燃やせ

 六の顔は真剣そのものだった。

 

 確かに、彼の話で玲子の今までの話は繋がった気がする。

 けれど肝心な話が聞けていない。

 そもそも、そんな話を聞きに戻ってきた訳ではない。


「先生ですよね……。あのサイトにあんな薄気味悪い文章を書いたのは……」


 玲子はカバンの中からタブレットを取り出して、これが目に入らぬかと言わんばかりに、六に突きつけた。


「違う。」

「違わないです。前だって同じことをやったじゃないですか!」

「いや、今度ばかりは違う。その掲示板には書き込まれた時刻が表示されているのは気付いているよな?」


 気付いて……いる。

 確かに時刻は表示されていた。

 何より生徒たちが書き込みしていた時刻、あの不気味が書き込みがされたであろう時刻、六先生はタブレットに触れていなかった。


「ちなみに私も違うわよ。その時刻は保健体育の授業をタブレットなしでやっていたわ。そこの高橋くんが証人かしら。」


 高橋先輩の顔が赤い。

 ……なるほど。

 保護者参加は上の学年は別日だった。

 それより、保健体育の授業を英語教師として赴任したエロ先生がしてもいいのだろうか。

 きっと高橋先輩の筋肉じゃないところが熱量を帯びているのは、そのせいだろうけれど、そこは今回はツッコまない。

 玲子はバッチリお見通しなのだ、と言わんばかりに六を指差した。


「でも、先生はウイルスまで開発をした……」

「それは違うよ。六先生はパソコンまるでダメな人間だし、パソコン研究部もこの通り、パソコンを撤去されてるし……」


 ——あーたは黙ってて!……っていうか高橋先輩、前屈みの情けない姿、似合ってますよ。


「でも、それじゃあこれって……」

「あぁ。間違いなく、今まで燻り出した小物ではなく、大物だ。ネットの世界までも操れる、もしくは誰かに乗り移ってそれを書かせるだけの力を持った大悪霊だ。」

「そんな……」


 玲子が揺れている理由。

 六がパソコンが苦手だったという、前屈み高橋先輩の言葉にではない。

 勿論、セクシーベロニカに諭されたからでもない。


 ——彼女自身が怪異の存在を確信しているから揺れている。


 それが今、確信に変わろうとしていた。

 だったら、酷いことを言ったのは自分の方だ。

 

「あの……その……ごめんなさい……私……」

「いや、私の方こそ悪かった。今回は君は来ない方がいい。本当に厄介なやつだからな。」

「え、ちょっと……」


 玲子の言葉を強引に切って、彼は裸の上から白衣を羽織った。


「そうね。私たち大人二人に任せなさい。玲子ちゃんは危ないから、今日は帰った方がいいわよ。」


 ベロニカ先生も、トレーニングスーツの上から赤いスーツを羽織った。

 ……っていうか二人ともボトムまでしっかりトレーニングスーツを履いている。


 つまりこれは、今までにないほど気合が入っているということだ。


「そんな危険なの? だったら、私のお父さんや、マスターを呼んできたら……」

「それがダメなのだ。掲示板の内容から察するに、今回の悪霊は私たちでなければダメなのだ。特別な人間でも歯が立たないから、私たちが呼ばれたのだよ。」


 玲子が目を剥く。


「でも、さっきは……」

「今回の悪霊はおそらく『死』そのものだ。死は特別な人間であろうと、必ず経験する。だから、私たちしか祓うことができない。」


 『死』を司る悪霊、それは分かっている。

 今までのように肩が重いとか足に怪我をするとかいうレベルじゃない。

 明確に生徒を殺そうとしている。死へ誘おうとしている。


 『生と死』は相反するようで、同じもの。

 ……だからこそ、誰にも祓うことができない⁉️


「でも、私の友達もいるかもしれないんです。小百合先輩だって多分、今頃階段を……。だから……、私も行きます!!」


 咲の様子もそういえばおかしかった気がする。

 というより、あの咲が授業終わりから姿を見せていない。

 自分のことで一杯一杯で、親友のことを見てもいなかった。

 あの子はちょくちょく『あの掲示板』を見ていた筈だ。

 怖い話が好きな普通の女子高生なのだ。

 

