名前
黙る昇太郎が気に食わないのか美月は身を乗り出したまま細目で睨むように彼を見続ける。
「さぁ、あなたが私を名前で呼ぶまで絶対にこの家から出ないわよ。」
(そ、それはそれで何か好都合…違う違う違う!
何を血迷ってるんだ、俺は!?
こんな狭い家で初々しい男女が2人でいたら間違いなく、かなりヤバい「間違い」が起こるぞ!
恥ずかしいけど、ここは心を無にして名前を呼ぶか…。)
「会社帰りからさりげなく名前で呼んでたけど一向に私を気遣って名前で呼び返すどころか、その事に全く気付かないって…ただただ私が恥ずかしいだけじゃない!
だから…今ここで私を名前で呼びなさい!」
「は…はい、分かりました。
えと…」
顔を赤くしながら怒鳴り散らす美月を見て決断を迫られた昇太郎は覚悟を決めて彼女の名を口にした。
「ミツキサン。」
「何よ、その声…。
うちの支部の司令部でもそんな声出さないわよ。
彼らの声も無機質だけど、あなたのはそれを越えて、まるでロボットみたいね。」
「MITSUKISAN。」
「すっごいネイティブな発音…。
よくそんな感じで喋れるわね。
アメリカの人達も一発で聞き取れると思うし、あなたを本物のアメリカ人だと勘違いするんじゃないかしら。
逆にあなたの知り合いにアメリカ人がいるか疑うレベルね。」
「ミィツゥキィサァン。」
「どんな喉してるのよ!?
それは最早、山◯◯一と同じレベルじゃない!
喉叩いたり、扇風機使わないでそんな感じで喋れるなんて喉に機械でもあるの!?
そのまんま、宇宙人よ!
しかも、それは50年代以降の世代のネタよ!
あなた、年齢詐称してるんじゃないかしら!
…って、違ーう!」
割とノリノリな感じでツッコミをする美月だが、我に返ったように頭を左右にブンブンと振りながら大声を出す。
「ちゃんと呼びなさい!
ふざけるの禁止!
面と向かってしっかりと呼ばないと、そろそろ本気で怒るわよ!」
「いぃぃ!
わ、分かりました!
分かりましたから、そんなに怒らないで下さい!」
観念したのか、少し顔が紅潮しながら真っ直ぐに美月を見据えて口を開いた。
「美月…さん。」
ぎごちない感じながらも名前を言い切る昇太郎だが、それを見てもまだ美月は不服そうな顔をしていた。
「こら、さん付けじゃなくて呼び捨てで呼びなさい!
こっちだって呼び捨てで今まで呼んでたんだから!」
「そ、それは流石に無理ですよ!
それは先輩だから呼び捨てに出来たんです!
俺は後輩だから呼び捨てになんて出来ないですよ!
せめて、さん付けでお願いします!」
それを聞いた美月は暫く膨れっ面をしていたが、やがて苦笑いをし承諾した。
「そうね、分かったわ。
仕方ないけど、さん付けで我慢してあげる。
でも、だからといってさん付けで妥協した訳じゃないからね。
まだ、あなたは入社したての新人だけど、いずれそれなりのキャリアを積んで役職でも付けられたら、その時は必ず呼び捨てで呼んでもらうから。
それじゃあ、今日のところはここで帰るわ。
また明日、支部で会いましょう。
それじゃあまた。」
「は、はい!
それではせ…」
「………!」
それ以上を言いかけたところで美月の鋭い視線をもらう昇太郎。
思わず仰け反り、言い直す昇太郎。
「えと、美月さん…また明日支部で。」
「はい、分かりました。
じゃあね。」
その言葉を聞き、笑顔に戻った美月は玄関の扉を閉める。
「何か…明日から凄い波乱な毎日になりそうだな…。」
美月が帰っていった玄関の扉を見て昇太郎は明日からへの不安を覚えながら、そんな事を呟いた---
青原支部事務室前廊下、美月は書類を抱え、事務室に向かっていた。
(昨日は結構強気な感じだったけど、それは2人きりだからであって、日中の仕事中じゃあ、やっぱり周りに気を遣って変な事しそうな感じがするわ。)
事務室に入ると美月は自分のデスクに向かう。
彼女の向かうデスクの道中には必ず昇太郎のデスク前を通る。
つまりは否が応でも彼と何かしらアクションが起こる。
そうこうしているうちに美月は昇太郎のデスク前に差しかかった。
真剣な眼差しでパソコンと睨めっこする昇太郎の姿があった。
美月は立ち止まり、そんな真剣な彼を見やる。
(今日は…書類の量から察するに普通の仕事量ね。
今日の分のノルマかしら。
だとしたら、今日は何もミスはしてないみたいね。
うんうん、感心感心。)
自分でも気付かないうちに昇太郎の仕事ぶりに自然と笑顔になる美月に昇太郎は丁度そのタイミングで気付き、声をかけた。
「あっ先輩!
何か笑顔で、凄い嬉しそうですね。
何か良い事でもあったんですか?」
「えっ!?」
(やだ、ちょっといつの間に顔笑ってたの!?
皆がいる前で昇太郎に見られちゃったわ!
それに、何か言葉返さなきゃ駄目だし…。
うあぁぁん、昇太郎ごめん!)
「何でもないわ!」
美月は恥ずかしさのあまり、思わず汚物でも見るような視線を彼に浴びせ、捨て台詞を吐きながら足早に自分のデスクに向かった。
そして、丁度そこを通りかかった鶴田に昇太郎は肩に手を置かれた。
「随分と嫌われたものだな、獅子谷。
また何かしたのか?」
「あっ鶴田先輩。
いや、何もしてないと思うんですけども…。」
肩に置かれていた手は今度は書類に化けた。
「まぁいい。
ほれ、今日の分、追加だ。」
「はい、分かりました。」
美月はその後、目を見張る程の速さで書類を片付けていった---
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます