玲子の両親
イライラしながらも玲子は日頃の癖から日課の筋トレを行っていた。
ただ、ロシアンツイストはなかなかお気に入りだ。
それに腹筋や背筋。
——ちょっとだけマシーンを試したくなるが、使い方が分からない。
特にあの大きな重しで体を挟みそうで怖い。
「あら、早速マシーンを使ってみたいのね。いいわ、教えてあげる。」
「あ、ありがとうございます。」
こいつも筋肉バカ2号のはずだが、とても良い匂いがする。
だから玲子はあの筋肉バカ1号のことを忘れ、ついつい彼女の言う通りにマシーンに乗ってしまった。
「ここに足をかけて、そう。そのまま腹直筋だけを意識して、ゆっくり。いいわよ。筋肉が喜んでいるわよ!素敵よ!輝いているわ!」
あぁ、なるほど。社長さんがイチコロだった筈だ。
この機材はベロニカのこの言葉遣いで購入されたことを思い出した。
本当に男という生物は……
「次は大腰筋のトレーニングみたいね。こっちのマシーンを使いなさい。」
玲子はむしゃくしゃする気持ちを全て筋トレに捧げた。
なんで、最初からベロニカ先生じゃなかったのだろうと悔しくなってくる。
いや、筋トレがしたいわけではないが、あんな最低な男の部下扱いなのがムカついて仕方がない。
『ガラッ』
そんな時、扉が開く音がした。
特有のリズムを刻んで歩く音はまさにアイツだ。
「引寄君、君に……」
「近づかないでください! この最低男!! なんで私なんですか! 私に関わらないでください!!」
そこまで強く言うつもりはなかったのだが、今回のことばかりは許せなかった。
……そもそも親にまで近づいたのが許せない。
この男、自分を一体どうしたいというのだ。
「そ、そうか……。すまんな。だが、筋肉を……」
「筋肉を、じゃないですよ。私はマッチョなんて目指してません!先生みたいなゴリラは好みじゃないですし、そもそも私はこんな部に入りたくなかったんです!! 」
思春期特有のせいでもあるかもしれない。
玲子の口は止まらなかった。
あのことを叱らないといけないのに、それも言い出せないまま、六を一方的に責め立ててしまった。
「そう……だな。君に頼るのは間違っている……な……」
六先生は消え入るような声でそう言った、そして踵を返して教室の隅に向かった。
そこに置いている机に座って、彼は何故か俯いてしまった。
まるで、ボコボコにされて立ち上がれないボクサーのよう——その姿はあまりに情けなく、玲子は全てがどうでも良くなっていった。
「私、帰ります。」
その言葉を残して、玲子は荷物をまとめ始めた。
着替える必要なんてない。
どうせジャージだし、このまま帰っても運動部の部活帰りと大差ないだろう。
怒りに任せて歩いているので、彼女の歩幅はいつもより随分広い。
だから、あっという間に教室の出入り口に辿り着いてしまう。
そして思いっきりドアを開けて、思いっきり閉めようとした。
「待って、玲子ちゃん。」
金髪の美女が玲子の手首を握ったので、お約束の『ドアバーン!』ができなかった。
ベロニカはその後、何かをする訳でもなく、玲子の隣を歩き始めた。
「なんですか、ベロニカ先生。私に何か言いたいんじゃないですか?」
「ノーよ。ただね、ミスターシックスは口下手だから。確かに玲子ちゃんの言いたいことも分かるけれど、流石にあれじゃあ、彼が可哀想、……って思ってね。」
「口下手? 口達者の間違いですよ。ジャパニーズオーケー?」
きっと言葉を間違えたのだろう、と思った訳でもないのに、玲子はベロニカにも当たってしまう。
「彼が作ってたトレーニングメニュー、見させてもらったわ。」
「あー、あのマッチョ一直線の地獄のメニューのことですね!」
別に女の子の日というわけでもないのに、イライラが止まらない。
「ほら、玲子ちゃん。あそこ。」
玲子の言葉遣いなど意にも介さず、ベロニカはしなやかな手つきで、廊下の一点を指さした。
そこには学校によくある大きな鏡があった。
きっとどこかから贈与された記念品だろう。
「鏡がどうしたんですか? それにしても……、ベロニカ先生って本当にお美しいですね。」
「ふふ、ありがと。でも、もう一人映ってるでしょう? その子はマッチョかしら。どちらかというとスタイルが良いと思うのだけれど。胸の話じゃないわよ。背筋がしなやかに沿っていて、ちゃんと引き締まっている……」
