文化祭☆ 一日目

 青く澄んだ空の下、赤茶の殿堂が朝を迎える。


 鳥谷学院中等部、祭りの一日目。


 校門には、生徒会と美術部が共同で作ったアーチがかかり、風船や花紙で装飾されていた。

 アーチだけではない。校舎の壁にも、屋外屋台のテントにも、靴箱も、廊下も、もちろん教室なんて風船だらけだ。

 なんといっても学校創設者の銅像にまで飾りつけされていたのには驚いた。アロハシャツにサングラスをかけているだけだったなら「ハワイか」とツッコミを入れたのだが、シルクハットをかぶり、指先に折り鶴をくっつけていては、もはや訳がわからない。教師に怒られるか怒られないかギリギリを攻めた作品だ。


 俺は『トリヤ』の文字がでかでかと貼られた壁を尻目に廊下を歩いていた。『トリャ』に見える。

「よーすけ〜」

 あー、ほら、捕まった。

 朝礼を済まし、店番まで自由行動となった俺はさっそく神谷から逃げていたのだが、数分と保たなかった。

 ダッシュする選択肢もあったが、結局逃げ切ることは不可能だと計算し、渋々振り返る。


「…………」

 神谷が笑顔で近づいてくる。

「………………お前、なにそれ」

「めいっぱい楽しもうね!」

 はい、と両手に持っていたペンライトの片方を渡される。

 神谷は止まることなく、俺の横を通り過ぎていった。

 その後ろ姿を目で追わずにいられない。


 なにあの格好。


 黒マントに、『日本一』の旗をさしたシルクハット、ペンライトを持ち……一輪車に乗っていた。


 一体なにを表現しているのか知らないが、『学校一』目立っているのは分かった。

 さすが、身体の一部のように一輪車を扱っているが、そもそも廊下で一輪車は怒られるだろ。危険だし邪魔だ。

 生徒たちが道を開けるなか、神谷はペンライトを振り回しながら、かなりのスピードで角を曲がった。


 誰かが小さく悲鳴をあげ、ハッと俺は我に返った。

 ——しまった!

 その先は階段だ。

 捕まえるべくダッシュで追いかける。

「神谷!」

「ひゃほーい」

 踊り場に出るも、遅かった。


 一輪車とともに空を飛んでいた。時の流れを切り取ったみたいに、滞空時間がやたら長い。

 しかし——落ちるところに人がいる。

「危ないぞ‼︎」

 その子は口をポカンと開けて、空飛ぶ神谷に固まっていた。

 このままだと直撃する。

 とっさに出た言葉は、その男子生徒ではなく神谷へと発せられた。


「バカよけろ!」

 瞬間、サドルを持つ彼女の手首がわずかに捻られる。

 車輪がカクンと向きを変えた。

 それだけ。たったそれだけで、ああ、と安心する。

 とてつもないバランスで、一輪車と神谷の軸がピン、と安定し、重力を感じさせない動きで着地体勢へ入る。

 男子生徒と壁の間、壁に沿う手すりを、車輪が斜めに走る。神谷はサドルを掴んだまま、足裏を壁に擦らせてスピードを殺していく。

 男子生徒の周りを半周するかたちになった神谷は、手すりから降り、そこでようやくペダルに足を乗せた。


「あっはっは! びっくりしたー?」

「……‼︎ ……⁉︎」

 へたりこんだ男子生徒は、神谷にペンライトをもらっていた。飴ちゃんと同じような扱いなのか。

「おい! 怪我してないか⁉︎」

 何が起こったかわからない、と目を白黒させている彼を助け起こす。上履きの色が同じ学年を示していた。名前も書かれている。

「さわ……」

「おもしろかったねー」

 呑気なもんだ。人がいるって分かってて飛んだのか?

「お前もうちょっとさ」

「せいらちゃん、どこー?」

 春野の声がした。神谷がパッと顔を輝かせる。

「じゃーねー二人とも!」

 そして一度も降りることなく、また階下へと一輪車を漕ぎ出した。

「やっぱスゲェわ……。オリンピック出れるだろ……」

「あの……」

 そうだ、可哀想なペンライト仲間を忘れてた。

「大丈夫か?」

「あ、はい、どうも」

「災難だったな、あいつに出くわしちまって」

 男子生徒は神谷が去った方をぼんやり眺めていた。あまりに衝撃だったのだろう。

「……あなたはあの人のクラスメイト……?」

「あー、そうそう。渡辺陽介って言います。えーっと、澤……」

澤平さわひら斗真とうま

 なるほどな、と納得した。上履きの名前を見て、もしやと思ったら。

『なんとか斗真って子』

 隣のクラスの不登校。あの日も神谷に朝から付き纏わられ、久しぶりの登校だというのに同情しかない日を過ごした生徒。

 今日は来たのか。

「仲……良いんですか」

「え」

 思いがけない質問だ。

 ……。……まぁ。

「ぜんっぜん。仲良くなんてねーよ。毎回隣の席だわ、突然家に来るわ、きれいな姉ちゃんいるわ、豪邸に住んでるわ、ほんっと迷惑な人間だよ」

「へぇ」

 訊いてきたわりに興味なさげな相槌だ。

 澤平はそのまま「じゃ、これで」と去ってしまった。引きとめる理由もないので、俺は何もせず見送った。

 神谷の笑い声が聞こえてきた。それから春野の悲鳴。

「……」

 八城先生が怒鳴るのも時間の問題だろう。まったく……もうすぐ外部の人も訪れるというのに。

 腕時計を確認する。店番まであと二時間もあるじゃないか。

 さて、それまで神谷を見張っておくとするか。

 


 こうして、俺の中学最後の文化祭は、心臓に悪いハプニングから始まった。

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