実行委員

 この私立鳥谷学院中等部は、今年設立九十年目の、ここらへんではかなりの名門校で、ここに入り高等部を卒業できれば将来安定とも言われる。全中等部生徒数は約三百名と、やや少なめ。俺は親に勧められて、必死に勉強し入学した。神谷も「祖母がさ、ここに行けって言うから。ま、どこも行きたいトコ無かったから別にいっかーって」らしい。完全舐めてやがる。

 その鳥谷に今日も朝がやってきて、生徒がどんどん校門をくぐる。



 突然だが、神谷せいらの登校は変わっている。というかおかしい。

 まず家を出ますね。ほうほう。そこからダッシュ。わお。木に登ります。……へぇ。山道を最短距離で進みます。とても人が通れないところも通ります。……。学校が山に面しているので、そこまで木を伝っていきます。猿? 門を飛び越えます。いろんな物を足場にして校舎の壁を登っていき、三階の廊下の窓に手を掛けます。そこから中に入って、教室に到着。

 彼女にとって教室の入り口はドアではなく、窓なのだ。

 ……ホント、人間業じゃない。

「おはよー、陽介」

 ほら、そんな主人公のおでましだ。あ、頭に葉っぱ飾ってる。似合うよ。

「もう秋だねー。豆腐屋のおばちゃんの服が赤になったよ」

 判断基準がおかしいねー。

 俺は、十三回も隣の席になったせいで、神谷に懐かれていた。別に悪い奴ではないから適当に受け流してるけど、神谷と話していると他の男友達が寄ってこない。それが非常に困る。曰く、「神谷とまともに話せるのはお前しかいない!」だそうだけど、これは慣れだ。三年間隣だから出来る技なだけだ。俺が特別なわけじゃない。

 それに、まともに話せるのは俺だけじゃないぞ。

 誰かって?


「あ、せいらちゃんおはよ!」

 せいらに駆け寄ってくる小柄な人影。名前は春野はるのこころ。「身体は小さいけど心はデッカイ!」と自己紹介で言っていた通り、小さい。中肉中背の俺の肩くらいしか身長がない。彼女は今年初めて神谷と同じクラスになったのだが、神谷と普通に話せる。というか何故か神谷に懐いてる。

「せいらちゃん、宿題やってきた?」

「うん。理科で何でも良いから観察しようってやつだよね。ほら」

「…………なあに? それ」

「見ての通り猫観察日記だよ」

 そんな宿題出されてない。

 春野がどれどれと神谷の日記とやらを覧る。

「なになに。『九月六日。家に野良猫が遊びに来た。よく見かける猫で、白と茶のまだら模様のヤツだ』」

 チラリと覗くと、紙の右上に猫の絵が描かれていた。全体的にバランスがおかしいのだが、部分部分がすごくリアルに描かれていて、上手いのか下手なのか判断しかねる絵だ。

『一週間前、此奴こいつが池で溺れていたから助けてやった。一か月前は他の猫と喧嘩していて、あたしが止めてやった。さらに一年前は今の三倍くらいの大きさまで太ってて、笑ってやったら、以心伝心して仲良くなった』

 ……どんどん遡っていくのな。しかも最後の文の繋がりが意味不明だ。これは果たして日記と言えるのか。つーか、猫の何を観察したんだ? 完全に『あたしと猫』じゃないか。

 俺は呆れたが、春野はそうではなかったらしい。目を輝かせている。

「すごいね! 五年三か月と五日前まで書かれてるなんて!」

 なんという微妙な数字。そんなにその猫のこと憶えてたのか。確かに、それはすごいな。

 神谷がにやりと笑む。

「まあね。あたしとそいつの絆は海より深いから。ま、そいつもうすぐ寿命なんだけど」

 おい。あっさり言ってくれるな。海より深い絆はどうした。

「でもね、せいらちやん、宿題は『犬観察日記』だよ?」

「まじで?」

 まじで? 知らん知らん、そんなの。俺やってねーよ。

「まぁ、犬も猫も同じ哺乳類だし、いいんじゃない?」

「そっかぁ」

 そっかぁ、じゃねーよ。俺達一応三年だよ。滅多めったなことがない限り受験無しで高等部進学だけど、だとしても内申点ないしんてん気にしろよ。てか何で三年にもなって犬を観察しなきゃならねーんだ。


 神谷は興味が失せたのか日記帳を鞄に放り入れると、春野の肩を勢いよく掴んだ。

「それよりこころ! もうすぐ文化祭だよね? 文化祭って、あたし達何すんの?」

「え? まだ決めてないよ? 今日の五時間目に実行委員を決めて、それから出し物決めるんだよ」

「あたし実行委員やりたい‼︎」

「ええ⁉︎ せいらちゃんが⁉︎」

 春野は微妙な顔をした。せいらちゃんが実行委員なんて出来るの? といった顔だ。やめておいた方が良いだろ。これは個人の問題じゃなくてクラスの問題だぞ。神谷にやらせたらとんでもないことになるのは目に見えてる。俺は断固反対だ。が。

「いいね! せいらちゃんがやるなら、私も立候補しようかな」

 はやまるでないぞ、春野。

 神谷と一緒に実行委員なんて、精神がもたないだろ。

 ……いや、そうでもないか。俺は溜め息を吐いた。


 春野こころ。彼女が神谷と仲が良いのには訳がある。初めの出会いは一年の頃だったという。

 その頃春野は、背の小ささを馬鹿にされていた。よくあるやつだ。名門校といえど、中学一年生。子供は子供。精神的には他の子となんら変わらない。という訳で、彼女は高いところに私物を置かれて困っていた。そこへ神谷が通りかかる。背の高い神谷は、背伸びしたらすぐ届く高さだったため……春野を肩車して取らせてやった。らしい。『あたしの身長プラスあんたの座高ざこうだから、二メートル近いねぇ。巨人だ』。それからというもの、春野は神谷とつるむようになった。

 そう、春野は変人好きなのだ。

 よって俺なんかよりよっぽど強い。精神面が。


 その時チャイムが鳴った。生徒達が一斉に席に着いていく。

 

 ……この後はもう皆さんお判りだろう。

 宣言通り、神谷が実行委員に立候補したが、やはり反対意見多数で可決されなかった。正しい判断だと俺も思う。そしてその代わりに春野が実行委員となった。春野に神谷がくっついてきそうだが、まぁ、まだ良しとしよう。

 ——そこからだ。女子生徒一名は少ないため、男子も一人決めなければならなかった。しかし、大抵こういうのは中々決まらないもので、クラスを引っ張っていくようなリーダー性のある奴はおらず、誰も手を挙げなかった。よってくじ引きになったのだ。誰が今年の文化祭実行委員になるのか。居残りも多く、責任重大、やることたくさんの、超面倒くさい役に一体誰が——。

 


 はいはい、やりゃあいいんだろ。

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