リハーサル
日は真上。シューズの擦れる音が、体育館に響いている。
「みんな準備できたー?」
鳥谷学院中等部、オリジナル桃太郎。リハーサルだ。
前のクラスが終わり、俺たちのクラスに三十分の舞台使用許可が出された。本番の一週間以上前という早すぎるリハーサルだが、間に合ってよかった。
「さあ、最後の仕上げだ! 気合い入れてくぞ!」
舞台の袖で、オー! と拳を突き合わせる。円陣は本番にとっておこう。
〈続きまして、三年二組「鬼の島」です〉
放送の合図とともにカーテンが上がる。袖で待機している俺からもスポットライトの明るさが確認できた。今日はお客がいないから良いが……。
〈むかーしむかし、ひろいひろい海の上に『鬼ヶ島』という島がありました〉
鬼役の五人がぞろぞろ目つき悪く現れる。チンピラみたいでしょぼそうなのがよく表せている。
「酒だぁ酒もってこーい」
〈そこには、たくさんの鬼が住んでいました〉
はじめは鬼ヶ島の日常。やはり鬼というだけあって、小汚く荒振った生活を見せる。が、けっして原始的なわけではなく、鬼ヶ島独自の文化や技術があるのだ。
「おう、明日の夜は金棒祭りだぜ」
「なぁに父さんそれ?」
「自分で作った金棒を家の前に飾って、どれが一番優れてるか鬼神様がきめるんだよ」
「選ばれたらどうなるの?」
「そりゃオメェ、腹一杯食えるんだよ」
わぁ、と小鬼が喜ぶ。
「いつ鬼神様は来るの?」
「夜中だ。俺たちが寝てねぇと鬼神様はこねぇ。朝になって家の前の金棒がなくなって、かわりに花が置いてあったら選ばれた証拠よぉ」
「楽しみだね!」
ここで二人はいったん退場だ。
〈そうして夜が更け、朝になり、また夜になりました。とうとう金棒祭りです。鬼たちはぐっすりと眠りにつきました〉
順調だ。
さぁ、いよいよ主人公の登場だが、桃太郎もとい村上は大丈夫だろうか。
〈一方そのころ、人間の住む島では、鬼が人間に悪さをするという話を聞きつけた一人の青年が、鬼を退治しようと立ち上がったのでした〉
場面転換。鬼ヶ島の舞台小道具を袖に下げる。
よし、いけ、村上。
「ハーッハッハ! 犬、猿、雉よ、見えてきたぞ鬼ヶ島が! この日本一の桃太郎さまが
海を背景に、船に乗った桃太郎は、動物役を連れて高笑いする。
体育館の後ろで舞台を見守る春野が、オーケーサインを出した。声がちゃんと届いているようだ。
村上は、マイクを付けてるわけでも、くすぐられてるわけでもない。ちゃんと声を張ってる。
ただ、メガホンを持った桃太郎というだけだ。
話し合った結果、こうなった。刀じゃなくてメガホンで戦う桃太郎だ。メガホン作りに長けた村で育った桃太郎だ。メガホンがないと発作が出て死ぬ桃太郎だ。そーゆー設定なので何も問題はない。
桃太郎が引っ込む。場面はまた鬼ヶ島だ。
真夜中。舞台中央に小鬼が眠っている。
〈ガタッ〉
しかし物音で目が覚めた。音響もいい調子だ。
「ふぁ〜……」
おもむろに音のした方へと向かう。玄関の方だ。扉を開けようとして、ハッと手を引っ込める。
「もしかして鬼神様⁉︎ 寝てないとダメって父さん言ってたな……。じゃあ起きてることをバレちゃいけないか」
扉に背中を向ける。しかしまた音がした。
「ふふ、まさかうちが選ばれるなんて。これでたらふく食えるのかぁ」
ちなみに小鬼は岡村さんだ。黄色と黒の縞模様Tシャツを着ている。
小鬼は息を殺して扉に耳をつける。去っていくと思われた足音は、しかしすぐ近くで止まった。
