体育
その日の体育は男女共同となった。なんでも、女子の体育を受け持つ先生が風邪をひいたらしい。男女で授業内容も進行状況も違うので、その日限定でドッヂボールをすることになった。もちろん男子対男子、女子対女子だ。
「ほら、せいらちゃんはあっち! 女子に紛れようなんて百年早いわ‼︎」
例外はいるけど。
もうお察しの方は多いと思うが、神谷は人間離れした運動神経の持ち主だ。平気で屋上の飛び降り防止柵の
正直、男子も負けると思う。
「神谷! お前は俺たちのチームだ!」
「いや、俺たちだ!」
「こっちに来い!」
勝ちたい男子達は、神谷を味方に引き入れようとする。神谷にボールを当てられるなんて恐怖でしかないようだ。皆必死の表情である。
「えー、やだなぁ、あたし超人気者じゃーん」
神谷はへらへらと、どちらのチームに入るか迷っている。
……よし、ここは相手チームには悪いが、
そう、たった一言。
「神谷」
「ん?」
「俺の方に来い」
周りはまだ騒いでる。
神谷はキョトンと俺を見つめ、次いで、にんまり笑った。
「うん! いいよ! 陽介の頼みとなら、仕方ないねぇ」
ふふふ。ほらな、これが十三回も隣の席になった俺の力だ。このくらいは
「ああくそ! 陽介にしてやられた!」
よっしゃー! と喜ぶ者と、頭を抱えて嘆く者。きれいに分かれた。
「よし、こうなったら、渡辺! お前も俺たちのチームになれ!」
「そうだそうだ! 神谷連れて、一緒のチームだぁあ!」
今度は俺の取り合いが始まった。
えぇ〜……。結局かよ……。俺の行動の意味は……。
ピピッと笛が鳴り、俺達はハッと動きを止めた。先生から、早くしろとの注意だ。
渋々位置に着く。相手の奴らは、俺達を引き入れられず、心底悔しげだった。
再び笛が鳴る。
——試合、開始。
「うおおおおおおお」
ボールは敵からだ。野球部の奴が、始めから全力投球してくる。狙うはもちろん神谷。早々に退場させたいのだろう。
しかし甘いな。いくら野球部のピッチャーで、希望の光だろうと、神谷の反応速度は神レベルだ。
「よっと」
案の定、身体を捻らせただけで、ほとんどその場から動かずに回避する。ボールはそのままの威力で、外野に渡った。
「ここはチームプレーだ! 受け取ったらすぐに内に戻せ! 体勢を立て直す暇を与えるなぁぁあ!」
すかさず外側からボールが神谷に迫る。が、これも当たらない。
また野球部の奴にボールがいく。そして投げる。避ける。投げる。避ける。
神谷は難なく避け続ける。
「なぁ」
俺の横にいた奴が、こそっと耳打ちする。
「これってドッヂだよな?」
「……お、おう」
「キャッチボールじゃねぇよな? オレ、立ってるだけじゃ寒いんだけど」
やることがなくて、俺たちは端に突っ立ってるだけだ。確かに、これでは野球児と外野のキャッチボールだな。神谷は障害物にもならないくらいに華麗に避けてるし。
「おおーい、神谷! 避けてばっかりじゃなくてキャッチしろ! そして俺達にボールまわせ!」
痺れを切らした一人が、神谷に向かって叫ぶ。
「えっ、だってコレ痛そうだよ⁉︎ さっきからあたし、外野の中野に感激してるんだけど。よく取れるねぇ」
言われてみれば……。中野の手、真っ赤だけど。
「そんなか弱い女子じゃねーだろお前は! 突き指しても秒で治すくらいの根性見せやがれ!」
ええぇ〜……同感。
「んもぅ、しょーがないなぁ」
神谷は少し嫌そうな顔をして、ボールに向き合った。
取るなら野球部じゃない外野の方からだ。中野はボールに触れた瞬間、肘を引き、投げる構えに入った。神谷は街中を歩くみたいにラフな体勢だ。
その目がキラリと光る。
中野の足が競技線ギリギリに置かれ、体重を前に移していくのと同時に、彼の視界からターゲットが
「え」
一瞬の困惑によって威力がほとんど失われたボールが、彼の手から離れていく。
そして彼の足元、本当に真下から、白い手がニョキッと生えて、それをキャッチした。
「なははー! びっくりした?」
「お、お前! どっから⁉︎」
中野が驚きすぎて尻餅をついた。青ざめている。いやぁ、笑えるなぁ。
端の方で眺めてた俺からしたら、神谷のそれはもう、気持ち悪い動きだったよ。
早技すぎて予想込みだが、まず深く腰を落とし、そこから地面にほぼ平行に身体を傾けて走る。足元まで接近することで彼の視界から外れ、急ブレーキをかけて上に跳躍。キャッチ、というわけだ。
単純な動きだが、真似できるものではない。
「神谷はナニモノになるつもりなんだ……?」
それな。
敵チームは、この世の終わりのような顔をして、一斉に隅に固まった。そこで「お前盾になれ」「お前がなれ」とか喧嘩している。
「じゃあ、背番号八番、神谷せいら、投げまーす!」
ひぃっっ! と敵からと、何故か味方からも悲鳴があがる。
「とぉおおおりゃぁああああ」
「——いぃやぁぁぁあああ!」
まるで、車から降りた貴婦人がレッドカーペットを歩く際、カーペット沿いに整列している護衛官のように、ボールが迫った途端、相手チームはボールを避けて二手にザァッと分かれていった。その見事な整列っぷりに、思わず「おおっ」と漏らす奴も少なくなかった。
というわけで、神谷のボールは誰にも当たらず外野に渡った。が、しかし。
「お、俺あたった!」
一人が、手を挙げて宣言する。
「こう……鼻先をだな、掠ったというか……」
嘘つけ。おめーらボールと一メートルくらい距離あっただろうが。何故自分から負けるようなことするんだ?
だが、他の奴らまで、次々と、俺も俺もとコートを出て行こうとする。
なるほどな、と隣の奴が
「あいつらはゲームに勝つより、神谷のボールに当たらないことの方が重要だと踏んでるのか」
そうか。確かに、我が身が可愛ければ、当たらずに外野にまわる方が得策だ。
しかしその場合、もともと外野の奴は交代でコート内に入ることになる。
「おらぁ! 何言ってんだ! オレはちゃんと見えてたぞ! 訓練されたみてぇに避けてたじゃねーか!」
ほらほら。中に入りたくないからと、外野が味方の不正を告発する。仲間割れが始まった。ぎゃーぎゃー俺たちを無視して、内野と外野で喧嘩する。さっきまでの団結力はどうしたんだ。
神谷は飽きたらしく、女子のところに行って迷惑をかけ始めた。が、男子達は気づかない。
「はあ……」
なぁ、もうなんでもいいよ。とにかく動かないと、こちとら寒いんだよ。
春野の助けを求める視線をチクチクと感じながら、俺は青い秋空を見上げた。
今回の勝負、神谷の一人勝ちだった。
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