燃やせ

パソ研部改め……

 公立新麗高等学校一年四組、窓際の一番後ろの席。

 そこが私、引寄玲子ひよしれいこの席だ。

 至って普通の高校生、たまに告白とかされるからもしかしたらちょっとだけ可愛い方なのかもしれない。

 学校の成績は中の上。一応それなりの大学に毎年進学できるレベルの高校なので、全国レベルだと平均よりもちょっとだけ上なのかもしれない。

 けれど、中身は普通の女子高生だ。

 今日も今日とて眠い授業を頑張って受けている。


 ただ、私は友達が少ない。

 というより友達が出来ない。

 別に人と話をするのが苦手というわけではないが、他の人と一つだけ大きな違いがあるのだ。


 『私は幽霊が見える』


 ただ、先日一人の教師と出会った。

 彼の名前は数学担当、六波矩ろくなみのり

 これでもかという肩パットの入った足まで伸びた白衣の教師だ。


 彼のおかげで私は……


『肩こりと膝の調子が良くなった』


 ——のは間違いない。


 ちなみにやっぱり幽霊は見えるし、変なもののそばに近づくと具合が悪そうになる……悪そうになるだけだ。

 そして幽霊は見えるけれど、なぜか目を合わせてくれない。

 今までは目が合うといけないとか思っていたのに、あんなに露骨に視線を逸らされると、こちらだって気分を害するというものだ。


 この現象を私は、


 『こいつ頭がヤベェやつだから、気づかないフリしようぜ!結界』


 と呼ぶことにした。

 筋肉が霊を払い除けるなんて、絶対に信じない。

 ——大体、前に除霊したのだって、マスターの一喝だったわけだし……。



 玲子の足が、教室の前で止まった。

 結局未だ部活に所属しているし、今日もこのパソコン教室が活動場所だ。

 パソ研は当然、同じ部屋で活動をしている。

 しかも厄介なことに、ベロニカというおかしなロシア人までパソコン教室の中にいる。

 見た目はすごく綺麗だし、生徒の憧れの的——それは分かるが、それを言ったら六も同じだ。

 生徒たちはあの二人の中身を知らないだけなのだ。


 だから震える手をもう片方の手で抑えて、玲子は教室のドアを横にスライドさせた。

 するとそこには信じられない風景が広がっていた。

 おそらく上から見ると、神々しい十字架が床に突然現れたように見えるだろう。


「いや、何やってんですか!ここ、パソコン教室ですよね⁉︎なんで、全員で整列して腕立て伏せをしてるんですか⁉︎っていうか、肝心のパソコンはどこに行ったんですか⁉︎ ……あれ、貴方は確か、パソ研究部の部長でしたよね、高橋郁夫たかはしいくおさん!なんでパソ研部長さんまで腕立て伏せしているんですか‼︎ 」

「あら。クラブ活動の邪魔をしちゃだめよ。玲子ちゃん。」


 ——そ、その声は‼︎


 なるほど、今完全に理解したわ。

 パソ研の男四人が十字架を地面に刻んでいる理由が私には手にとるように分かる。

 まず、中央でベロニカ先生が深夜の通販番組の女の人ばりの格好で手本を見せている。

 それをパソ研の男どもが、前!右横!左横!後ろ!と、見逃すまいと皆が腕立てを始めた。

 そして出来たのが、この変態腕立て伏せ十字架ってわけ……


「——って、ふざけてんの、あんた達‼︎パソコン研究はどこに行ったんですか?それがパソ研のクラブ活動ですか?そも、パソコンがどこにも見当たらないんですけど‼︎」

「引寄君、邪魔はよくないぞ。君も聞いてるんじゃないか? タブレットPCが本校でも正式に採用されることになったと。だからパソコン研究部も時代に沿って形を変えたのだ。」


