文化祭☆ 祖母
別にここにいて不思議ではない。俺の親だって探せばどこかにいるだろうし、文化祭にいらっしゃったことにビビってるわけじゃない。
せいら、と呼ばれて神谷が振り返ってから、俺はすくみあがったのだ。
「ああ、来たんだ」
暗い暗い、感情を削ぎ落とした声。
忌々しげにわたあめをかじる。いつもなら美味いの一言ぐらいあるものを、この時は目もくれなかった。
「祖母も暇だねぇ」
あの神谷が嫌味を吐く。
なにが起こっているのかわからないが、とりあえずこの着物の女性は神谷のばあちゃんだということは理解した。
「忙しいなか時間を作って来たのですよ。それからその呼び方やめなさいと何度言ったらわかるのですか」
たしかに綾子さんの母親っぽい。だけど今すぐにでも頭を下げたいくらい圧倒される。威厳の塊みたいだ。女帝——そんな言葉が頭に浮かんだ。
「孫の様子を見に来て何が悪いのです」
「……」
神谷祖母がいつのまにか俺たちの近くに立っていた。真正面から対峙する。
「分かっていますね、せいら」
「……」
「くれぐれも危険な行為はしないように。慎ましく、文化祭を楽しみなさい」
周りは視線をやる人がちらほらいるだけで、数秒前と変わらない賑やかさを保っている、はずだった。俺の耳には二人の会話しか聞こえてこないだけで。
「明日はお茶会です。前日に事件を起こすなど面目が立ちませんので」
いいですね、と念を押す。うんざりしたように神谷は溜め息をついた。
「それ、あたしが一度でも従ったことあった?」
今度は神谷祖母が黙る番だった。
火花が散るとはこういうことかと、俺は学習した。自分は関係ないのだが肌が泡だってしょうがない。
「おばあさま! もうっ、置いていかないでください!」
地獄に垂らされた蜘蛛の糸のよう。もしくは女神か。
薄茶の秋コートを翻し、神谷祖母の付き添いか、佑月さんが人混みの中から緊張を破った。
来てくれた。いつ見ても美人だ。
「佑月、ちょうどいいところに」
「はい?」
佑月さんが神谷祖母の横に並ぶ。
「今日一日、せいらと行動なさい」
佑月さんが神谷を見る。少し困惑しているようだった。対して神谷はかなり不満げだ。
「おはあさまは?」
「
「……承知しました」
まつ毛を伏せて頷く。
姉ちゃんのほうは従順なのな……。
「では私は家に戻ります。せいら」
「なに」
「約束しましたよね。最後の文化祭なのでしょう。ご友人に迷惑をかけないように」
目が合う。怖すぎて表情筋が引き攣った。
「お騒がせしました。あなたがたのことは娘から聞いております。どうかご無理のないように」
頷くことしかできない。目が痛くなってきて、瞬きを忘れていたと知る。もう土下座していいかな……。
「最初で最後のね……」
神谷がボソリと呟いた。わたあめを食べる様は、まるで肉を噛みちぎっているみたいだ。
どういうことだ、と考えて、はたと気づく。
そういえば、去年と一昨年のこいつの記憶がない。やけに穏やかな文化祭を送った気がする。
「では佑月、後を頼みます」
「はい」
最後まで姿勢を崩さず、神谷祖母は踵を返した。
残った佑月さんに微笑みかけられ、ほっと肩の力が抜ける。
「陽介くんとこころちゃん、今日はよろしくね。文化祭なんてわくわくしちゃうなぁ!」
天使だ……。周りに花まで見える。春野も頬を紅潮させて崇めている。
「そういや春野、時間やばいんじゃないか?」
「はっ! 店番!」
行かなきゃ、と言うが、その目は名残惜しそうに佑月さんを見ている。
「……三人でダーツしに行くから」
「ぜ、絶対だよ!」
はいはい。
「じゃあまた! あ、これ佑月さんどうぞ!」
「えっ、ありがとう!」
佑月さんにわたあめの棒を握らせ、春野は手を振って教室へ走っていった。小さい彼女の背はすぐ見えなくなる。人に押しつぶされないといいが……。
「楽しそうでなによりね」
「……まぁ」
「ふふ、わたあめなんて何年ぶりだろ」
俺は横目で佑月さんを見上げた。スラリとした彼女は俺より背がある。
隣では神谷が「このわたあめ美味しすぎない⁉︎」と、すでに通常運転を再開していた。
「姉! 射的!」
「はいはい。やっておいで」
