矜持
青原支部近くにある喫茶店のテラス席。
2人共、手元にはコースターの上に置いてあるコーヒーが置いてあり、美月に関しては根掘り葉掘り聴取する気満々だが、どうやら昇太郎に関してはあまり乗り気ではないようだ。
顔に締まりがない様子から察するに未だに状況を理解していないように見える。
眉根を寄せ、厳しい顔つきをする美月に対し、昇太郎は恐る恐る話の口火を切った。
「そんで、俺に何の用なんです?
俺は悪い事はしなかったと思ってましたが、周りの先輩方は皆、俺が竜胆先輩に迷惑をかけたと言っています。
現に先程の先輩はとても不機嫌な顔をしていた。
そんな竜胆先輩が今更俺に何の用なんです?
俺自身、何も思い当たらないのですが。」
「獅子谷さんとこの間、初めて対面した時から、私ずっとおかしいのだけど、あなた私に何かしてないかしら?」
「変な事?
例えば、どんな事です?」
「例えば…こう、精神に作用するような特殊な…何かよ。」
「何なんですか、それは?
全くもって意味分からないです。」
「惚けないで!
私、あなたの顔を見るだけで苛々とモヤモヤが合わさって全身を掻き毟りたくなるような感覚に襲われるのよ!
それだけじゃない!
さっき、控え室で刀を研いでいた時にもその手を止め、何もしなくなれば、すぐにあなたの顔が脳裏に浮かぶ!
私だって、あんまりこういう精神的なものを人のせいにはしたくないんだけど、私は確信している!
どんな角度から考えても、獅子谷昇太郎、あなたに原因があるに違いないわ!」
人差し指を昇太郎に突き差し、大声で威圧をする。
「なるほど、そんな事があったんですか。
だから、俺が全ての元凶だと思った美月先輩はここまで俺を連れてきて、こうして訳を聞いていると。」
「そういう事よ!
そんな事より、どうなのよ!
あなた、私に何かしてるんでしょ!?」
「まぁ、そう言われてもですねぇ。
何かしてるも何も全く変な事してないですよ。」
「………。」
あからさまに不機嫌になり、膨れっ面をする美月。
それを見兼ねた昇太郎はコーヒーを一口飲み、再び口を開いた。
「それじゃあ、まずは根本的なところから原因究明していきましょうよ。
あの日、事務室に入ってきた美月先輩の状態はどうでした?」
「別に普通だったわね。」
「じゃあ、そこから真っ直ぐこちらに歩いてきて俺に説教しにきましたよね?
その時はどうでした?」
(本当に正直な人…。
あの事を「話しに」じゃなく「説教しに」って…少しは遠慮というものがないのかしら、この男は…。)
「そ…その時も大して…変わらなかったわね。
少し…あなたに対する職務怠慢の怒りが…あっただけで。」
額に青筋を浮かべかけるが、平静さを取り戻そうと我慢し、抑え、昇太郎の質問に淡々と答える。
「うーん…。」
顔を俯かせ、顎に手を当てながら、思考に耽る昇太郎。
しばらくして、思い出したかのように言葉を発する。
「先輩方は皆あの時『よくあんな事言えたな』って言ってましたけど、その言葉って確か…『先輩、可愛いね』だったけ?」
「なっ…!」
昇太郎の最後の言葉を聞いた瞬間、美月は驚きのあまり、座っていた椅子をガタッと揺らす。
「まぁ、最初見た時、先輩は今まで会ってきた女の人の中でもとりわけ可愛かったからなぁ。」
「ちょっ…いやっ…。」
どんどんと沸騰する薬缶のように見る見るうちに顔を赤らめ、否定するように何度も首を左右に振る。
「まぁ、今こうして面と向かって話しても先輩は可愛いなって思いますよ。
って、先輩?」
呼びかけられた美月本人はテーブルに両肘をつきながら頭を抱えていた。
頭の中で昇太郎が先程言った「先輩、可愛いね」という言葉が何度も何度も反芻し、それしか頭の中に浮かばず、最早それ以外は何も考えられないような状態だった。
周りの視線やら呼びかけられる声やらも全く気にならないくらいには異常な様子である。
「先輩、どうしました、竜胆先輩?
先輩、先輩?」
その声に気付いた時には昇太郎の心配そうに見てくる顔が美月の目の前にまで近付いていた。
「いやぁ!」
「うわっと!
『いやぁ』って…一体どうしたというんですか?」
「いや…その…」
視線の焦点がしばしぼやけていたが、徐々に元通りになり、昇太郎を捉えると再び先程の「先輩、可愛いね」という言葉が1回頭の中を反芻する。
「い…今の言葉、取り消しなさい!」
立ち上がり、テーブルの上を両手で叩きながら凄んでくる。
「取り消すって…『可愛い』っていうのですか?」
「そうよ!
私、分かったわ!
あなたに『可愛い』って言われたから、こんなにおかしいのよ!
今すぐ、その言葉、取り消しなさい!」
「いや、待って下さいよ!
こんなに可愛いのに取り消すってのは何なんです?
それこそ、変じゃないですか。」
「うるさい!」
美月は先程まで発していた大きな声を更に一段階張り上げ、喝を入れるように口が減らない昇太郎を黙らせる。
今や、彼らのやりとりは周りのテラス席にいた客やその人らを接客していたウェイター達の視線を一手に集めていた。
「私は青原支部斬り込み隊隊長、竜胆美月!
通り名は石金の美月!
そうよ、私は石や金属のように固い心を持つ女!
どんな重大な事や些細な事でも決して曲げる事はない心を持った女!
私は石金で在らなければならない!
石金こそが私なのよ!
そんな私を軽々しく可愛いなんて言わないでよ!
この馬鹿…大馬鹿者!」
泣いてはいないようだが、怒気を孕んだ声轟くような声は昇太郎は言わずもがな、周りの客やウェイターすらをも黙らせた。
そして、今になってようやく周りの視線を集めている事と自分の今までの醜態に気付いた美月は3回程深呼吸を繰り返し、昇太郎に謝罪した。
「ごめんなさい、取り乱してしまって。」
「いえ…大丈夫…ですけど。」
「私のこの変な気持ちを治す方法、一緒に考えてくれる?」
「は…はぁ、分かりました。
自分なりにも一応…考えてみます。」
「代金、ここに置いておくから後で払っておいて。」
「はい…。」
「あなたは退勤時間だと思うけど、私、そろそろ戻らないと支部の皆、心配しちゃうと思うから。
じゃあ、また明日。
ご苦労様。」
「はい…お疲れ様でした。」
そして、悲しげな雰囲気を漂わせる背中を見せながら美月は支部に戻っていった。
その背を見送った昇太郎もしばらくテラス席にいたが、やがて少し残っていた残りのコーヒーを一口で飲むと店内のレジで会計を済ませ、喫茶店を出ていった---
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