 その玲子のツッコミを邪魔する不届き者がいた。


「なるほどなるほど。つまりパソコン研究部改め、タブレットPC部ってことですか。……でも、腕立て関係ありませんよね?そして何で六先生まで筋トレ……。——いえ、六先生はそのままでいいです、一生筋トレを続けてください。」


 この男は一生筋トレを続ければ良い、だが。

 許されざることが繰り広げられている。

 一歩譲って、男子パソ研……改めタブ研の男どもがベロニカ先生目当てに腕立てをしているのは分かる。

 しかし、忘れてはいけない。

 パソ研は五人、そして紅一点の小百合先輩……


「私にとって、すごく貴重な存在だった小百合先輩が、六先生の手を借りて腹筋してる‼︎小百合センパーイ。その人は危ないから近寄っちゃダメですよ〜‼︎」


 六もあの時と同じく深夜の通販番組の男性が来ているような、ピタッとしたボディスーツを着用している。

 そして少し太り気味ではあるが、普通と言えば普通の体型の女子高生、小百合がジャージ姿で何度も腹筋を繰り返している。

 「そこまで顔はあげなくて良い」「もう少しゆっくりの方が効果が高いぞ」などと言われながらも、彼女は彼女で顔を上げるたびに見えるシックスパックに胸を躍らせているらしい。


 玲子は悟った。

 これは世の中の縮図だ、——大人が子供を操って肉体労働をさせている、と。


「何か勘違いをしているみたいだけど、ちゃんとクラブ活動はしているのよ。筋肉研究部はPC部と合併したの。だから玲子ちゃんも『PTC』の一員なのよ。」


 ……PTCの一員?


 PCをタブレットで挟むという意味かと。

 なるほど、筋肉脳らしい、気持ちの悪いネーミングセンスだ。

 大胸筋に挟まれる身になったタブレットの気持ちを考えて欲しい。

 無論、私の胸は大胸筋以外にも脂肪組織の割合が多い。


 ——いや、これセクハラですよね?いくらベロニカ先生の発言とはいえ……


 けれど部活そのものが変わったのは朗報だった。

 母親には筋肉研究部には入れとは言われいても、PTC研究部に入れとは言われていない。


「えっとじゃあこの部活って、パーソナルタブレットコンピューター研究部になったってことですか? そして、私もその一員って感じなんですね。それじゃあ、クラブも別になったことだし、これはお母さんに相談しない事案です。ですから、今日はこれで失礼します!」


「引寄君、違うぞ。プロテインタブレットコーポレーションだ。君に父親の会社の支部だ。これはインターンシップも兼ねているらしいから、君は得をしたことになる。父君も喜んでおられたぞ。」


 おい、クソ筋肉‼︎

 タブレットPCは何処にいった⁉︎

 それただのプロテイン売ってる会社だよ?


 ——っていうかお父さんの会社、そんなものまで作ってたんだ。


 確かにお父さんが仕事で何をしているのか、あんまり会話したことなかったかもしれない。

 いつも食事の時に挨拶程度、あとはスマホいじって……。

 もしかしたら一緒に住んでいるのに全然会話がない、今時家族になってしまっていたかもしれない。

 よし、今日からはちゃんとお父さんとも会話を……


「——って、そうじゃなくて! 小百合先輩も部長の高橋先輩もそれでいいんですか?パソコンを愛してたんじゃないんですか?」


 彼らの体型に不釣り合いなほどのストイックな筋トレをやっている先輩たち。

 彼らは一体どんな気持ちなのだろう。

 無論、彼らのためにはなっている。

 けれど、やりたいものを取り上げられたのだ。

 大人たちの計画に巻き込まれた子供達。

 やはりこれは戦争しかない‼︎


「玲子ちゃん、ベロニカ先生に教えてもらったの。海外のコンピューター会社のCEOはみんな、自分の体を鍛えているらしいの。体を鍛えることをルーティーンに取り込むことで、私たちはCEOになったも同然。これからは先輩ではなくCEOと呼んでちょうだいね!」