パーッと屋台に向かって行く。店番の生徒が神谷に苦い顔をした。景品をかっぱらっていきそうだ、とか思っているのだろう。
「最初で最後なんですか」
「……中学三年間だけの話よ」
「理由を聞いてもいいですか」
神谷から数歩離れた距離で、佑月さんは立ち止まる。
「危なかったから。おばあさまとお母さまに止められて」
「危ない?」
「うん。何するか分かったもんじゃないってね」
「それは今もでは」
「今はまだまし。覚えてない? あの子が一、二年の時」
俺は黙った。
あの頃——入学してしばらくの頃、神谷は授業に出ていないことが多くあった。今は無遅刻無欠席無早退だが、かつてはもっともっと自由人だった。あっという間に神谷の名は広まり、教師陣の悩みの種となった。屋上の鉄柵の上を歩いていたというのもその頃だったはずだ。
校舎と体育館を結んでジップラインをしたり、勝手に石灰ライン引きで運動場に落書きしてビッグアートを完成させたり、昼食で焚き火をしたり、馬に追いかけられたり。
確かに、今より過激だったかもしれない。
「でも、止められたくらいで諦める奴じゃないでしょう」
「よく分かってるね、陽介くん」
「……」
「そう。二年生のときは実際、学校まで行ってた。だけど心境の変化でもあったのか、家に戻ってきて言ったの。『学校にいる間、これからはできる限り危険なことしないよう頑張るから、来年は文化祭に出させて』って」
息を呑む。
佑月さんは風でなびく髪をおさえた。
「せいらはね、約束は必ず守る子なの」
約束、という単語は最近他の人からも聞いた気がした。
『文化祭をめちゃくちゃにしないって約束したから』
そうだ、春野だ。
あいつもやけに神谷を信じる。
佑月さんも一緒だ。今年の文化祭に送り出した、綾子さんも、あのばあちゃんも。
いや、でも登校方法といい、二階から飛び降りたり一輪車で暴れたりしたことは記憶に新しい。
「今でもじゅうぶん危険なんですけど。約束破られてません?」
「あはは、何が許されて何が許されないか、まだ模索中なんじゃないかな」
「だとしたら、だいぶ時間かかってますね」
「だって、もし陽介くんがせいらの判断基準を習得しろって言われたとして、すぐにできる?」
俺は即座に首を横に振った。
「せいらも一緒」
うーん、と納得のいかない顔をする。
「せいらはみんなと基準がちょっと違うだけ。あの子の中では、でも成立してる」
「……よくわかりません」
しかも『ちょっと』『だけ』って。
「まぁ、いいよ。私も全部は分かってないから。でも、あの子だって私達と共有できる部分はあるんだよ、ってだけ」
「……」
砂糖の糸がからまった飴を、佑月さんは指でつまんでちぎる。そういう食べ方もあったのかと、ぼんやり思った。
「姉! 陽介! たくさんとった!」
両手いっぱいに景品を抱えて、神谷が駆けてきた。
たとえば、射的でたくさん景品をゲットしたら普通は嬉しい。それはこいつも同じらしく、喜色を満面に浮かべている。
「よかったね、せいら」
「うん! 味噌きゅうり味のグミ、陽介にあげるね! いちばん手前に置いてあって狙いやすかったよ。大当たりだよ、ラッキーだね!」
ポン、と渡される。
だけど、そのセンスは普通じゃない。作った奴の神経も疑う。これは残念賞で間違いない。
「当たりならお前もらっとけ」
「ええー、陽介にもらってほしいのにー」
「俺はその中の一つでいいから」
「……ふっ、その優しさ、あたしも見習わなきゃね! はいどうぞ!」
グミの袋から一つぶ受けとる。緑色と茶色が半々だった。
食べるふりして手をポケットに突っ込む。あとで処分だ。
「あとねー、コレ! すっごい欲しかったんだ!」
じゃん、と見せびらかされた。
……よく見るパーティーグッズだ。ざっくり言えば黒縁メガネ。眉とか大鼻とか髭とか付属物があるだけで。つまり鼻のでかい笑える紳士に変身できる一品だ。
それをチャッと掛ける。
「さてと! ダーツの旅をしに行こっか!」
となり歩きたくねぇ……!
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