第二章-2
カインは十四歳で兵士になった。
かいつまんで言うと魔物から国民を守る仕事だが、兵士と一口に言っても三つの部隊に分けられる。
馬に乗って近隣に棲息する魔物の動向を調査、監視する調査隊。調査隊の情報を基に実際に戦う討伐隊。そして負傷した兵士の治療を行う衛生部隊だ。
カインは最初調査隊として働いた。数日から長ければ一週間以上に渡って、十人前後の少数精鋭で町の外を走る。少数精鋭と言えば聞こえはいいが実態は限られたベテランと多数の少年兵という偏った構成だった。なぜそうなっているのかは単純で、調査隊が最も危険な仕事だからだ。
国の外を出るということは常に命の危機に晒されるということだ。突然魔物が現れた時の対処は訓練や経験によって身につくが、不慮の事故はいつでも起こりうる。
調査隊に貴重な熟練者を多く割り当てるのはリスクが高い。一方経験の少ない少年兵であれば多少数が減ったとしても戦力的には大きな問題にならない。それに台所事情や連携の取りやすさ等も加味した結果、今の構成になっている。非情だとは思うが、同時にその合理性にカインは感心していた。
彼のような少年兵の仕事はリーダーの後ろを食料を持って馬で走るだけだ。仕事をさせるのに掛かる教育コストが低い。その上いざという時に魔物を撒く為の餌にもなり、熟練者の生存率を上げる事にも繋がる。そんな厳しい仕事だからこそ、生き残って討伐隊に成り上がった少年兵は一定の尊敬を得られる。実際カインが十五で討伐隊になった時、小遣い程度だった給料は跳ね上がった。それでも、とても内容に見合う額ではなかったが。
エヴァは時を同じくして衛生兵になった。
負傷兵に止血や消毒等の簡単な応急処置を行うのが仕事で、比較的危険度が低い分給料も安い。
そうは言っても討伐隊には必ず帯同するから魔物に襲われる可能性は少なからずある。作戦中は絶えず負傷兵が出てくる為、下手をすれば他の部隊より激務だ。
仕事の関係で二人がすれ違うことはよくあった。だからこそ一緒にいられる時間を大切にした。
カインは既にこの世界で六年間を過ごし、二人は十八歳になった。
六年という時間は彼を子供から大人にするのに十分な時間だった。快活だった少年は理知的な顔つきへ変わり、同世代の少年少女とは比べ物にならないほど大人びた男へ生まれ変わる。それと引き換えに感情的な部分は息を潜めていった。嬉しいことや悲しいことを感じる心を失いつつある自分に、ほんの少しもの悲しさを覚える。
今日は彼にとって大事な日だった。魔王討伐を一週間後に控えた夜だったからだ。
この六年でジオニス王国の懐は更に逼迫した。その影響は貧困層の増加は勿論、貴族の破産等も相次いで起こった。このまま国力が落ちれば五年後どうなっているか分からない。そういった噂は国民の不安を煽り、一部には暴徒と化す者もいた。このままではまずいと悟った国王は遂に討伐作戦を発案した。
討伐作戦は過去に二度行われたが失敗に終わり甚大な被害を出した。その事を引き合いに出して批判する声は大勢あり、中々踏み切るまでには至らなかった。しかし魔王に関する情報量は当時とは雲泥の差だ。それに魔王を倒さなければ遅かれ早かれ共倒れするのは間違いなかった。
最終的には討伐隊の隊長トリスタンが無謀な挑戦ではないと断言したことが決め手となり、作戦が決まった運びだ。無論、実質的に拒否権のないカインとエヴァも参加することになっている。
「こうしていられるのもあと一週間だね」
作戦が決まってからの一か月、魔王の調査隊を除く兵士に休養が与えられた。その間だけはきつい仕事を忘れて、カインとエヴァは穏やかに暮らしていた。この夜は少し奮発して買った材料で、エヴァが作ったタルトを一緒に食べている。相変わらずの絶品だった。
「魔王を倒したらずっとこうしていられるさ」
この一か月の間にカインは結婚指輪を用意していた。前の世界では魔王を倒した後に渡すつもりでいたが、それは叶わなかった。だからこそ完成した時にはすぐにでも渡したかったが、それによって望まぬ方向に未来が変わってしまう事は絶対に避けなければならない。
指輪を渡した時のエヴァがどんな顔をするのか想像する事が唯一の楽しみだった。
「私、ちゃんと出来るかな」
エヴァは自分のことを過小評価する癖がある。
少し前に作戦中、エヴァが隊から逸れたことがあった。森の中を走り回って、カインは魔物と対峙するエヴァを間一髪のところで救った、ということがあった。当然それは前の世界でも起こったことではあったが肝を冷やした。その時も彼女はカインに迷惑を掛けてしまったと何度も謝っていた。そういう時はいつも決まって言うことがある。