 ……だめだ、先輩の思考回路は既に毒されている。

 そもそもインターンシップ制度はまだこの高校には導入されていない。

 そこまで判断ができなくなる程にベロニカマジックに侵されている。

 確かに、海外のお金持ちは体型に気遣うという話は知っている。

 そして、運動もせずにパソコンをいじっていた先輩たちにとっては凄く良いことに違いない。


 ——だからこれ以上、私にはつっこめない。


「……もう、いいです。お父さんもお母さんも、私をこの部活に押し付けたいんならどうしようもありません。私も続けます……って、あれ?えっと、よく見ると機械っぽいものもあるじゃないですか。あれ、パソコンですよね?新しいパソコン入れたんじゃないですか‼︎ シートが被せてあるから、よくわからないけど、結構大きめの……」

「フッ。ついに見つけてしまったか。この欲しがりめ。」

「そうね。噂に違わぬ食いしん坊ね、玲子ちゃんは。まだ開封の儀も済ませてないんだから。」

「……へ?」


 玲子の反応を見て、二人は真っ白い歯でにこやかに笑った。

 そして噂の開封の儀が始まった。


 バサッ!


 音を立てて、少しずつ組み上がっていくソレ。


 ゴトッ! 


 もしかすると大型サーバーなのかもしれない。

 教室の床の強度が心配になるほどの重量感だ。


 ——そして、凛々しくも荘厳な機械マシーンが玲子の前に現れた。


「って、そっちの機械マシーンかい!!結構、序盤から分かってましたけど‼︎」

「あぁ。精密機械マシン扱いで発注しておいた。1gも狂いがないように丁寧に開封したかったのだが、どうやら問題はなさそうだな。……素晴らしいだろう。パソコン研究部の機材の下取りと部費の申請で、この学校の経理を欺き、トレーニングルームを密かに完成させたのだ‼︎」


 これはもう、犯罪なのでは?

 いや、精密機械というのは間違いないのだし、パソコンを下取りに出したなら……

 ——うん、やっぱり犯罪。


 正直に、体育会系の部活に変えていれば、なんとかなったような気もするが、そんな無粋なことを玲子は言わない。

 彼らが特別な扱いを受けているということは、学生でも何となく分かっている。


「でも、使い方には注意が必要よ。みんなも分かった? 勝手に使うと火傷しちゃうからね?ちゃーんと私の言う通りに使いなさい。脈打つ筋肉を見せてくれたら、ご褒美をあげちゃうから。」


ゴッドブレスユー・ベロニカ先生……。

 大胆に胸元が見えて、体のラインもはっきりと分かるトレーニングスーツ。

 そんな格好でセクシーなことを言わないで!

 元になってしまったパソコン研究部の男子生徒には刺激が強すぎます!

 思春期陰キャ先輩達の腕立て伏せが、いつの間にか何立て伏せになってますよ!


 ——っていうか、なんでその力で何立てが成立してんだよ!


 なんて、……悲しいこと。私の居場所、パソ研も変わってしまいました……、パソ研の人間じゃないけれど……。

 ねぇ、紅一点の小百合先輩!……ってダメだ、小百合先輩も六の大胸筋にご執心のようだ。


 どうやら小百合先輩は禁断の実を食べてしまったらしい。


「あ、はい!そうなんです!……え?いえいえ、上腕二頭筋さんの言うことも分かるんですけど。……あ、そうそう。そうなんです!」


 彼女は六先生他人の大胸筋と直接会話ができる『ガチムチの実』の能力者になってしまったようだ。


「ところで、引寄君、明日の保護者参加型の授業の準備はいいのか? 私が担当する数学がそれにあたる筈だったが……」

「あわわわわ‼︎そ、そうだった‼︎ せ、先生、授業中は変なこと言わないでくださいね!じゃ、私は今日の課題の筋トレやって、早めに帰って予習します!!」


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