「あ、ありがとうございます……」
美人にそう言われると、嫌味と受け取ってしまいそうだ。
けれど玲子はそうは思わなかった。
確かに彼女の言う通りだった。
自分でもそう思ってしまったので逆に照れてしまうほどだった。
「貴方は恵まれてるわ。あの六のメニューをタダで受けているのですもの。」
「違います!私は好きで、筋トレ……」
玲子の言葉の続きは、ベロニカのたおやかな指先で防がれてしまう。
「私にはあんなメニューは作れない。玲子ちゃん。筋肉には鍛えると引き締まるものと膨らむものがあるの。それに横から見ると、どの筋肉がどの骨を支えているか分かるでしょう? 六のメニューは玲子ちゃん専用なの。貴方をより美しく引き締めるためのメニューで、調整お完璧だわ。貴方のお母様だって、こんな完璧なオーダーを作ってもらえていない筈よ。」
何故だろう。
ものすごくどうでも良いと思っていた筈なのに、彼女の言葉と鏡に映った自分の姿が有無を言わさず、脳に直接『肯定せよ』と訴えてくる。
「えっと……。つまり、これは私をガチムチにするためではなく、綺麗にするためのトレーニングだった……の?」
「そういうことね。あとは玲子ちゃんの好きにすればいいわ。God Bless You!」
そしてベロニカはトレーニングルームと化したパソコン教室に戻っていった。
一人、鏡の前で立ち止まる玲子。
って、違いますから!
なんか感動シーンっぽい感じだけれども!
うちの両親がジムに高額をかけていたとかも知らない。
確かに肩こりも治ったし、足の調子も良いし……
別に、筋トレメニューにブチギレていた訳ではないんだけど……
玲子の心の中でツッコミと肯定が大渋滞を起こし始める。
そして、その結果……
「もう! なんか、白けちゃった。やっぱり、ちゃんと生徒に謝らせないとダメだわ!」
——何が、私専用のメニューよ!
それがなんだってのよ。そんなことよりもこの掲示板だわ。
こんなこと許せるはずがないじゃない!
危うく忘れるところだった。忘れて、私は階段を上ろうと……
————階段を上がろうとしていた!?
どういうこと、これってまずい奴……よね⁉︎
駆け出した玲子は急いで旧パソコン教室へと向かった。
先ほどは思春期特有の『ドアバーン』だったが、今は本気で急いでるやつの『ドアバーン』だ。
そしてそこで目にしたのは……
「あぁ、れひほちゃん。や……、『ゴクン』……やっぱり、戻ってきてくれたのね。」
「ひひほひふぅも……うん。どうだ?」
——は?と。
「なーに二人してピザ食ってるんですか‼︎ ベロニカ先生まで、何⁉︎さっきまでのちょっといい話的な流れは何だったんですか⁉︎」
感動しそうになった自分がバカみたいだ。
大の大人が二人してピザを頬張っている。
残った生徒は筋トレをしているというのに、一人一枚は食っている。
——ここは海外ドラマの世界ですか?
「引寄君。君が言いたいことは分かっている。そのためのエネルギー補給だと思って貰えばいい。」
「エネルギー補給って……。生徒への土下座のエネルギーですか!?」
「待ちたまえ。順を追って話すべき時が来たようだな。そもそも私、そして彼女が何故ここにいるか、説明する必要がある。」
ついに明かされる二人の秘密……いや、聞いていないのだけれど⁉︎
「この学校は少し前に拡張工事を始めた。それは知っているな。そしてその工事の過程で『ある種の封印』を解いてしまったのだ。だから、国家公認の私たちが呼ばれた。」
本当に順を追って話し始めた。
しかも顔を見れば分かる。
これは本当の話なのだろう——だから、二人とも何故か優遇されていた。
けれどあの掲示板を見てしまったら……
今は午後六時半、時間はまだあるとはいえ、そこまで悠長に構えていいのかも、分からない。
「だから、確かに君には無関係なのだ。……今まですまなかったな。」
「……意味が分かりません。私に関わったのは事実です。それに……」
確かに、彼に助けられた記憶はある。
「まず、私たちは普段の生活では食うこともままならない。だから時には資金稼ぎの為に、ジムトレーナーのバイトをすることもある。」
——は?
