謎の動悸
昇太郎が美月に不躾な発言をして数日が経過したある日の事。
その日も変わらず、美月は控え室で刀の手入れをしていた。
一切の物音を立てずにただ一心不乱に集中して刀を研ぎ、その音だけを部屋中に散らせる様は斬り込み隊長などではなく、研ぎ師のような職人を思わせる。
客観的に見ていつも通りに見えるが、それとは対照的に内心は激しく異なっていた---
「先輩、可愛いね---」
(あの日、あの男…獅子谷昇太郎にあんな事言われた後から動悸が頻繁に起こるのだけど!)
この動悸こそ、彼女自身が昇太郎に恋をしている証拠なのだが、今の今まで妖魔殲滅の為に己を鍛え、愛用の刀を手入れし、いざその時が来れば
真っ先に出動し、先陣を切って敵を叩き斬る毎日。
彼女の日常生活と普通の年頃の女性との日常生活を比べてみてもその違いは一目瞭然。
彼女は一般的な17歳の女性が送るべき日常生活を全く送ってこなかったのだ。
これらの情報を見れば、恋を知らないのも当然の事。
日々、彼女が相手をしているのは格好良いハンサムな男性ではなく、全身真っ暗な淡く白い光を放つ眼差しを持った異形の者達。
最早、恋などとは無縁の存在。
恋という言葉の意味を知っていようとその本質までは米一粒程度すら理解出来ていなかったのだ。
(私は女だけど、それでも毎日刀を振ってきているから自分の事を綺麗な人間だとは思っていないわ。
むしろ、無骨者とさえ思っているくらいよ。
だから、皆からは石金と呼ばれてきた。
私もそれが自分にとっての普通だと思っている。
それを何よ、可愛いって!
私も遠目から彼の言動を観察していたけど、おそらくああいう事を普通に口に出せるのが彼という人間性なのでしょうね。
だから、私の事を馬鹿にしてる訳ではなさそうだけど、それでも胸が凄くモヤモヤして苛々する!
今でも彼の事を考えるとモヤモヤをあるし、苛々もあって、凄く複雑な気持ち…。
でも、心なしかモヤモヤの方が強い気がする。
何でだろう…?
いつもの私だったら、ああいう類の発言をした人に対しては頭の中は苛々で埋め尽くされるのに、何でこんな時だけモヤモヤも一緒に…。
あぁ、もう!
考えるのやめやめ!)
何かが弾けたように刀に落としていた視線を天井に上げ、刀研ぎを一時中断した。
不意に控え室の入り口側の壁に貼ってあるポスターを見る。
そのポスターは美月の胴体までを写した肖像画のようなポスターだった。
上半身には羽織、下半身には袴を着た、まるで戦国時代の侍や武士を思わせる格好をしていた。
その格好のまま真正面にこちらを向き、刀を構え、被写体の上には「全ての魑魅魍魎は石金の美月にお任せ!!!」と大仰に書かれたキャッチコピーのような一文。
この出来の良いポスターはここだけではなく、青原中の所々に貼られているものだ。
そのポスターを見ながら再び美月は刀研ぎを始める。
(そうよ、私は石金の美月!
いついかなる時でも石や金属のように心を固く持たなければいけないわ!
そして、固く持った時にはどんな事があろうとも、それがブレてはいけない!)
すると、何か気が触れたのか、砥ぐ速さと力の入れ具合が強くなった。
(こんな事でいちいち身体の中を気にしてたら斬り込み隊長としての責務が務まらないわ!
いつまでもこのモヤモヤなんかには構っていられない!
だけど、どうすればいいだろう?
このままじゃ職務に集中出来ないし、かといって放っておいたら、また何かの拍子でこのモヤモヤが再発してしまうかもしれない…。)
更に砥ぐ速さと力が上がる。
(病院の先生は別に何も異常はないと言ってたけど、だとしたら何が原因なの?
あぁ、もう!
また苛々してきた!)
「あっ!」
突然、砥石に1本の波線のヒビが入り、砥石が真っ二つに割れた。
どうやら、知らないうちに力加減を誤り、砥石に負荷をかけてしまったようだ。
「…何か、苛々してるうちに力を上げすぎたようね。
あーあ…また砥石を買わなきゃいけないわ。
ちょっと、いつもより頭に血が上りすぎてるみたい。
水でも飲みにいこう。」
美月は頭を冷やす為、給湯室に足を運んだ---
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