序章-2

 夜の闇の中で激しく放たれる光。パチパチと音を立てながら堅牢な家屋を倒壊させるそれは懸命な消火作業によって、これでもかなり収まった方だ。近くの建物に燃え移らなかったのは不幸中の幸いだろう。結果として火事による死者は二人。三人家族の両親が被害に遭った。

 休暇中の中年兵士ドワイトは、燃え上がる家屋の中へ勇敢に突っ込んだことで三人家族の一人息子だけは助け出せた。少年が目を覚ますまではかなり肝が冷えた。

 目覚めた少年にドワイトはどう声を掛けるべきか悩む。この町は身寄りのない子供に優しい場所ではない。

 十歳そこらの少年が生き残る方法は二つ。城に住み込んで働くか、盗賊になるかだ。

 城に住み込みで働くのがまともな選択肢だろう。屋根のある場所で安心して寝られるのはこの方法しかない。だが今は兵士の数が足りず、健康体であれば少年ほどの年齢であってもお構いなしに前線に立たされる。健康でなかったり、兵士になることを断ったりすればその時は城を追い出されるだけだ。

 城に住めなければ盗賊になるしかない。しかし生活が困窮しているこの国では、窃盗の罪は大きい。もしも捕まえられたとすれば一生奴隷にさせられるのは間違いなかった。

 ドワイトは少年を引き取ってあげたいと思った。しかし彼にも養うべき家族が既にいて生活は苦しい。残念ながら少年を引き取れるだけの財力はなかった。

 小さなうめき声と共に少年の瞼が開く。何が起こったのか分かっていない、そんな表情だった。

「大丈夫か?」

 少年の元へ駆け寄って、ドワイトは声を掛ける。

「ここは……?」

 目の焦点が合っていない。まだ意識がはっきりしていないようで、彼が完全に覚醒するまで簡単な質問を繰り返す。

「いいか、落ち着いて聞いてくれ」

 ドワイトは少年の家が火事になったこと、そして両親は死んでしまったことを伝え、これから城へ行くように勧めた。もしかしたら心の優しい富豪が引き取ってくれるかもしれない。それが叶わなければ兵士になるしかないが、それでも奴隷になるよりは余程ましだ。そういったことを少年にも理解できるよう言葉を選んで語った。

 それに対して少年は、ドワイトの想像もしていない答えを口にした。

「おじさん、今日は何の日だったっけ」

 呆気に取られて一瞬口を開いたまま固まった。おそらく、まだ自分の置かれている状況を理解できていないのだろう。哀れな姿に涙すら滲んできそうだった。

「そういえば今日は感謝祭だったな。こんなめでたい日に、なんて酷い……」

「そう、ありがとう」

 お礼を言い残した少年は一目散に遠くの方へ走り出した。城とは真逆の方向へ駆けていく少年を追いかけようとしたが、一瞬の内に彼の姿は見えなくなる。気でも触れたのかと思った。それにしては少年の足取りは妙にしっかりしていて、何か明確な意思を持って走っているように感じる。

 どちらにせよ出来ることはやったと自分を納得させて、ドワイトはその場を後にすることにした。




 ――最初は何が起こったのか分からなかった。

 カインは確かにエヴァの墓前で自殺した。その時の痛みははっきり思い出せる。だから最初は、ここが死後の世界なのだと思っていた。しかし目が覚めてからの出来事を、それで片づけることはカインには出来なかった。

 まずは五感の情報。目に見えるものや聞こえる音、火傷の痛みやむせ返るような煙たさ。全ての感覚があまりにリアルで、それが疑念の始まりだった。

 次に今起きた出来事。

 カインが十二歳の頃、感謝祭の日に起きた火事。それによってカインの両親は死に天涯孤独となった。あの日のことは今でも鮮明に覚えている。

 その時に起こったことと、今この瞬間に起きていることは完全に一致していた。気を失っていたところをドワイトという男が助けてくれたことは勿論、彼が懸命に話していた内容の一言一句に至るまで見事に一致しているのだ。その時点でただ事ではないことは理解した。

 そして何より、見える景色が違うこと。

 助けてくれたドワイトの背が見上げるほどに高かった。比較的身長が高いはずの自分がそう見えるのだから、余程背の高い男だったのだろうと思いかけた。しかし当たりを見渡せば、他の大人たちも彼と同じぐらいの上背だ。

 それに加えて消火活動で出来た水たまりに映る自分の顔を見た時、カインの中である答えが導き出されようとした。

 真相を確かめるべく、カインはドワイトの静止を振り切り走り出す。全力を出しているはずなのに自分が思ったほど前に進まない。もしもカインの仮説が正しければ急がなければならないのに、思い通りに動かない体に苛立ちを覚える。

 過去の記憶を必死に思い返し、人通りの少ない路地裏を馬のように駆け回った。その努力も空しく、息を切らして目の前が真っ白になるほど走ったカインはとうとう一歩も動けなくなってしまった。

 その時だ。

 表通りとカインが今いる路地裏の境界、そこに彼が探し求めていた姿はあった。肩に掛かるぐらいの黒髪、透き通るような白い肌。痩せた細い四肢は今にも折れてしまいそうな少女。

 澄み切った夜空に白く輝く満月を背にする彼女の姿は、神や天使の類に見えた。

「あ、あの……大丈夫?」

 少女の言葉は疲れ切ったカインの体に染みた。そんなつもりはなかったのに気づけば涙が止まらない。それを見て少女はまた心配そうに声を掛け続けてくれる。

「ありがとう……大丈夫だよ」

 名前を聞かずともカインには、彼女が初めて出会った時のエヴァだと分かった。それと同時に彼は答えを得た。

 過程や理屈は不明だがどうやらカインは今、過去の世界にいるようだ。

 記憶の追体験かただの夢か、あらゆる可能性が考えられるがそんなことはどうでもよかった。もう一度エヴァを救うチャンスが与えられた、彼にとって大切なのはそれだけだった。

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