第三章
カインがこの時間に来るのは四度目だ。彼はまた同じ時間を繰り返した。
エヴァの自殺は、カインに受け止めきれないほどの絶望を与えた。なぜ自ら命を絶ったのか。やはり一週間前の口論が原因だったのだろうか。出発の前に顔を見たこと、首を吊られたエヴァの肌が真っ青になっていたことから、おそらくあの後すぐに自殺したのだろう。
止めることは出来なかったのだろうか。自分が思った以上に、エヴァは繊細だったのだろうか。
疑問や憶測は留まることを知らない。だがその全てがたった一つの結論に行き着く。
――俺が殺したも同然だ。
腐敗が始まるエヴァの死体を前に、カインは二度目の自殺を決意した。幸か不幸か彼は再び十二歳の頃に戻り、そこから六年の時を経て今に至る。
彼はこの現象をループと名付けた。今回のループで、カインは過去に戻る仕組みについて幾つか分かった。
まずループのきっかけは自殺であること。それに加えて、カインの意思は関係ないことだ。最初に自殺した時、カインの中には過去に戻りたいという願望があった。しかし二回目の自殺で、彼は本気で死にたいと思ったのだ。つまりはそういうことだろう。
なぜ自殺がきっかけになるのか、他にきっかけとなる行動はあるのか、何度でも戻ることができるのか等、疑問は尽きない。だがその謎を追い求めることには、あまり興味がなかった。彼の目的はあくまでエヴァを救うことであり、それが達成できるならば利用するだけ、そう考えていた。
歳を重ねれば重ねるほど、時間が経つのは早くなると大人たちが言っていた。子供の頃は理解できなかったが、今のカインには痛いほど身に染みる。
仕事や食事、睡眠を作業のようにこなし、ただ明日が来ることを待つのは途方もない空虚さだった。
子供の頃は、無事に明日が迎えられるだけでありがたかった。だが今は決まりきった台本に従うだけで、ありがたみなど微塵も感じない。変化のない日々の繰り返しは、未知への興味を著しくなくしてしまう。
愛する人の作る料理でさえ、カインには味気ないものだった。それが態度に出ている自覚はあった。
エヴァはいつも、味が合うか聞いてきた。カインが美味しいと言うと彼女は喜んで、次の日も、また次の日も同じことを聞いた。カインもまた、エヴァの喜ぶ顔が好きだった。
だが四回目のこの世界では、最初こそそういったやり取りがあったが、しばらくするとエヴァが聞くことはなくなっていった。美味しいよ、と言う自分の顔がエヴァにはとてもそう見えなかったのだろう。頭では理解していた。しかしカインはとっくに、美味しそうな見える表情を忘れていた。
今となっては、食事中に会話すること自体が稀だ。エヴァに対する申し訳なさと、徐々に人間味が薄れていく自分に、カインはより活力を失っていった。
「エヴァ、話があるんだ」
夕飯を一緒に食べている時、カインは話を切り出した。
「なに? 改まって」
カインの神妙な面持ちに、エヴァも畏まる。
「大切な話なんだ」
今日は魔王討伐を明日に控えた夜。この世界でカインは、エヴァの作戦参加を止めることはしなかった。止めようが止めまいが、結果が変わることはなかったからだ。
三回目のループで、最初の世界のようにカインは再びエヴァと戦い、命に代えても彼女を守る決意をした。しかしエヴァはまたも魔王に殺された。前と同じく、魔王はエヴァに一撃加えたところで力尽きたのだ。カインがどれだけ抵抗しても魔王は一切怯まずに暴れまわった。そして殺した瞬間、まるで目的を達成したかのようにこと切れたのだ。
弱っているはずの魔王は、戦闘中よりも圧倒的に強力な力を持っていた。きっと何回繰り返したとしても結果は変わらないだろうと思えるほどの。どれだけ抗おうと叶わないと感じさせる力に、カインは再び希望を失いかけていた。
「俺に何か隠していることはないか?」
だが同時に得たものもあった。それは、エヴァが何か隠しごとをしているということだ。
実を言うと、カインはエヴァに対して最初から――初めて彼女が魔王に殺された時から、違和感があったのだ。
魔王の巨大な爪が体を貫く前のこと。エヴァは自分の命が危機に瀕していることを目で認識していた。にも関わらず、彼女はその攻撃から逃げようとしなかったのだ。
足が竦んで動けなかったのかもしれない。目の前の出来事を理解できていなかったのかもしれない。最初はそう思っていた。しかし今のカインは、果たしてそれだけなのかと思ってしまうのだ。
