柵を乗り越えて、その子は俺たちを見下ろしていた。
ものすごい速さで傍を通り抜けていく奴がいた。
地面から浮いた青いリボンを、とっさに握ってしまったのは、三年間ですり込まれた義務感からか。
「神谷‼︎ ——うお⁉︎」
重心がずれて、ふらついた。
俺の方が体重あるはずなのに、俺が引っ張れる。
「陽介離して!」
「何する気だお前⁉︎」
「屋上に行く!」
「なら俺もだ!」
神谷は一瞬だけ俺に目を向けた。
「じゃあ遅れないで!」
自信はなかったが、それでも頷いた。ついていかなければいけない気がした。村上の俺を呼ぶ声が聞こえたが、なんとも思わなかった。
校舎に入り、階段を駆け上がる。中の生徒は騒動に気づいた様子はない。
嫌な汗が止まらなかった。胃がキュッとなって呼吸がしんどい。
いや、これ階段きっついわ!
六階分を、足がちぎれそうになっても上る。体力は人並み程度にはあるし、普段の生活で六階なんて余裕だった。しかし今日は違う。神谷に遅れをとってはならない。
「はぁっ……!」
やっと目的地に着いたとき、俺は屋上に倒れるようにしてすべり出た。
「し、死ぬ……」
コンクリートの地面があたたかい……。太陽の光をさんさんと背中に浴びる。解放されたふくらはぎが悲鳴をあげていた。このぶんじゃ明日、筋肉痛になりそうだ。
「——へぇ」
ハッとする。すぐそこに人がいた。
俺はのそりと体を起こした。柵の向こう、青空を背にして、綿毛のような髪の生徒は立っていた。
「なに? 止めにきたの?」
「澤平……」
どうやら今日はこいつと縁があるらしい。
「お前、あんまふざけんじゃねーぞ」
楽しく終わるはずの一日目が、彼によって引っ掻き回される。こんなところで死なれたら、もう文化祭どころではない。
「渡辺くん、だっけ」
「そうだ」
「ずいぶん正義感が強いんだね」
「⁉︎」
ざらり、と俺の中の何かが逆立つ。
はあ?
俺のどこが『ずいぶん』なんだ。
どうしてたった一言でこんなに気分が悪くなるのか分からないが、断固否定しないと気が収まらない。
「お前のためじゃない。ここに来たのも神谷を……」
「だからそれだよ」
澤平は鼻で笑った。
「責任感なのかな。でも、あんた一人でそこの人間をどうこうできると本気で思ってるの?」
「っ、それは」
「自分がどうにかしなきゃって考えてる。だからついてきたんでしょ。普通放っておくよ。すごいね」
「は……」
普通は。
なんだろう。別に大したことは言われてないのに、勘に触る。こいつと俺、絶対に相性最悪だ。返す言葉を探すも見つからなくて、それも腹立たしい。
「……正義感なんて誰でも持ってるだろ」
苦し紛れだった。
「そうだね。でもほら、現に二人しかいないわけで、オレのクラスメイトはみんな下にいるよ。まぁ喋ったこともないし、あたりまえだけど。先生はもう少ししたら来るかな」
その瞳は悲壮感なんて全く感じさせない。どこまでも無感動だ。だからか、真っ当なことを言われてるように思えてしまう。たしかに俺は同じクラスでもないのに、どうしてあの時、リボンを離さなかったのか。
いや、それは神谷を止めるためで……でも、それは息切れして倒れ込むほど大事なことか?
「さっきから何話してるのかわかんないけどさ、斗真」
神谷がカツンと靴音を鳴らす。
澤平の眉がピクリと反応した。
「そんな楽しそうなことしてるのに、どーしてあたしを誘わない……!」
途端、苦虫を噛み潰したような顔になる。
「……お前、ほんっっっとに!」
美味しいケーキを目の前にしたかのような神谷に、忌々しげに鼻に皺を寄せて嫌悪感をあらわにする。俺でも奴をこんなふうには見ない。
「状況わかってないだろ⁉︎ オレは遊びでやってるんじゃない!」
「えっ、まさか違うとは。てっきり飛び降りるのかと」
「ちが……ん……いや、合ってる」
なんか可哀想だ。
「じゃなくて‼︎ オレは今から死のうとしてんの‼︎」
「へ?」
その時の神谷の顔は見ものだった。どうやらことの重大さが分かってなかったらしい。
目を点にして、口をぽかんと開けて。いつも周りがこいつに対して思う、『理解が追いつかない』のそれだった。
神谷は瞬いた。
「なんで?」
当然の質問である。
「あんたに説明する筋合いない」
ほんとにこいつは冷たいな。それともひねくれてるのか。
それでも神谷はじっと待つ。直立不動で集中している。俺も黙った。
「——あぁもう!」
沈黙に耐えかねたのか、澤平は髪をぐしゃぐしゃと乱暴にかき混ぜた。
「まぁでも最後だし」
すると柵に肘をのせて、澤平は顔の影を濃くした。
「退屈。つまらない。楽しめない。飽きた」
うんざりと溜め息を吐く。
「友情とか部活とか人間関係とか、そういうものに全く楽しみが見出せない。とくに事件も起きないし、毎日がただ流れていくだけにしか思えないんだよ」
「……はぁ?」
思わず非難めいた声が出てしまう。そんなことで、と言いそうになる。いけない、人の死にたい理由にイチャモンつけるのは性に合わない。ぐっと堪える。
「なんでそれが飛び降りることに繋がるんだよ」
「未来もずっとひたすらに退屈なんだよ」
「それは決めつけすぎだろ。未来なんていくらでも変えられる。頑張れば宇宙飛行士になって火星に旅立つかも」
「興味ないね」
「……子供がヒャッハーかもしれないぞ」
「それ楽しいの?」
十中八九苦労します。
だろうね、と一蹴された。
「オレ頭良いし、学校に行く理由がなかったんだよね。でもオレが行動できる範囲じゃ、たいしてどこも変わらなかった」
「じゃあ学校来いよ」
「どうしてわざわざ」
性格どころじゃない。絶望的に合わないね、俺ら。
完全な理解を諦めて、ズボンについた砂を払い落とす。
「お前が学校を嫌がるわけは了解した。じゃあどうして文化祭には来たんだ?」
澤平が口をつぐむ番だった。
彼の行動は不可解だ。長い間不登校だったのに、今日に限って『どうしてわざわざ』。イベントなんて煩わしいことこの上ないだろうに。その点を見逃すと思ったら大間違いなんだが。
ザァァと風に梢が揺れる。
「わかんないかな」
小さく溢れたセリフは、ちゃんと聞こえた。
神谷がふとあごを上げる気配がした。
「中学最後の文化祭が、ただ楽しいだけの思い出で終わらないのは、オレのおかげだよ?」
渡辺くん。
「CD割ったのこいつだと、本気で思ってんの?」
あ、れ。
さっきから疑問ばっかだな俺。
——放送室に、用があるから。
神谷と目が合った。
なぁ、どうして
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