次の瞬間、扉が蹴倒される。
「うわっ⁉︎」
小鬼は吹っ飛んだ。さすが岡村さん。
「ワンワン!」
「ウキー!」
「ケンケーン!」
まず動物たちが侵入してくる。それから起きた鬼たちが集まってくる。そして最後にゆっくりと村上登場。
「フハハハハ! 我が名は桃太郎! お前たち鬼を成敗してやる!」
鬼側に動揺が広がる。
「桃太郎だと⁉︎ 知らんが! その姿……まさか人間か⁉︎」
「ああそうさ! お前たちが獲物にしている人間さ!」
「獲物? 人間と関わりなんて持ってるわけねぇだろ! そりゃ俺たちの祖先の話だ! 鬼ヶ島は広い海に浮かぶ島だぞ! そう簡単にそっちの世界に渡れるか!」
「そうか、だがそんなことはどうでもいい。俺は鬼を根絶やしにできればそれでいい」
村上、いいぞ。悪い奴め。メガホンで緩和されてるけど。
「そうそう、外にあった金棒はすべて回収した」
「な⁉︎ じゃあ鬼神様は⁉︎」
「外でうろうろしていた奴なら始末したぞ」
転がっていた小鬼が桃太郎に飛びかかる。しかし動物たちに阻まれた。さらに殴られて動かなくなる。
それを皮切りに、桃太郎と鬼の戦いが始まった。
「おのれ桃太郎め! 我らの縄張りを荒らしおって! 鬼ども、突撃じゃあぁぁっ!」
おおおおおっ、と雄叫びをあげる鬼たち。
「しもべ達! 奴らの
ははっ、と従う動物たち。
乱闘になる。数では鬼が勝っているが、日本一と言われる桃太郎と犬猿雉は強く、ついに王手をかけた。
最後の鬼に向けて、桃太郎はきび団子を投げた。それを追って動物たちが口を開けて飛びかかる。
決着がついた。もちろん、フリだ。演技だからな。
「アハハハハハハ!」
高笑い。最後までメガホンは手放さない。
春野がにこにことオーケーサインを送ってきた。よし、滞りなく終わって良かっ——。
「とぉおおおお」
え。客席の方から何かが……。
「りゃあーーーーーーぁっ‼︎」
そいつは壇上へまっすぐ爆走して——。
「わあああぁぁぁあ⁉︎」
……村上が尻もちをついた。呆然とその軌道を見てしまった。痺れたように頭が働かない。
そいつはダンッと舞台にひと足で飛び乗り、村上を指差した。
「そんなことしちゃダメでしょーー!」
「お前だよ神谷コノヤロォーー!」
半泣きで村上が叫ぶ。
弾けるように正気に戻った。
「おい! 大丈夫か⁉︎」
慌てて駆けつけると、村上は尻をさすりながら俺にすがりついてきた。
「お前、神谷の管理どーなってんだよ⁉︎」
「いやなんだそれ」
「手綱握っとけよ‼︎」
無理に決まってんだろ。俺をなんだと思ってるんだ。
春野も血相を変えて壇上に上がってきた。八城先生も「なにやってんだ‼︎」と二階のギャラリーから下りてくる。
「こえーよ! びっくりしてこけちゃったじゃねーかよ!」
お前に恥はないのか。かっこ悪いぞ。
しかしこいつがすっ転んだ原因は神谷に変わりない。
「なんてことするの!」
春野が詰め寄る。
神谷は腰に手を当てて「だって!」と言った。
「鬼さんがかわいそうだよ!」
はい?
「鬼さん何も悪いことしてないよ⁉︎」
てめぇ……。
「明らかに桃太郎が悪者だよ! なんで懲罰を受けないで終わるの⁉︎」
この期に及んでそれですか……。あの、ほんとそういうの結構です。今まで台本読まなかったの?
「だからって神谷はカンケーないだろ! 俺は栄光を手にするためにやったんだ! 目的は達成された! それでいいだろ!」
え、村上、成りきっちゃってるカンジ?