それに加えてエヴァの自殺。感情的になっていた時には気づかなかったが、後になればおかしな点が幾つもある。
自殺の理由がまず分からない。仮にカインが戦死し、その後を追ったと言うのならば理解できる。それは彼自身が身を以て経験したことだ。しかし、エヴァはその前に自殺した。無論カインとの口論が原因だということは否定できず、その可能性が高いと今も思っている。だがそれも本当にそれだけの理由なのかと、彼女の遺書も相まり長い時間の中で思うようになった。
何か秘密がある。この地獄のような世界を根底から覆すような何かがあるとカインは確信し、考え続けた。幸運なことに考える時間だけは余るほどにあった。
攻撃を避けようとしなかったこと、自殺の理由、そしてエヴァを殺した瞬間に魔王が力尽きたという事実。
導き出される結論をカインは信じたくなかった。それを否定する為にこの世界に来たと言っても過言ではない。その結論とは、エヴァが自分の死を望んでいた、ということだ。
「ない……けど」
エヴァは何を言っているか分からない、といった態度だ。
「じゃあ悩みは? 誰にも、俺にも言えないような悩みとかないのか?」
口早にカインはまくし立てる。
「どうしたの? ちょっと変だよ。ただでさえご飯食べてる時に話すことなんてなかったのに」
本当に心当たりがないのか、あるいは態度に出していないのか。いずれにせよ埒が明かない。
「……分かった。今から話すことは全部本当のことだ。少し長くなるけど、聞いてくれるか?」
エヴァは無言で頷いた。
深呼吸を一回して心を落ち着かせる。ずっと前から話す気でいたことだ。この後どうなるかという不安は、もう考えないことにした。
「俺がこの世界で生きるのは、四回目なんだ」
カインはこれまでの経緯を全て話した。自分たちが過去に魔王を倒したこと、その末にエヴァが死んだこと、自殺すると初めてエヴァと出会った日に戻っていたこと。二回目、三回目の世界で起きた出来事。
当然最初は信じて貰えなかった。しかし真剣に話すカインの表情と、妄想にしてはあまりに詳細な内容に、一応の理解は得られた。
そして、いよいよ本題へ切り込む。
「改めて聞く。何か隠していることがあるんじゃないか?」
エヴァはしばらく何も言わなかった。何を言うべきか考えているようだった。
「ないよ。隠し事なんて」
冷静で、平静で、淡白な答えだった。二十年以上共に暮らしてきたカインでさえも、言葉の裏にある感情を汲み取ることが出来なかった。
「本当か?」
そう聞くことしかできない。エヴァは頷いた。今のエヴァは、カインの知っている彼女とはまるで別人だ。
「もし嘘を吐いているなら無駄だ。エヴァが喋るまで、俺は何度だってやり直す」
脅し文句ではあったが、仮にここで話さないならそうする覚悟は出来ていた。
エヴァは再び押し黙る。十秒、二十秒、そして数分にも及んだ。心臓が高鳴る。体中の血液が沸騰するような興奮と、喉の渇きが冷静さを失わせていく。
カインはもう、彼女が隠し事をしていることを確信していた。彼の頭はエヴァが果たして話してくれるかどうか、話すとしたらどんなことを言うのだろうか、ということに集中していた。
長い沈黙を打ち破ったのは深いため息。限界まで張りつめていた糸が弛緩したような諦観の目が、カインの瞳を覗いた。
「……分かった。全部話す」
何十年ぶりに感じた昂ぶりだっただろうか。家族の死でさえそう動かなかった心が、まるで生き返ったかのように活動を始めた。
それと同時に恐怖もある。カインの仮説が本当であればどうすればいいのか分からない。天国と地獄の狭間を彷徨っている気分だった。
エヴァが口を開く。彼女の口から発される音が、スローモーションのように動き、時間の感覚を狂わせた。
唇が止まった。何か言ったのだろうか。それとも聞き逃してしまったのだろうか。
カインはもう一度言うように、エヴァに頼んだ。
わ……た……し……が……ま……お……う……
わたしが……まおう……
わたしがまおう
私が、魔王……
「そう、私が魔王なの」
それは、その言葉は、カインが歩んできた道のりを根底から覆すには、余りあるほどの事実だった。
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