迷惑なんてとんでもない。前線で戦う兵士なら誰もが衛生兵に助けられている。衛生兵がいるからこそ討伐隊は体を張って戦えるんだから。
しかしカインは言えなかった。
「エヴァ、話があるんだ」
空気が変わったのが自分でも分かる。カインの真剣な表情に、エヴァも思わず口を噤んだ。
「今回の作戦に参加するのを辞めてほしい」
エヴァは驚かなかった。あくまで落ち着いた口調で答える。
「それは、罰則を受けると知っていて言ってるの?」
「そうだ」
基本的に作戦への不参加はご法度とされている。戦闘員の士気を下げる可能性があるからだ。特にカインやエヴァのような身寄りのない子供は、命令を拒否すれば城を追い出されてしまう。
「……どうして?」
カインはこれまで、エヴァが作戦に参加することに対して否定的な姿勢を見せていた。しかし、はっきりと参加を辞めるように言ったのはこれが初めてだ。
「前からエヴァには戦いに参加して欲しくなかったんだ。だけど金がないから、城を追い出されると俺たちは生きていけない。でも今は苦しいだろうけど一応生活できるぐらいの金は貯まった。どうせ魔王を倒せば報酬も貰える。だから……頼む」
最初は戦場でエヴァを守れるだけの力をつければそれでいいと思っていた。しかしその方法では確実にエヴァの安全を保証することは出来ない。
もし失敗してももう一度自殺してやり直せばすればいいと思っていた。だがよく考えてみれば時を遡ることが何度も出来るのかどうか、今の彼には知りようがない。もしかしたら、これは神様が与えてくれたたった一度のチャンスなのかもしれない。そう考えると失敗は決して許されず、悩みに悩んだ末の結論が、最初から戦闘に参加させないことだった。
前の世界とは違う行動を起こすことで未来が変わるかもしれない。しかしエヴァの命を最優先に思うならば、十分負えるリスクだった。
「言いたいことは分かったけど、納得できない。もしもそれでカインが死んじゃったら、私はどうすればいいの? あなたがいなくなったら、いくらお金があっても意味ないよ」
誰に対しても温和な彼女がこんな顔をするのを、カインは初めて見た。
「……そうだな。でもお願いだ。俺は必ず戻ってくるから」
「幾らカインの言うことでも、それだけは嫌。どうしても行かせたくないって言うなら、カインも行くのを辞めて」
「それだと報酬が貰えないだろ。ただ城から追い出されるだけだ」
「カイン一人を戦いに行かせるよりは良い」
「世の中、綺麗ごとだけじゃどうにもならないのは分かってるだろ。貯えがあると言っても、二年もすれば手元には一切残らない」
「魔王を倒せば仕事は増えるから大丈夫。きっと今よりは景気が良くなってるから」
「今回、必ず魔王が倒せる訳じゃないんだぞ」
「カインが行ったら変わるの?」
それに対して、カインは何も言えなかった。エヴァは彼を傷つけたと思い、ごめん、と謝った。
「私のことを思ってそう言ってくれてるのは、分かってるつもりだよ。でももし、カインだけが戦いに行って死んじゃったら……自分のことを許せなくなる」
エヴァの言っていることは的を得ていた。自分のことを許せなくなるというのも、痛いほど理解できる。彼女からすれば、カインの言い分は独りよがりかもしれない。
「それでも駄目だ」
「どうして?」
カインは食い下がる訳にはいかなかった。なんとしてでも。
「お前がいても、足手まといだろ」
饒舌に喋っていたエヴァの口が止まる。
「愚図な治療班を庇って死んだ兵士は今まででも見てきただろ。そんな間抜けがついてきても、役に立つどころかかえって邪魔なんだよ」
今までエヴァに対して使ったことのない言葉で罵る。エヴァは何か言い返そうとしていた。しかし言葉にならず、最後には押し黙った。その目からは薄っすらと涙が滲んでいる。
「頼む、分かってくれ」
カインは頭を下げた。エヴァは立ち上がり、彼の左の頬を打った。そしてそのまま部屋を出て行ってしまった。
胸が張り裂けそうな思いだ。だがカインは、こんなことで落ち込んではいられなかった。結局、エヴァを納得させることは出来なかったのだ。ということは、作戦に参加していてもおかしくない。そうなれば元の計画通り、なんとしてもエヴァを守る。
これからはカインが経験したことのない日々が始まる。自分の知らない一日が来ることが、こんなにも不安だとは想像もしていなかった。
こんな時に、傍に誰もいない。こんな孤独感は六年ぶりだ。
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