第一幕

変人

 白チョークの粉が黒板を滑り落ちていく。粉受けに、力強く黒板消しが叩きつけられ、生徒の肩が大きく跳ねた。

 俺の気分とは裏腹に、今日は気持ちの良い秋空だ。……あったかいよ、確かにそうだけどさ、ほんっとどうにかならねーのかな。


 

  俺の名前は渡辺陽介わたなべようすけ。学年に必ずいるであろう、あの渡辺だ。普通だ。趣味はゲーム。普通。好きな食べ物は肉。普通。家族構成は父母に妹。普通。これといった特技も無いし、かっこいいとか言われたことない。運動能力も学力も、良くもなく悪くもなく、だ。

 ……うん。これ程までに聞く意味のない自己紹介は無いな。やめよう。自分で言っていて悲しくなる。

 ただ、俺にだって人と違った経験をしたことくらいはある。


 例えば、同じ人間と三年間同じクラスで、隣の席になった回数が今のところ十四回中十三回、とか。


 まじでなんの呪いなのか。因みに十四回中一回は、名前順で座ることになった時だった。



 今も隣でぐーすか居眠りをしている彼女の名前は、神谷せいら。俺はこいつをたった二文字で言い表すことができる。

 つまり、——変人だ。


 実は今、寝ている彼女の前に先生が立っている。額に青筋を浮かべて。当たり前だろう。授業中に三回注意されてもまだ寝ているのだから。一年の時から数えれば、この先生からは軽く二百回は注意されてる。

 そして今授業四度目。また懲りずに起こそうと、先生は神谷を揺すっているわけだが。

「くわぁ〜みぃやぁぁ〜? いい加減起きろよぉ〜?」

 必死に怒りを抑えながら言う。なんか、こっちのが寝起きみたいな言い方だな。

 先生が神谷を揺らし続ける。机までガタガタ揺れるレベルになった。

「おおぉ〜い」

 その時、ぱちりと神谷の目が開いた。

「うっわ地震か」

 次の瞬間、彼女は机の下にいた。早技。目が追いつかなかった。早技すぎて先生までもが固まる。

「ん、あれ、おさまった。なーんだ」

 なんだとは、なんだ。

「やっと起きたか……。もう絶対寝るなよ、いいな!」

「あれ? 今数学だったの? 何で村上先生いんの?」

 神谷が首を傾げる。……あーあ。また先生の額に青筋が……。

「村上じゃない。八城やしろだ!」

 全然違うじゃねーか。何で間違えたんだよ。

「八……城?」

「覚えてないのか⁉︎ 担任‼︎ 三年間国語を教えてきただろ⁉︎」

 ——国語。数学じゃなかった。

「お前の記憶はどーなってんだよ⁉︎」

「……やだなぁ、八城先生ったら、忘れてるわけないじゃん。冗談だよ冗談」

 怒られてる状況でよく冗談言えるな。

 すると、くるっと神谷は身体の向きを変えて、後ろのやつに笑いかけた。

「ね、八兵衛はちべえくん」

 ——神谷、そいつが村上だよ……。

 とまぁ、ここまででも分かる通り、神谷にあれこれ注意しても無駄なのだ。ほとんどの先生生徒が諦めている。この八城先生さえも最近疲れてきたようだ。


 でも、こんなのは序の口。

「神谷。寝てた罰として、この問題解いてみろ」

 先生が黒板に白チョークで何やら文字を書く。

『薬罐』

 何だろ。なんでこの漢字チョイスなんだろ。

 神谷は、なーんだ簡単だよ、と言って椅子に片膝を立てた。

「やかん」

 ああ、なるほど。確かにそんな気がする。俺が知ってるのは薬缶の方だったから、分からなかった。

 そう、実はただのアホなんじゃないかと何万回と疑ったが、残念ながら神谷は勉強が出来た。常に学年トップスリーだ。大抵居眠りしているか遊んでいるのに、しかも家で勉強しているとも思えないのに、何でか点数は良い。世の中舐めてんのか、って言いたくなる。

 何が言いたいかというと、つまり、神谷はアホじゃなく変人なのだ。だから——。


「……と言えばさぁ、この前うちの校長が捨て猫拾ってー、その猫が黒猫で凄い可愛いの。でも名前がダッサいんだよ。校長が付けたらしいんだけどねー、何ていうと思う? 『ブラックサンダー』。あっはっは、チョコのお菓子を思い出させるよね」

 ほらね。

 まったく……君の脳内はどうなってるんだ? 『と言えば』って、やかんとその話に何の関係があるのか。どう連想すればそこに行き着くのか。しかも内容がもの凄くどうでもいい。

 先生さえもフリーズしちゃってるその間も、神谷は延々と喋り続けている。全然授業が進まない。

 

 とりあえずは、こんな彼女が主人公だ。

 

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