俺の知らない神谷せいらという人物

 知らない人がそこにいるようで不気味だ。戸惑いと、なぜか焦りも襲ってきた。


 オレンジ色だった空は、鮮度を落としつつあった。

 庭から入ってくるそよ風が神谷の前髪を揺らす。何か声をかけようとしたその時、視界の端に赤をとらえた。


「こんにちはー」


「あ、せいらちゃんのお姉さん!」

 縁側に腰掛けるのは、さっきの美人、神谷の姉ちゃんだった。少し癖のある髪はきれいに肩に流され、纏う雰囲気は柔らかい。

「ごめんなさいね、邪魔するつもりはなかったのだけど、好奇心が勝っちゃった」

「好奇心?」

「だってせいらと仲良くしてくれてる子よ? そりゃ気になるわ」

 えへへ、と手を頭にやる所作がかわいい。

「わ、私っ、お姉さんとおしゃべりしたいですっ! あと、ケーキ美味しかったですっ」

 春野がうわずった声で神谷の姉ちゃんに近寄った。頬が紅潮している。

「ほんと? 嬉しい!」

 笑顔とかまじで似てないな……。

「私っ、春野心と申しますで、ご、ござるっ」

「ござる……? ふふ、心ちゃん面白いのね」

 心中でキャーッと叫ぶ声が聞こえてきた気がした。

「私は姉の佑月ゆづき。よろしくね」

 佑月さん……。どうして姉がコレで妹がアレなんだ。

「あなたは?」

「っ!」

 佑月さんが俺に微笑んでいる。なんだか心臓がバクバクして落ち着かない。

「お、俺は渡辺陽介です」

「陽介くんって呼んでもいい?」

「あ、ふぁい! おねがいしゃす!」

 噛んだ……。

 ポケ〜っと見惚れる春野の気持ちがよくわかる。佑月さんが来ただけで、すーっと風が通り抜けたような、爽やかな空気が部屋に流れはじめた。


「ちょっとせいら、お客様がいらしてる時にテレビみないでよ」

 テレビの存在に気づいた佑月さんは、座敷に上がってリモコンを手にした。春野が慌てる。

「佑月さん、違うんです。私たちが見ようって言ったんです」

「あら、そうなの? でもバラエティ番組のほうがいいんじゃないかしら」

「……」

 なんとも答えられない。テレビを注視する神谷を、春野もすでに不審がっているようだ。

「あの、佑月さん。神谷は……あー、妹さんはニュースが好きなんですか?」

「あー……」

 佑月さんは眉尻を下げ、寂しそうに笑った。しまった。訊いてはいけないことだったのか?


 神谷の長い髪をそっと梳きながら、しかし反応のない神谷に佑月さんが溜め息をつく。

「世界情勢とか、もっと細かい事件とか、せいらは大抵知ってる。日本国内に限らずよ。でも、ニュースそれ自体が好きなのかは微妙なところ」

「それはどうして……」

「学校で、せいらがつまらなそうにしてる時、ある?」

 つまらなそう? あったか?

「退屈してたり、無表情だったり」

「あー、そういえば」

 春野が記憶を辿るように言う。

「文化祭の準備で、せいらちゃんやることがなくて、暇そうにしてたから衣装の裁縫を……」

 そんなこともあったな……。結局どうなったのか。

「授業中とかはどうだっけ?」

「いや、こいつは寝てる時もあるけど、遊んだり先生を困らせたりしてるケースも多くて、そういうときはかえってイキイキしてる」

 迷惑極まりないが、寝てるときはほっとけば済む話なのでまだいい。俺もたまに寝るし……。

「あとは……最近でいうと、私達が企画してた横で、ぼーっと考え事してたこととか……」

「ああ。どこか遊びに行こうってやつな」

 お茶会とやらで神谷が外に追い出されるイベントな。今年は春野と過ごすらしいが。

「日曜日のことかしら。雨の予報だけど……」

「はい。親戚が集まるとかなんとか……。でもそれが何か関係あるんですか?」

 佑月さんは神谷の絡まった髪先を解きながら答えた。

「せいらは、事件そのものが好きなんだと思うの。ニュースで報道されるような。信じられないことがたくさん起こるでしょ? とくに都市部では爆発とか、縁遠い非日常がたくさん」

「?」

「平和が嫌いなわけじゃないはずなの。たぶん、ひたすらに退屈に感じてるんじゃないかな」

「……」

 佑月さんの言ってることは、俺にはうまく理解できなかった。それに佑月さんも気づいたらしい。

「ごめんね、私もこの子のことはまだ分からないの」

 でも考えるうちに、思うことがあった。

 それって、危なくないか、と。


 神谷の言動を紐解くことは難しい。俺はもう、それをしようなんて思わなくなったが、この姉ちゃんは諦めてないのかもしれない。少しずつ少しずつ。十五年かけて。

 ——それをしてどうするんだ?


 報道者の声。映る映像。

「でも俺は……今の神谷も退屈そうに見えます」

 自然と全員の視線が神谷に集まる。

 どこかで猫がまぬけに鳴いた。

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