考え事

「陽介ぇぇぇ」

 放課後、他に誰もいない教室で春野と俺が今年の文化祭の計画を立てていると、神谷が長い足でドアを開けて、教室に入ってきた。

「ソーダ、あける」

 どこで手に入れたのか謎なペットボトルのソーダを俺に渡して、単語で開けるよう命じる。振って振りまくって、開けた瞬間に飛び出すようにしてやろうか。

「んで、出し物は決まったの?」

「クラスでのは決まってないけど、学年全体では演劇をする事になったよ。どのクラスが優秀賞を獲得できるか競争するの」

 へーえ、と適当に神谷が返事をした。椅子の背にもたれ、ギシギシと揺らしている。ペットボトルを渡してやると、無表情で飲み始めた。

「演劇の内容は?」

「桃太郎。でもアレンジ可で、それぞれオリジナルの桃太郎を作ろうってことになったんだよ。明日のホームルームで役決めるから」

「ふーん」

「せいらちゃんは何がいい?」

 そーだなー、と言いながら、神谷は机に、組んだ足を乗っけた。これがコイツのいつもの姿勢だ。

 手に持ったペットボトルを口元に移動させ、結局飲まずに机に置く。俺はどんどん炭酸が抜けていくのが心配だった。

 窓の外で、野球ボールの打たれた音が気持ち良く響いた。もう野球部は部活動を開始しているようだ。

「飛んだねぇ……」

 ぽつりと神谷がぼんやりした目で呟いた。それから、

「あたしはあたしを演じる。主役を任されたら、其奴そいつは桃太郎じゃなくて神谷せいらだ」

「はーい、じゃあせいらちゃんは裏方っと!」

 春野が名簿帳の神谷の欄に『裏』と書いた。

「えー、あたし鬼退治したかったのに。鬼ヶ島行きたかったのに」

「せいらちゃんが鬼退治なんて、鬼が可哀想でしょ。ねえ、渡辺くん?」

「うん」

 神谷は桃太郎というより鬼のほうが似合う。

 それに、すでにお前は主役だし。劇でも桃太郎ったら、主役が被るだろ。

「ちぇー」

 神谷がそれほど悔しそうもなく言う。目は野球ボールが飛んだ空を見据えたままだ。

「オリジナルの桃太郎かぁ……」

「そうそう、お話つくるのが大変なんだよねー。せいらちゃん良い案ない?」

「ある」

 お前の『ある』は無いのと一緒。

「こんなのはどう?」

 そう言って、神谷は空から視線を外し、春野にぐいと顔を近づけた。俺は神谷の案なんかより、抜け続ける炭酸が気になる。飲まないならキャップしろよ。

 そうして、神谷は人差し指を立てて、語り出した。


   * * * * *


 ——お前の発想力スゲェ‼︎ こんなにもめちゃくちゃな話がよく思いつくな!

「まぁ、却下だな」

「却下だね」

 宇宙と交信し始める桃太郎なんて嫌だ。

「えー」

 駄目かなぁ、と神谷はまた椅子を揺らしながら、炭酸を飲んだ。

「あれ? あんまりしゅわしゅわしない」

 だろうな。

 こいつは放っておくとして、俺と春野は再び話づくりに悩んだ。

「うーん……。もう普通の桃太郎でよくない?」

「でも皆知ってる話だしなぁ……」

「じゃあ、ザ王道『オリジナル桃太郎』にしますか!」

「ザ王道?」

 春野はにっこりと頷いた。

「そう! 鬼の視点で話が進んだり、桃太郎が悪役だったり、そーゆーちょっと考えれば思いついて、皆ってみちゃう、王道の桃太郎! これなら、クラスのみんなの反対も少ないだろうし、一応オリジナルだから、そこそこ観れる作品になると思うんだよね」

