細やかな日常

「ごめんなさい、正面に回るの手間だから後ろからやらせてもらうわ。

少し窮屈だと思うけど我慢してちょうだい。」


「そ、そうですか…。

分かりましたぁ…。」


(せんぱぁぁぁい!

後ろから当たってる!

色々当たっちゃってるよぉぉぉ!

駄目だ、水着着てるから問題ないとか全然なかったわ!

こういう思いがけないハプニングがまさかあるとは思ってなかったぞ!)


外面は落ち着いてる反面、内心ざわめく昇太郎を美月は知ってか知らずか丁寧に洗う為に肌の密着を更に強める。


「先輩?

あの…そんなに丁寧に洗わなくて大丈夫ですよ?」


「駄目よ、何言ってるの!?

私達、青原支部の人間は主に妖魔退治が仕事なんだから肉体労働よ?

汗はかなりかくでしょ?

垢だって大量に出るかもしれないからマデニ洗わなきゃ駄目に決まってるじゃない!」


どうやら昇太郎の選択は間違っていたようで弱まるどころか、意識が高まり更に密着度合いが強くなる。


(くそぉ、藪蛇かよ!

潰れてる、潰れてるよ!

水着越しからでも分かる通り低反発枕みたいに潰れてるよ!

先輩、マジで恥ずかしいです!)


暫くすると洗っていた手を突然止めた。


(何だぁ、急に?

でも殆ど、洗う所はもうないから、もしかすると今度は…。

不味い、それは非常に不味い!)


内心身構え、美月の次の動きを窺う昇太郎だったが、美月は持っていた垢擦りタオルを昇太郎に渡した。


「はい、私のやるべき事はもう終わったわ。

後の箇所はあなたが自分で洗って。

言わなくても分かるわよね?」


「ももも、勿論です!

色々身体洗ってくれてありがとうございました!」


「それじゃあ、私着替えて戻ってるわ。」


そう言うと美月は身体を翻し、引き戸を開けて脱衣所に戻っていった。


それをしっかりと見送った昇太郎はすぐに項垂れる。


(ふぅ、やっと終わった!

ドキドキしっぱなしのこの時間はかなり苦痛だったぞ!

それを…よく理性を保って耐えた俺、偉い!

自分で自分を褒めてやりたいとはまさにこの事!

はぁ…さて、さっさとあそこ洗お。)


頭が冷静になって帰ってきたところで昇太郎は大事なところを1人洗い始めた---


「先輩、お風呂終わりました。」


昇太郎はリビングに出て辺りを見回すと、本棚の辺りで漫画本を読んでる美月を発見した。


「ごめんなさい、昇太郎。

この漫画本、黙って読んでたわ。」


数秒遅れて昇太郎の方を振り返り、美月の声が返ってくる。


「あっ、それはいいんですけど…。

すみません、面白ければいいんですが…。」


「何よ、そんな腰を引いた言い方して。

結構、面白いわよ。

こういう、ほのぼのとした日々の日常を綴る漫画、何か面白いわ。

これがあるって事は昇太郎もこういう漫画好きなの?」


「は、はい。

先輩の言う通りです。」


(先輩と漫画の趣味が被るなんて…嬉しすぎる!

会話のネタがまた1つ増えたような気がするな。)


美月は一旦読んでいた漫画本を本棚にしまい、昇太郎の方へ振り向いた。


「やっぱり、そうなのね。

因みに何でこういうジャンルの漫画を好きになったのかしら?」


それを聞かれた昇太郎は突然表情が陰る。


「あっ、無理して答えなくていいのよ!?

その…少し気になっただ…」


そこまで喋ったところで昇太郎はその先を遮るように口を開いた。


「いいえ、今ここには俺と先輩の2人しかいませんので、この際だから喋ります。

前にも話したと思うんですけど俺はずっと両親が殺されてから妖魔退治を生業として生きてきたんです。

日々見たくもない血の雨を見て、殺されたくないから疲れて倒れそうになる身体を無理に奮い立たせて妖魔を退治する。

そんな緊迫感に溢れた毎日を過ごしてきた俺にとって細やかな日常というのはとても憧れだった。

子連れの家族を見るといつも妬ましい目で見ていた。

でも、こんな汚れた手じゃあ、どうしたってあの日向へは行けない。

そんな中、何気なく入った本屋で店頭に並んだ本を見て吸い寄せられるようにそれを手に取った。

それが先程先輩が読んでたあの本です。」


そう言いながら昇太郎は顔を本棚の方に向け、美月もそれに釣られるように本棚の方に振り返った。


「店頭という店員が見ているところで立ち読みはかなり行儀が悪かったのは知ってたのですが、本の『高校生達の何気ない日常』という帯コメントを見てから身体が勝手にその本を開いた。

その後は言わずもがなレジの店員さんに怒られたので潔く買いました。

でも、例え怒られなかったとしてもあの時の自分は必ずその本を買っていたと思います。

それくらい、僕はその本が大好きなんです。」


言い終えて数秒、その場で2人は黙り込んだ。


その空気が耐えられなかった昇太郎が照れ臭そうに苦笑いをする。


「長々と喋ってすみません。

先輩もそろそろ帰った方がいいのでは?

外はもう真っ暗ですよ?」


「謝らなくていいわよ。

確かに重い話だけど、素敵な理由じゃない。

それに…」


「それに?」


美月もなぜか頬を赤らめ、数秒その先を言いにくそうに床と昇太郎を交互にチラチラと見ながら思い切ったように口を開いた。


「私がこの本を見た時に…面白いと思ったのも…さっき昇太郎が言ってた理由と大体同じだから…。」


「あっ、そ…そうなんですね、先輩。」


「………。」


だが、美月は先程まで赤らめ照れ臭そうだった表情から一変し、眉間に皺を寄せて怒り顔になって昇太郎の両肩を掴みながら顔を近付けた。


「ちょっと、その『先輩』って呼び方何とかしてほしいわ!

折角…2人きりなんだから、せめて名前で呼んで!

私もさっきからずっと名前で呼んでるのに!」


「えっ!?」


今の昇太郎にとって美月と交際する上での最初の関門が立ち塞がった。

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