準備2

 その日も、文化祭の準備は進められていた。衣装班は大方おおかたの衣装を作り上げ、今は小道具に取り掛かっている。裏方も使用するCDを焼き終え、照明器具の使い方もバッチリだ。あとは練習するのみとなった。

 

 残るは役者だが……。

「だーかーらー声を出せ」

 二週間経っても、未だ奴は怒られている。

 岡村さんも怒り疲れてきたのか、語気が初めの頃より荒くなくなった。村上はそのことにホッとするではなく、逆に申し訳なさそうにしていた。


「どうしようか……。今さら交代なんて出来ないし……」

 春野が俺の袖を引いて、コソッと呟いた。

 うーんと唸る。隠しマイクでも彼に付けるか? 他の役者は付けてないのに? 浮きはしないだろうか……。

 

 その時、村上の背後にニュッと突然神谷が現れた。定番の現れ方だな。

「なぁに? 声が出ないの? マイケルくん」

「おお神谷……。マイケルじゃないけど、そうなんだよ……」

「あたしが出させてあげようか?」

 え、と村上が目を丸くする。その表情は希望に輝いていた。

「そんなことできんの? お、お願いしやす!」

 にっこりと神谷は満足そうに頷いた。

「じゃあ、両腕あげて」

「?」

 きっと藁(神谷)にもすがる思いなのだろう。彼は素直にその通りにした。

 岡村さんが、自分にできなくて何故神谷にできるんだ、と首をかしげて見守る中、村上の脇に神谷の手がスッと伸ばされた。

「なっ——⁉︎」


「ほーれ、こちょこちょこちょ〜〜」

 神谷が村上をくすぐる。村上は転げ回った。

「ぎゃぇあぁぁぁああっはっあはっっ」


 ……見るも無残むざんな姿だった。

 しかし岡村さんは、村上のその絶叫に、目を丸くした。

 そう、今までとは比べ物にならないくらい、大声だったのだ。

「なんだよ! 出るじゃんか!」

「んなこと言ってねーで、ギャハハは、早く助け、ハアハハハ、ろーーーーー‼︎」

 ギェーーーーーーという彼の叫びが、教室に響き渡った。うるさい。

「人は危機にひんした時、限界を突破することがあるんだよ」

 神谷がくすぐり続けながら、いっそ残酷とも言える台詞せりふを吐く。確かに奴は今、危機に瀕しているけれど。

「げーぇっっっへへへぁはハハハハ‼︎」

 笑い方がきもい。てか、そろそろやめてあげて。


 やっと解放された村上は、床に大の字になって、死んだ魚みたいになった。魂が抜けている。

 岡村さんは「やれやれ」と村上を足で転がしてどけると、神谷に向き直った。

「神谷のおかげで桃太郎はなんとかなりそうだよ。ありがとう」

 しかし、神谷はキョトンとした。桃太郎? 何のこと? といった感じだ。……お前、分かっててやったんじゃなかったのかよ。ただ声を出させただけかい。

「まぁ、でも……」

 岡村さんは、足元の村上を溜め息混じりに見おろした。

「コイツの台詞の度に誰かがこっそりくすぐらなきゃね」


 それは無理がある。

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