 ——咲も巻き込まれているかもしれない、だったら私は行かなきゃいけない。


「そうか……。でも、屋上の手前までだ。それより先は危険すぎる。引寄ひよし君は操られている生徒を抑えてくれ。」

「シックス、時間がないわよ。そろそろ私たちも行きましょう!」



 時刻は午後七時。

 数十人くらいの生徒が階段を登っていた。

 彼らの表情はどこか虚で感情というものを持っていないように思えた。

 そんな彼らを階段から突き落とさないよう、ゆっくりと掻き分けながら、三人で階段を上がっていく。

 東館の屋上、そこに悪霊の本体がいるらしい。


「小百合先輩‼︎」


 玲子はその数十人の中に小百合先輩を見つけた。

 やはり、あの掲示板を見た者は、悪霊に操られている。

 呆然とする小百合の目はどこにも焦点があっていない。


「引寄君、君はここまでだ。なぁに、なんとかなる。ここは頼んだぞ。」

「玲子ちゃん、済んだら三人でご飯食べに行きましょ。もちろん経費で出るから、なんでも食べていいわよ!」


 六は真剣な表情を、ベロニカは明るい表情を残して屋上の扉の向こうに消えた。


 ……二人ともバリバリの死亡フラグを建てちゃった


 ここは普段施錠されているはずだ。

 それが確かに開いている。

 つまり、魔の存在は明らかだった。


 でも……。どうして?



 玲子は震えていた。


 悪霊に?


 いや、違う、己にだ。


 ……どうして、私は数十人の生徒を足止めできてしまうの⁉️


 脚力? 腕力? いや、体幹だ。やはりインナーマッスルはラブ&ピース‼︎


 だめだ。

 頭に横紋筋が侵入しそうになる。

 この後のごはん? だったらステーキがいい! じゃなくて、おしゃれなフレンチがいいの!!



 玲子は数十人もの圧力を一身に受ける。

 彼女の後ろには施錠されていない屋上への扉がある。


『ドゥゥゥゥゥゥン‼︎』


 後ろでは爆発音のようなものが聞こえている。

 なんで筋肉除霊で爆音が聞こえるのかは分からない。

 でも、分かる。


 きっとこの扉の向こうは、ほぼ半裸の男女が悪霊に向かってポージングをしている。

 ある意味で、見せられない状況になっているに違いない。


 でも、玲子に出来ることは何もない。

 声を出すことくらいしか……残されていない。


「みんな、聞いて!! 龍宮院美加子なんて、この学校には在籍した記録はないの!! あれは全部真っ赤な嘘!! だから、これ以上登ってこないで!!」


 玲子は必死で叫んだ。

 人の思い込みが悪霊の餌になるのなら、この場の人間を説得できさえすれば、戦っている二人が少しでも楽になるかもしれない。


「龍宮院美加子はいない‼︎ いない‼︎いないの‼︎ 捨てるものなんてないの‼︎」

「捨てたいの‼︎」


『ドゥゥゥゥゥゥン‼︎』


 玲子の懸命な叫びの中、再び爆発音がして、その中に「捨てたい」という悲痛の言葉が混ざっていた。


『ピシィィィィィ』


 そして屋上へ行く扉の窓ガラスにヒビが入り、粉々に崩れ落ちた。

 鉄格子があるから、そこから生徒が飛び込むことはないだろう。


 でも……



 ……後ろ? 後ろに生徒なんて……いない……はず?



 それなのに、なんで……?



 なんで咲の声が後ろから聞こえてきたの?



 なんで咲が扉の向こうにいるの?



 ……ううん、違う。咲だけど咲じゃない。



 咲はあんなに長い髪をしていないし……。でも、それでも……



「咲ぃぃぃ!!」



 玲子は咄嗟に扉を開け、屋上に飛び込んだ。

 なぜかは知らないが、施錠用の鍵は向こう側の差し込み口に刺さったままだったので、容易に施錠することができた。

 これで生徒がなだれ込む心配はないだろう。

 そして、状況を確認しようと振り返った玲子の視界には、異様なものが映り込んでいた。


『色黒のオイルを塗ったブーメランパンツの男と深夜通販に出てきそうな際どいビキニスタイルの白人女性』


 ——うん、やっぱ見せられない‼︎でも……なんで二人とも倒れているの?


