蒼の風

 愛してくれるキミを、愛せないあたしを、愛してくれてありがとう……。


 どうして貴方なんだろう。こんなにも強く願ってしまう。離れてしまった今でも強くーー願う。

 貴方の声を聞きたい。貴方を見ていたい。貴方に触れていたい。……貴方の側に居たい。


 貴方の背中だけをずっと追いかけていました。

 だけど。どんなに頑張っても、貴方に追いつくことが出来なくて。どんなに願っても、貴方に手は届かなくて。どんなに想っても、貴方を振り向かせることは出来ませんでした。


 冬の空は高い。あたしが思っているよりも、きっとずっと高い。

空海あみ?」

 足下から聞こえた澄んだ声に、あたしははっとして我に帰る。

 木の枝の隙間から見えるサラサラと揺れる黒髪は、あたしの物よりもずっと細くて柔らかそうだ。

「空海?なかばが探してたぞ?」

 顔を上げた彼女……りんとあたしの目が合う。凛はまるであたしがここに居ることが始めから分かっていたかのように、柔らかい笑みを浮かべる。

「バレてた?」

「知ってた。」

 あたしは、座っていた木の枝から軽い身のこなしで凛の前に飛び降りる。

「身軽だな…」

 凛はあたしを見て小さく苦笑する。

「そうかな?」

「そうだよ。ここに置いとくにはもったいない」

 そう言う凛は、先月道に迷っていたところを央さんに拾われたらしい。『迎えが来るまでウチで働いてもらう』という央さんの一言で、凛は蒼ゐあおいやの看板娘の一人となった。本人曰く、『あたしがどこではぐれても、あいつは絶対に迎えに来てくれる』らしい。どこに居ても必ず迎えに来てくれる人……その人の話をする時の凛は、酷く幸せそうな顔をする。そして時折、淋しそうに微笑む。そんな凛は凄く綺麗で……