「よくない!」
「神谷!」
八城先生が腕を掴む。憤怒の表情だった。
「お前、自分が何やってるか分かってるか⁉︎」
「桃太郎への抗議!」
「ちがう! 舞台荒らしだ!」
しん、と静まり返った。
文化祭を直前に控えて、それは物騒な言葉に聞こえた。
八城先生が怒っている。
「一週間後の文化祭に向けて、みんな劇を完成させようと頑張ってるんだぞ! お前の勝手な行動でこいつらの頑張りを水の泡にするつもりか! それこそ」
「悪者じゃん‼︎」
神谷が先生のセリフを奪った。「お、おう、そうだ」とちょっと先生が尻込んだ。
「とにかく、リハーサルなんだ。リハーサルってわかるか? 完成を確かめることだ。だから今お前が余計なことをすると混乱しちまうんだよ!」
神谷の肩が強張った。目を見開いて、ギュッと口を引き結んでいる。
「それともお前はクラスの舞台をぶっ壊したいのか⁉︎」
村上が俺の腕を支えに立ち上がる。春野はただただ二人を見上げていた。クラス全員の視線が、息をひそめて、スポットライトの下に佇む神谷に刺さった。
「……ごめん。あたしが間違ってた。どうもさじ加減がわからない」
ペコリと、俺たちに頭を下げた。村上が放ったメガホンを拾い上げ、謝罪の言葉と共に彼の手に戻す。
もう二、三の言い合いを覚悟していたため、なんだか呆気ない。
「みんなが良いなら、あたしは文句ない」
お、おう、そうか……。
裏も表もなく正直に。たぶんイチゴパフェか抹茶パフェか訊かれてみんなと同じ方を頼む、くらいの感覚なのだろう。
さじ加減、というのが何を意味しているのかは分からないが、とりあえず退いてくれた。
「二組さーん、そろそろ交代でーす」
舞台裏の準備室から交代を促す声がかかる。次に舞台を使う三組だ。
はーい、と返事をして、クラスメイトたちに「撤収すんぞ」と呼びかける。
「お、おう」「あ、はーい」「片づけ、ますか」
みんな反応が鈍い。
八城先生なんか、反発されるのを見越してさらに説教をたれようとしていたのか、素直に謝った神谷に怒りきれなくて、もどかしそうだ。「二度とこんなことすんなよ」と捨て台詞のように言う。言い負かされたわけじゃないのに。
道具を舞台袖にすべて戻し、三組と交代で準備室に再び集まる。クラスメイト全員を十分収容する広さの部屋は、床も壁も木で、少し埃っぽい。隅に『三ー二』と張り紙された棚があり、小道具や衣装などはここで管理をしていた。
「桃太郎はさ、いのしし好き?」
神谷はというと、さきほどの罪悪感があるのか、村上につきまとって罪を重ねている。「知るかよ」と村上はうんざりしていた。助けを求める視線を無視していると、「汁にはしないよ」と神谷がおっかなびっくりしていた。
「とりあえず、リハーサルお疲れ様。本番まで気を抜かないように! 体調管理もしっかりしろよ!」
八城先生が締めに入る。「はい」とクラスの声が揃った。
「じゃあ——」
「解散!」
最後に春野が手を叩き、パッと気が弛んだ。
でも本番が終わるまで緊張は解けない。実行委員になったんだ。仕事は最後まで。
がやがやとみんな教室へ向かう。ぽん、と肩を叩かれた。
「陽介、開けて」
いつかの会話と同じ。神谷が俺にペットボトルを渡す。どこに隠してたのか、これまた炭酸飲料だ。断るのもめんどくさくてキャップに手をかける。
しかし、いつも通りだな。もう少し気まずくなるかと思っていたが……。朝のことは忘れているのか。はたまた切り替えているのか。それともはなから気にしていないのか。どれもあり得そうで、なんだか腹が立ってきた。
「神谷」
きょとんと、見返される。
すっと部屋の奥を指差し、一言。
「あんなところに猫がいるぞ!」
「どこー⁉︎」
引っかかってくれた。
神谷が後ろを振り返ってネコチャンを探しているあいだに、ペットボトルを振って振って振りまくる。
「いないよー?」
「ああ……もう逃げたみてぇだ」
そもそもここは体育館準備室だ。猫が入り込んでくるなんて有り得ないのだが、アホでよかった。
俺は笑顔でペットボトルを返した。今、鏡で見たら自分でも引きそうだ。
「このくらい自分で開けろ」
「ぇぇえ〜〜〜……」
神谷が口を尖らせる。それでも受け取ってくれた。
そして——プシュッと危ない音を立ててキャップが開く。
ブシャアアアッ!
「‼︎」
……どうしよう。とてつもなく快感だ。
顔面に盛大に炭酸をぶちまけた神谷は、その場で固まっている。
素晴らしい。スッキリした。笑いがとまらない。ふふふふ。
「ふふふふぁあははははははっ!」
水滴が髪を伝って床に落ちる。
ゲラゲラ笑っていると、神谷が肩を震わせはじめた。
「うふ」
挙げた顔は満面の笑み。俺の笑い声に、神谷のも重なる。心から楽しそうに。
「あっはっはっはははは!」
「何やってんの⁉︎」
なかなか部屋から出てこない俺たちを心配したのか春野が戻ってきた。びしょびしょの惨状に真っ青になる。ああ、早くタオル持ってこないとな。
でも動けない。一秒でも長くこの場にいたくて。一秒でも長く、濡れた変人を馬鹿にしていたくて。
一杯くわせてやった。それだけで、俺はこれ以上なく喜んでいた。
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