 そして、彼らの視線の先に浮かぶ何か。


 咲のような何かが浮かんでいる。


「どうして……。咲……‼︎どうして⁉️」

「うるさい。私は誰にも見てもらえない。あなたは良いわよね。どんどんスタイルが良くなって、みんなの注目を浴びて、それに学校で人気の二人と教師と仲が良くて……。まぁ、いいわ。その二人は大したことはなかったわ。それでも許さない……。全部、独り占め。私に黙ってこっそり……」


 咲の顔をして、咲の声をしているが、咲はそんなことを言う子じゃない。


「悪霊の……仕業だ。ほんの……、些細な嫉妬を利用して入り込む……。ガハッ」

「六先生、大丈夫ですか? 」

「お前こそ……。入ってくるなと言っただろう……。あいつは『死』の怨霊だ。」


 所々、傷ができている。

 これも全て咲が、……いやあの悪霊のせいなのだろう。


「玲子ちゃん、ごめんね。私たちでは、まだエネルギーが足らなかったみたい……。早く、逃げ……」

「ベロニカ先生!! ダメですよ! 扉の向こうにはまだ生徒がいるし、それに咲も……」


 ベロニカ先生も際どいところは見えないまでも、服が所々ちぎれている。

 よくそれだけ破けていて、ちゃんと大切なところは隠れているんだとか、そういうのは要らない。


 そんな二人を残して逃げられないし、そもそも逃げることができない。


 それに私は咲を助けたい!


 ……私にできることは?



 そして、玲子はハタと気が付く。


 ……そうだ。もし可能性があるとしたら……。


「六先生、私には父の血も流れているのですよね。だったら——」

「褐色細胞だ‼︎」


 ——はい?


 六先生が訳がわからないことを言いながら、玲子に向かって滑ってきた。

 オイルまみれだから滑るのは容易だっただろう。

 こんな状況、ツッコミたいところだが、今は流石にツッコめない!



 でも、そんな複雑な状況の中、



 六先生は今にも死にそうな顔で、



 ————優しく微笑んだ。



「前を向け、胸を張って生きろ……そして脂肪を燃やせ。」

「はい!」



 ——え?はいって返事しちゃったけど、今、なんて?


 って!そこは心を燃やせだろうがよぉぉ‼︎ こちとら原作もアニメも劇場版も見とんのやぞ‼︎っていうか、お前はまだかすり傷程度だし、死にそうでもなんでもないだろ‼︎



 ……なんてツッコミたいけれど、そんな状況じゃあない。



 でも、お父さんから伝統的な何かの舞い方を教わった記憶はないし、私は結局……六先生の弟子でしかない。



 だから……



 だから私にできることは……!



 玲子は学生服の襟を鷲掴みにし、そしてそれを引き剥がした。

 すると玲子の体にはベロニカ先生が着ているのと同じ、ビキニスタイルのトレーニングスーツが現れた。


 ——え?私が怖い‼︎でも……、それでも‼︎



「咲、私を見なさい!!」



 ここから先の玲子の記憶は曖昧だ。


 だってこれは、死の恐怖との戦いでもある。

 だから、数々の筋トレの日々が走馬灯のように思い出される。


 ……でも全然ヒントがない!


