隣の変な奴

あさぎ

開幕(読み飛ばし可)

俺の知ってる神谷せいらという人物

 さわさわと木々が揺れ、千切れた葉が庭の小池に舞い落ちる。波紋が広がり、水面に映る少女の顔を歪めた。面白くて、近くの枝でぐるぐる水をかき混ぜたら、自分の姿も中の魚も、驚き散っていった。水面が鎮まり再び顔が形成されるまで待っていると、向こうの方から姉の声が聞こえてきた。

「せいらー、どこー?」

 少女は立ち上がった。池の中の自分から目を離し、声がする方へと駆ける。


 縁側に飛び乗り、靴を放り脱いで障子を開けば、畳の独特の匂いが肺をいっぱいにした。

 畳の小部屋を通り抜け廊下に出ると、視線の先に着物姿の姉を見つけた。紅い布地に、淡い色の花や鞠の模様が描かれている。癖っ毛も綺麗に結い上げられており、着物と同じがらの髪飾りがつけられていた。

「姉、あたしここ」

 少女が呼べば、ちょっと目尻を吊り上げて姉は駆け寄ってきた。

「もう、どこにいたの? 着付けするから、早くおばあさまのとこへ行って」

「あたしも着物きるの?」

「当たり前でしょ。今日は二年に一度の集まりなんだから。親戚も知人もたくさん来るんだよ。ちゃんとした格好しなきゃ」

 姉は少女の手を引いて歩き出した。少女も素直に連れられて、裸足でペタペタ廊下を歩く。


 

 祖母の居る西の間はいつもしんとしていて、海の底もこんなかんじなのだろうか、と少女は来る度に思う。足を踏み入れた瞬間、ゴポリと水の中にいるようで、水は綺麗なのに苦しい。

「おばあさま。せいらを連れてきました」

「ようやく来ましたか。お入りなさい」

 敷居をまたぎ、無造作に少女はその部屋へ入る。姉はきちんと床に膝をつき、手を添えてお辞儀をしてから入った。その二人の違いに、祖母はやや眉を寄せたが、何も言わなかった。

「せいら、こちらにいらっしゃい。急いで着付けを済まします」

 そう言うと、たんすから水色の布を引っ張り出し、少女の足元に広げた。

 水色の布地には花模様が散りばめられている。サイズも丁度良さそうだった。姉は「かわいい」と感嘆の声を上げたが、少女はチラリと視線を向けただけで、「ねこまんまー」と今庭に入ってきた野良猫に興味を示した。見事に着物をスルーして、裸足で庭に飛び降りる。

「こらっ」

 足の指先が地面すれすれのところで、祖母がむんずと少女の襟首を掴んだ。そのままポイッと部屋に投げ入れる。

 しかし少女は畳に倒れ込むことはなく、半回転して綺麗に着地した。

 野良猫が逃げるように去ってしまい、少女は舌打ちする。

「時間が無いのです。じっとしていなさい」

 大の字に畳に倒れて、少女はぶすくれた。

「やぁだーあたしコレきたくないー」

 姉が、え、と不思議がる。

「なんで? 可愛いじゃない。きっとせいらに似合うと思うよ?」

 少女はふるふると首を振る。

「やだー。だって姉、動きにくそうだもん」

「動きにくそう? そうかな? でもせいら、今日くらい我慢して着て、みなさまにご挨拶しなきゃ。ねぇ、おばあさま?」

 姉が祖母を見やると、祖母は少女をじっと見つめていた。少女も上目遣いに見返しながら、とてとてと祖母に近寄って、広げられた着物を指差した。

「これ、はおるだけなら良いよ」

「よしなさい。羽織る物じゃありません」

「じゃあ明日、お空を飛ぶよていだからパラシュートがわりにちょうだい」

 一瞬時が止まった。

 姉が「空……?」と首を傾げる。

 少女の台詞を反芻して、ようやく祖母は額を押さえた。

「そんな馬鹿なことやめなさい。それからそんなことにこの着物は使わないで。……いいでしょう。では、こちらを着なさい」

 祖母は溜め息をいて、今度は違うたんすから灰色のワンピースを取り出した。胸に白色のりぼんが付いている。

「ズボンは無いんかい」

「無いです。その口調やめなさい」

 少女は渋々ワンピースに着替えた。水色の着物が仕舞われるのを、姉は残念に思った。せっかく彼女のために仕立てられたものなのに。


 着替え終えると、祖母が「座りなさい」と畳を指でとんとんと叩いた。姉妹が祖母の目の前に座る。

「せいら、胡座あぐらはかかない。みっともないですよ」

 注意され、少女は胡座をかくのをやめた。かと思うと、正座した姉の膝の上にストンと腰を下ろした。姉のあごの下に少女の頭がはまる。

「あのね、せいら。私は椅子じゃないんだけど」

「しばしがまんせよ」

「暫しって……どこでそんな言葉覚えてくるの……」

 姉は諦め、少女の腰に手を回して抱き抱えた。祖母の言葉を待つ。表情から、どうやら祖母も同じく諦めたようだった。

「二人共、よく聞きなさい。本日は沢山の方にお越し頂きます。皆様にご迷惑をかけないように、そして神谷かみやの名を穢さぬように、細心の注意を払いなさい。いいですか、せいら」

「うい〜」

「何ですかその返事は。まったく……あなたが一番の不安要素なんですよ」

 少女はムッと口を尖らせた。

「そりゃあたしはいちばん歳下だけどさー、そんな心配しなくて大丈夫だって」

「歳じゃなくて、あなたの性格に不安要素があるんですよ」

 表情ひとつ動かないのに、背筋が伸びるような低い声に、姉の手に汗が滲んだ。

「ドキドキのパーティーだね」

 ……妹は気にしてないようだが。

「ドキドキというかヒヤヒヤですよ……。せいら、あなたは佑月ゆづきと行動なさい。一人で勝手にふらふらしてはなりません。佑月はせいらが何も騒動を起こさないよう見張ってなさい。頼みますよ」

「はい、おばあさま」

 姉は可愛らしく微笑み、うなずいた。

 


 ——さて。果たして、この茶会は成功したのかどうか。

 残念ながら……失敗だ。

 この後、神谷家はとても後悔することになる。なぜ少女を奥に引っ込めていなかったのか、と。

 少女は言いつけを守り、ちゃんと姉の佑月と共にいた。暴れもしなかったし、姉や家族に反抗もしなかった。

 

 しかし駄目だった。

 一見普通の可愛らしい子供でも、口を開けたら最後、普通じゃないことがすぐバレた。言動の「動」はまだましだったが、「言」が完全アウトだったのだ。

 

 それからというもの、少女がこの茶会に参加することはなくなり、そして少女もこれを反省した。


 ……のだったら良かったのだが。

 家族がどんなに死力を尽くしてその奇妙キテレツな性格を矯正しようとしても、少女の変人さはどんどん悪化していった。

 少女——神谷せいら——この時五歳。

 

 

 そんな少女も、すくすく育って今や中学三年生。この鳥谷とりや学院中等部に入学して三度目の秋が訪れる。

 さぁさぁ始まる物語。神谷せいらの快進撃かいしんげきの幕開けでございます……。

 

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