「央さん…何の用だって?」

「自分で聞け。あたしは知らない。探して来てくれって言われただけだから」

 言いながら凛は、スタスタと店の方へと戻って行く。

 そんな凛の様子にあたしは苦笑しながら後を追う。

 こんな凛を愛する人はいったいどんな人なんだろう。……きっと、凄く心の広い人なんだろう。容易にそう想像できる。

「凛の大事な人はどんな人?」

「?……急にどうしたんだ?」

 凛はあたしを振り返って、訝しげに眉を顰める。

「どんな人なのかなぁって思ったから」

 あたしはにっと笑いながら、凛に並ぶ。

「あ~~………」

 凛は、困った様に視線を泳がせ小さい声で呟く。

「変なヤツ……」

「変なヤツ?」

 凛は、頬をさっと赤く染めると歩調を速める。そんな凛は何だかいつものクールな凛とは違っていて、酷く可愛らしく見えた。

「クスクス…」

 あたしは小さく笑いながら凛の後を追う。

「~~っっ!!笑うな!!」

「笑ってないよ」

「笑ってる!!」

『どんな所に居てもきっと迎えに来てくれる。』

 いつか…いつか、あたしにもそんな人が現れるのだろうか。いつか…あの人のことをこんなにも想う自分を、懐かしいと想える日が来るのだろうか。いつか…

「空海。」

 ふと、耳に入った声に我に返る。

 同時に感じるのは、こんな時でさえたった一人の声だけは認識できるという事実。あたしだけが知ってる切ない現実。

「央さん…」

 呟いたあたしに、央さんが苦笑を浮かべた。

「大丈夫か?」

 あたしもつられる様に苦笑を返す。

「大丈夫です」

 今は…まだ明るいから。

「何か用ですか?」

「あぁ…そうだ。次の満月の夜、観月会するから部屋貸せ。」

 …いつもの調子の命令形。すでに決定事項。

 あたしは小さく息を吐いて返事をする。

「いいですよ。央さんから借りてる部屋だし、好きに使って下さい」

「さぁんきゅ♪」

 にっこり微笑むその笑顔一つで、何でも許してしまいそうになる自分が嫌だ。央さんの言葉・動きその全てに、過剰に反応する自分が……


 窓を開け放すと、庭の向こうに月が見える。これから徐々に満ちていくのだろう、綺麗な半月が。

 肩に薄い羽織を羽織って、身体を半分だけ布団から起こして眺めていると、突然後ろから抱きすくめられた。

 …少しだけあたしより高い体温。隣にあるのが、自然な様で酷く不自然な温かい温もり。

 するりと羽織りが落ちて、肩に優しく口付けられる。

「………っ」

 胸が痛い。

 その温もりと優しさが、心に痛い。

 そのまま引き寄せられたあたしはすっぽりと腕の中に収まってしまう。見つめられた瞳に映るのは、自分じゃないような気がしてきつく目を閉じると、なだめるようなキスがまぶたに落とされる。

「……空海……」

 甘く優しく囁く声。

 そんな声で呼ばないで欲しい。

 勘違いしてしまいそうになる。央さんに愛されているような、そんな錯覚をしてしまいそうになる。

「……空海……」

 熱い指先が擽る様に体に触れる。

 体が……心が……叫ぶ。声にならない声が……愛しさが、涙と一緒に零れていく。

 小さな苦笑とともに、軽くキスが落とされる。

「オレが見るのは……泣き顔ばっかりだ」

 ……そうかな?

「いつも、苦しそうに泣いてる…」

 ぎゅっと、強く抱き締められる。その腕が……あの人を抱いていたことを知っている。その心が、今でもたった一人を見つめていることを知っている……


 こんなにも真っ直ぐに自分を見つめる瞳を、あたしは始めて見たかもしれない。こんなにも自分を想ってくれる人がいるなんて、今まで知らなかった。

「……空海が…オレを見ていないことなんて知ってるよ」

 それでも、柔らかく微笑んで蛍は言う。

「今すぐに答えが欲しいなんて思ってないから……」

 答えを出せずにいたあたしに、そう言う。

「好きだよ……」

 蛍はこんな…こんなあたしの事を好きだと言う。こんな…ずるいあたしを…

「蛍にはあたしなんかより…もっとイイ人がいるよ?」

「空海じゃなきゃ駄目なんだ……」

 そんな……蛍の声は苦しそうで、央さんを呼ぶあたしの声に何処どこか似てる気がした。

 受け入れてしまうことは、きっと凄く簡単で。でも、すぐに受け入れてしまえる程あたしは強くなくて。

 想いは、簡単に変えてしまえる程、軽くない。


 あたしは…どうすれば良いんだろう……

 答えを見つけられないままに、時間だけが過ぎて行く。

「焦る必要は無いんじゃないか?」

 細く紫煙をくゆらせながら凛は言った。

「そうかな?」

「そうだよ……」

 にっと笑んで、凛は続ける。

「無理に答えを出す必要なんてないだろ?……t人の気持ちなんて、簡単に言葉に出来る物じゃないし」

 言葉に出来ない想い。それはまさにあたしの央さんに対する気持ちそのものだったり、今は……蛍に対する想いでもある。

 蛍も…円あたしにとって大切な存在であることに間違いはない。けれど、それは央さんに対するそれとは全く違うもののようで…

「そもそも、比べるものじゃないと思うけどなぁ……」

 煙を空へと吐きながら、凛は呟く。

「対象が違うのに比べること自体がおかしい……」

 凛の考え方は凄く個性的で、それでいて共感出来るところが多くある。あたしとは違う世界で生きてきた凛の言葉に、こんなにも惹かれるのはどうしてだろう…

「自分が選んだ事に後悔しなければいいんだよ……」

 凛の言葉は強い。

「……凛は後悔したことないの?」

「反省はするけど、自分がしたことなんだから後悔はしないよ」

 月の光を浴びて柔らかく微笑む凛を、あたしは聖母を見るような気持ちで見つめていた。


 愛する喜びを教えてくれた人。

 愛される幸せを教えてくれた人。

 どちらも大切で

 どちらも愛しくて

 どちらも

 失いたくなかった。

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