 浮かんできた映像は、どれも唾棄すべきほどの筋トレの映像ばかり。

 どれもが除霊とは一切関係がない。


 ——けれど、六先生が除霊をしていたときは決まって体温が上がっていた。


 そうだ。そのイメージだ。


 ——あれを私に教えたかったんだ


 脂肪を燃焼させて、その熱で悪霊を溶かすイメージ


 それはきっとこういうポーズ……



 玲子が、偶然にとったポーズは『パリヴルッタパールシュヴァコーナーサナ』


 ヨガのポーズで体を捻った状態から右手と左足が一直線に向かう美しいポーズだ。

 彼女のインナーマッスルが故に、咄嗟にできたこのポーズ。

 その姿勢を維持することにより、全身の筋肉が反応して熱くなる。

 もしかしたら光り輝いているかもしれない。


 そのポーズを一分ステイする。

 すると、明らかに咲に取り憑いた怨霊の霊圧が薄くなっていくのが分かる。


「玲子ちゃん、そのままよ! あと三十秒ステイ‼︎」

「なるほど。この手もあったのか。」


 外野の声がする

 でも、今はダメ

 燃やすのよ、私

 燃やすのよ、玲子


 集中力、いや無我の境地。

 そんな中を掻い潜ってくる師匠の言葉


「なるほど、やはり引寄君にしかできない技だ。龍宮院美加子の死亡という幻想をなかったことにする。それしかない。『死』をなかったことにする。引寄君、死亡を燃やせ。脂肪を燃やすんだ‼︎」


 ——え?


 どんどん咲から感じる霊圧が薄くなってく。そしてついには霊圧は消えた。

 そして咲が倒そうなところを、ベロニカ先生が抱き止めた。

 それをどうにか、視界の端で確認することができた。

 つまり、玲子は悪霊に勝てたのだ。



 遠くなっていく意識の先で玲子は思った。



 ——死を燃やす。死亡を燃やす。脂肪を燃やす。



 ————ダジャレじゃねぇか‼︎



 結局、夜八時に生徒は無事帰宅ということで、なんのお咎めも話題にもならずに済んだ一件。

 だが、一つだけ変わったことがある。

 なんと咲が筋肉部改めPTCに入部してくれたのだ。


「一緒に綺麗なスタイルになろうね!!」


 咲は当時の記憶を持っていない。

 というより、生徒全員が、なぜあそこで寝ていたのか分からないと言っていた。

 だから彼女を自然と誘うことができた。

 咲は、ただ明るい少女ってわけじゃなかった。

 私が部活に誘うのをずっと待っていた少女でもあったのだ。


 なんだか照れ臭いけど、これで心身ともに親友だ。


「っていうか、六先生達は大怨霊がいなくなったら他のところに赴任するんじゃなかったんですか?」

「この学校が破壊した結界の数は百を越える。そう簡単に行かないのが除霊というものだ。それより、話に戻るぞ。褐色細胞というのは、脂肪燃焼効率が高い細胞だと言える。腹斜筋にも多く含まれると言われ、そのために君にもロシアンツイストをさせていたわけだ。流石に直前で食べたピザではあの戦いには間に合わなかったということだな。」


 そして、隣からは良い香りが漂ってきた。


「筋肉だけに着眼していた私たちもまだまだってことよね。あれだけの脂肪を燃焼させるには、プロテインだけじゃダメなんだわ。健康的な食生活が大事ってことを思い知らされたわ。」


 ベロニカ先生もいるのでこの部活は顧問が二人いるということになる。


「えっと、六先生たち、何言ってるの?」

「あ、咲はいいのー。脂肪燃焼とか、そういうのだけ聞いてればいいからね。」


 親友の咲の耳を汚したくはない。

 だから彼女にマシーンの使い方を教えたあと、玲子は顧問二人に向かって歩いていった。


 因みに、鬼の形相で。


「……っていうか、そこの二人、それってどういう意味ですか? 私に喧嘩売ってますぅ? 六先生とベロニカ先生の体脂肪じゃ怨霊の『死亡』を燃焼させられなかったって意味ですよね⁈ だーかーらー、最初、私を頼ろうとしてたってことですか⁉️私の体、いえ、私の脂肪率目当てってことですか‼︎」


 と、こんな具合に私達は無事に龍宮院美加子事件も解決できた。


 これでしばらくは平和に健康生活ができそうだし、筋トレ仲間もできたことだ。

 私としては脂肪の件は除いて大満足って感じです。

 これからもまた悪霊事件には巻き込まれるとは思うけど、多分大丈夫です。


 どうして大丈夫って言えるかって?


 そんなの決まっています!




 だって……





 『だって、地球は筋肉でまわっているのだから』





   終わり

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