 なるほど。オリジナルの中の王道、というわけか。

「いいね。そうしよう」

 少なくとも、神谷の案より何倍も素敵なアイデアだ。


 それから、俺と春野は生徒会に掛け合ったり、先生に明日のホームルームで投票を行う旨を伝えたり、文化祭までの予定を立てたりと、せわしく働いた。

 ひと段落ついた時には日はとっくに暮れていて、放送で最終下校時刻を過ぎたことが伝えられた。

 急いで帰る支度をしようと、教室に戻る。

「あれ、せいらちゃん、まだ居たの?」

 ガラリと教室の扉を開けると、俺たちが出ていった時と同じ格好で、神谷は窓の外を眺めていた。

「お前帰らなくて大丈夫なのか? 家遠いんだろ?」

 神谷は視線をこちらに向けて、よっ、と手を挙げてみせた。

「うん。三十分走れば大丈夫」

「ごめんねー! もしかして待っててくれた?」

 春野が慌てて机の上に散らかった紙をまとめる。しかし、神谷は首を横に振った。

「いんや、ちょっと考え事してたら時間経っただけだよ」

 そっかー、と鞄に紙束を詰めた春野は、笑顔のまま固まった。

 俺の手から筆箱が滑り落ちて、バラリと床に散らばる。

「……」

「陽介? 筆箱落ちたよ」

 神谷が拾おうと手を伸ばしたが、春野に肩を掴まれてはばまれた。

「——せいらちゃん? 今なんて言った?」

 さしもの神谷も面食らったようで、目をパチクリさせる。

「は? 筆箱落ちたよって」

「いや、その前!」

「ん? 陽介を呼んだ」

「……んじゃ、その前!」

「えー? 時間が経った……?」

 じゃあ、そのさらに前だな。

 春野も諦めたようだ。

「せいらちゃん、考え事してたって言った……?」

「あー、うん。え? 何?」

 春野はわなわなと震え、信じられないという目で神谷を見た。ついでに声にも出した。

「何⁉︎ 考え事って何⁉︎ 何を企んでるの⁉︎」

「ど、どしたの、こころ。なんにも企んでなんかないって。あたしだって考え事くらい……」

「嘘だぁ! せいらちゃんはそんなこと絶対にしない!」

 断言された。

「何か企んでるんでしょ。ほら言ってみなさい! 文化祭めちゃくちゃにしたら怒るからね!」

 ガクガクと肩を揺さぶられ、神谷の首がもげそうだ。

 はじめのうちは神谷も意味がわからないといった表情だったが、みるみるうちに口端を吊り上げ、にやぁと笑む。嬉しそうだった。気持ち悪い。

「あっ、ほら! 笑ってる! やっぱりしでかす気でしょ!」

「違う違う」

「ほんとにぃ〜?」

「うん。秋だなあって考えてただけ」

 まぁ、お前は半袖だし、右手には空の炭酸ペットボトルだけどね。

「秋? ……がどうしたの?」

「いやぁ、まだ先の話なんだけど、文化祭の一週間前の日曜日に、二年に一度の茶会があってさ、うちに親戚とかお世話にたった人とか来るんだけど」

「へぇー!」

「それでね、豪華な料理が出されるのに、あたしは何故か毎回引っ込んでろって言われてて」

 そっかー、と神谷に合わせて眉をハの字にする春野も、内心『だろうな』と頷いているに違いない。

「遊園地に行けとか、海で釣りしてこいとか、お金は渡すから一日中帰ってくんなとかさぁ。毎回楽しんでるわけだけど」

 なるほど。家に居られると困ると。

「今年はどうしよっかなー、って」

「ふ、ふーん……」

 正直どうでもよく、神谷にしてはまともな考え事だった。春野もどう反応すればいいか迷ってるようだ。


「でね、今年はこころと陽介とどっか遊びに行きたいな」


 ……………………え。

 神谷は茶目っ気たっぷりに笑ってみせた。屈託くったくない笑顔の彼女は、しかし俺には閻魔大王に見えた。

 嘘だろ。お願いします、嘘だと言ってください。この面子メンツで遊ぶとか無理。たぶんその日、俺死ぬ。

「いいね! 予定空けとくよー。渡辺くんも行けるよね?」

 純粋に神谷を好いている春野は、地獄の使徒か。

 俺は盛大に頭を振った。

「ごめん。その日は予定ある! どんな時間も空いてない! 超絶忙しい!」

 断固拒否すると、えー残念、と春野は諦めてくれた。

「あれ、でも第二日曜日だよ」

「……?」

「今朝、八城だか村上だかに予定聞かれて、手帳のカレンダーのその日、空白じゃなかった? 陽介?」

 ぎくっ。

 てんめぇ……なんつー細かいとこ覚えてんだよ! てか、人の手帳を盗み見すんな!

「いやいや、ついさっき! 本当ついさっき、予定入った!」

 それでも食い下がる俺に、神谷は一つ瞬きすると「まぁいいや」とやっとこさ言ってくれた。

 ホッと胸を撫で下ろしていると、神谷は立ち上がり、鞄を掴んで肩に掛けた。

「んじゃ、また明日」

 窓を開けてふちに脚を掛けると、そのままひらりと飛び降りる。

 ここは三階だ。横で小さく春野が悲鳴を上げたが、階下を見れば案の定、神谷は元気にこちらに手を振っていた。

 振り返す気力もなく、俺が溜め息を吐くと、それと同時に教室の扉が勢いよく開かれた。

「オラァ! いつまで残ってんだ! サッサと帰れー!」

 しまった。八城先生だ。

「すみませぇぇぇえん!」

 俺と春野も慌てて帰途きとに着く。

 廊下を走りながら、俺は舌打ちした。

 あいつ、先生が来るって分かって逃げやがった。

 

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