最初からツッコミどころが来たんですが、これはツッコまないべきなんですか?
「そして私は君の母上と出会った。そして彼女の話を聞いているうちに、君の母上が悪霊を引き寄せる体質だったと知ったのだ。」
「そうだったの? 母も私と同じように?」
そんな話は聞いたことがない。
……それに母は確か、見えない人のはずだ。
困惑する玲子に「相変わらず口下手ね」と言いながらベロニカが割って入ってくる。
「出産とともにその力を我が子に引き渡してしまった、なんて例はよくあるのよ? そしてそれと同時に見えていた記憶も消えていくの。そして覚えていたとしても、見間違えだったのね、って感じになっちゃうものなの。だから玲子ちゃんのお母様も玲子ちゃんは見間違いをしているだけだろうな、くらいにしか考えていなかったんじゃないかしら。」
ベロニカ先生の話のおかげで理解ができた。
なるほど、六先生は口下手なのだ。
「私のこれって、お母さんからの遺伝だった……の?」
「引寄君。霊障に困った時、無意識に両親に助けを呼ばなかったか? 尤もそれは自然の姿だと言えるが。その時、霊障はどうなったか覚えているか?」
——覚えている。
確かに一度六先生に助けられた時も、咄嗟に両親を呼んだ気がするし、以前もそれで楽になったから呼び続けていたんだ。
「楽に……なりました……。でも、どうして?」
「ジムで君の父上にあった時に感じたよ。この人は霊を寄せ付けない特殊な人間なのだと。だから君の母上は父上と出会ったことにより、霊障が消えさった。だから君へと引き継がれた霊媒体質についてもなかったことになった。だから君が何を語っても、真剣には受け取ることができなかったのだ。何せ、あれは気のせいだったと思い込んでいたのだからね。」
次々と自分の親に関する知らない話が語られる。
しかも玲子は実際に霊媒体質なのだ。
だから自分を中心に考えれば、それが真実だと分かる。
「お父さんが特別な人間だったの?」
「あぁ。極めて特殊だ。君にも心当たりがあるはずだ。喫茶店『筋肉は裏切らない』のマスター。彼もその手の人間だ。だが、私を含めてほとんどの人間にはその能力はない。だから国家予算を投じて、筋肉除霊士を作り上げることにしたのだ。このようにマシーンのコストがかかるため、かなりの金欠状態だがな。」
なるほど。
だから国をあげて……
そうですか。だからですか。
ただ……
これは流石に突っ込んでいいですよね?
どうなってんだよ、この国!
そもそも、その特殊な人間を鍛えればいいでしょうが‼︎
本当に大丈夫ですかー、この国の偉い人‼︎
特殊な人間、特殊な人間って言ってますけれども‼︎
父とマスター、私のすぐそばに二人もいるんですけれども‼︎
そして、私の目の前にいる筋肉除霊士は二人。
特殊な人間と同じなんですけど?
特殊な人間、探せばもっといるって‼︎
この比率、政府のお偉いさんはどう考えているんですか?
どんな世論調査をしたんでしょうかね‼︎
「それで、もしかして母に頼まれて私を?」
「そんなところだ。と言っても、君の母上は見えない人間だからな。正確には君の体質改善をして欲しいと頼まれただけだ。だからこの学校での出来事と、君とは本当に関係がないんだ。……今まで付き合わせて済まなかったな。これからは、もう少し気楽に部活を楽しんでほしい。健康管理だと思って通ってもらって構わない。一応、君の両親にも頼まれているのだから、来なくてよいとは流石に言えないがな。」
一体……、何を言っているのか分からない。
——けれど、彼の顔は真剣だった
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