気遣いのチョコレート
その日の夜、青原支部の出入り口付近。
竜胆美月は溜め息を吐きながら項垂れていた。
いつもの凛とした佇まいの胸を張った姿勢からは程遠く、今の彼女はおそらく支部内の誰もが想像も出来ない姿であろう。
それもそのはず、今日1日を振り返り、何から何まで全てが空回りしていた事が彼女の中で納得いかなかったのだ。
普段している仕事を普段通りにこなす当たり前の日常が当たり前に出来なくなってしまっている事に彼女自身はとうとう嫌気が差して、思わず心の中で呟いた。
(何か次第に悪化してる!)
そして、本日3度目の誰もいない広場での壁に手を付いたしゃがみ姿勢。
今までよりも落ち込み度が甚だしかった。
(彼が来てから1日や2日は少しのミスだったのが、今日はほぼほぼ全ミスに近い!
何なのよ、一体!
どうしたって言うのよ!
全然仕事が手に付かないじゃない!
何をするにしても彼の顔が浮かぶ!
明日から本当にしっかりしないと…このままじゃ支部の皆に示しが付かないし、何より斬り込み隊長としての威厳が損なわれてしまう!)
しゃがんだ姿勢のまま、壁に付いた手を胸に引き寄せ、軽く握る。
(私は支部内にその名轟く石金の美月。
石と金のように心を固く持たなきゃ駄目。
いつまでもこの心の動悸に惑わされるな。)
「先輩。」
すると、後ろから真剣味が薄れた軽薄そうな声がかけられた。
「し、獅子谷さん!」
「お疲れ様です!
自分も今上がりで、折角なので一緒に帰ろうかと思いまして、どうです?」
「え…えと…それは…その…。」
何の前触れもなく、突然昇太郎がやってきた事で美月はバネのように即座に立ち上がった。
動悸も再来し、加速度的に上がる。
しばらく答えあぐねていたが、数秒後、いつもの声の調子ではない声で返答する。
「い…いいわよ---」
街路樹がある歩道をてくてくと歩いていく。
昇太郎はそうでもないが、美月は気落ちしたようにずっと顔を俯かせていた。
それを見兼ねた昇太郎は自身の懐を弄った。
やがて黒いポーチを取り出すと、そこに付いてあるジッパーを引き、中からこれまた黒い小さなプラスチックの長細い包みを美月に渡した。
「先輩、これを。」
「何よ、これは?」
「チョコレートです。」
「?」
突然にチョコレートを渡され、訳が分からない美月だったが、渡された物を受け取らないのも人としてどうかと思い、素直に受け取りつつも彼に尋ねた。
「何で私に急にチョコレートを渡すのよ?」
「何かさっきから落ち込んでいるようでしたので、それをあげました。
落ち込んでいる時やスランプ状態になった時は、とりあえずは糖分補給。
これは鉄則ですよ。」
「!!!
…ありがとう。」
(私を心配して、このチョコレートを…。)
先程までの動悸と変わり、今度は温かく、心地良い気持ちが沸いてくる。
「だったら、遠慮なくいただくわね。」
包みを破り、その中身を出す。
それは茶色塗りの普通のどこにでも売っているチョコのようだった。
小さく口を開き、その先端に齧り付き、そのままポッキリと折る。
すると、折った断面から茶色の水飴のようなドロッとした物体が飛び出した。
「はむはむはむはむ。」
(やわ小動物だわ。
きまげるはんで絶対に言わねぇばってな。)
美月のさながら小動物のような食べ方に昇太郎は顔が綻びそうになるのを必死に抑え、努めてポーカーフェイスを装った。
「変わった味のチョコね。
食べた後にピーナッツが入っているのは分かったけど、この茶色の伸びてる物体は何?
それに何か、歯にくっ付いてくるこの物体も気になるわ。
全部美味しいのだけどね。」
「そいつはキャラメルとヌガーです。
そのチョコは中にピーナッツとキャラメルとヌガーを入れて外側をチョコで包んだやつですよ。
何かのCMでやってたんですけど『お腹が空いた時は』何とやらってな感じの謳い文句を掲げたチョコです。
試しに買って食べてみたら、こいつがまたドハマりしましてね。
今ではこのポーチに何個か入れて持ち歩いていますよ。
腹持ちもいいからどうしても腹が減った時なんかは少し摘むのにも丁度良いですしね。」
「へぇ、そうなのね。」
微笑みを浮かべながら昇太郎に相槌を返す。
だが、すぐにそれは崩れ、悲しげに顔を俯かせた。
片手で持ったチョコを見つめたまま、小さい声で呟く。
「ごめんね。」
その言葉を聞いた昇太郎はいつものヘラヘラした表情とは打って変わり、神妙な面持ちになった。
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