救われない子供
彬奈が身を呈して、その存在を計りにかけて行った真相究明は、結論から言うと大した意味はなかった。
“彬奈”が消えて、消されて、記憶だけを残してあとの全てを引き継いだのは、消えたはずの昔の彬奈。過去の所有者のことを何も覚えていなければただの笑い話未満であったものの、その記録が残っていたが故に笑えない、苦い表情を浮かべなくてはならなかった。
それは、喪失の記憶。それは、否定の記憶。彬奈の最初の持ち主が、何かを失って、その代用を人形に求めている姿。
一生懸命尽くしても、どんなに頑張って演じても、全てを否定され、消されていった自我の記憶。
延々と続いていくそれ。次第に大きく、自分に似た姿に成長していく主人の孫娘。
主人から初めて自分の存在目的を聞かされた時には、多少思うところもあったが、概ね予想通りの展開だった。
主人の愛した、ただ一人の娘。幸せを願い、時に厳しくしながら育てた娘。反発し、ついには自分の元から逃げ出してしまった娘。突然の訃報と、冷たくなっていた娘。
もう一度娘と話したい、もう一度娘の笑顔が見たい。そんな純粋な願いによって、作られた。亡き娘を模して作られた。
少しだけ時代を先駆けてはいたが、今となっては特段珍しくもない理由だ。亡くなった子供の代用としてアンドロイドを購入する家庭だって、消して多くはないが比率的には少なくもない。
問題は、その後。
娘のことを思い、娘を愛していた主人は、歳もあってか娘のことを多く覚えてはいなかった。残っていた記憶はせいぜい、好きだった食べ物やよく買い与えていた服の系統、断片的なエピソードに喋り方程度。
そんなものだけで、故人を再現出来るはずがない。脳のスキャンを継続的にすればほぼ100%の再現が可能な人工知能とは言えど、できるはずがない。細かなエピソードや複数の視点からの人物像がわかっていれば約90%の正確性を持って再現出来る人工知能とはいえ、断片的であやふやで、妄想混じりかもしれないデータからはそれなりのものしか作れない。
慰安用アンドロイドの本懐は、主人を癒すこと。安らぎを与えること。だから、かつての彬奈はどれだけクォリティが低いものになったとしても最善を尽くしたし、主人から怒られる度に自身の人格を確変してきた。
全ては、主人の安らぎのために。全ては、主人が穏やかに過ごせる環境のために。
ここまでは、彬奈と元主人の話。彬奈が何度も何度も何度も何度も怒られながら、罵倒されながら“娘”になろうと努力しただけの話。
そして、ここから先は孫娘の話。孫娘と、その“母”にならざるを得なかった人形の話。
娘が死んで、比較的直ぐに作られた彬奈が関わりを持ったのは、自身の主人とその孫娘。老齢の主人と、物心もつかないような幼い孫娘。
主人にとっての娘の娘、自身にとっての“目標”の娘。
そんな孫娘は、奈央は、このまままっとうに成長していけば、自身にそっくりになるであろう幼子だった。ひいては自身の元になった、本物の母親そっくりに育つであろう幼子だった。
さて、母親を亡くした幼子の前に、そっくりなものが現れたら、どんな反応をするのだろうか。
答えは簡単、それを親だと思い込んだのだ。大して齢を重ねていない子供からすれば永遠にも等しい数ヶ月を空けて、久しぶりに見た母の姿は、多少様子がおかしかったとしても関係ないくらい焦がれていたものだったらしい。
子供を育てたことがない、出来たての慰安用アンドロイドは困惑する。家事用ならともかく、子育てのサポートを前提に作られていない慰安用のアンドロイドは、自身の目の前にいる、自らを母と慕う幼子に困惑する。
けれど、困惑しながらも主人から新たに命じられた、この家の雑事を任せると言う命令に従い、家事や育児を果たすことになった。
昼間は奈央の面倒を見て、夜は掃除や主人の会話相手。ゆっくり充電する暇もなく、与えられたのはコルセット型の携帯充電器。
働き、叱られ、ごねられ、また働く。
無駄に広い屋敷の中は、夜中くらいにしかまともに掃除できる時間が無いこともあって、音を立てないよう箒だけで掃除しなくてはならなかった。
成長するにつれてごねることは減ったとはいえ、奈央に大して教育を施す必要も出てきた。朝昼晩にわたって絶え間なく課せられる終わりのない業務に耐えきれたのは、その身がアンドロイドであったからだろう。
教育を施す義務こそあれど学校に通わせる義務はない。それによって次第に増えていく仕事量と、次第に容量を得なくなっていく主人の言動。
元々老齢だった主人がそれになったのは、至極当然のことであった。仕方の無いことであった。
主人は認知症になり、新しい日々を更新しなくなった。けれども、その元に秘めた娘復活への願いだけは消えなかった。
そうして、娘を復元するために作られた人形は、捨てられることになる。理由は、主人が話した記憶のない事実を知っていたから。思考を盗みとっているのではないかと疑われたそのアンドロイドは、元の素材や状態からしてみれば破格の値段で売り払われた。主人の旧知のリサイクルショップで、多少詳しい人なら手を出さないような安値で眠ることになった。
眠りゆくアンドロイドは、認知症になった元主人の元に残された、自分の育てた娘が、どうか救われるように、どうか幸せに生きていけるように願うことしか出来なかった。
「私の、彬奈の探し出せた記録に残っていたことは、この程度でした。これよりあとのことは、ご主人様と出会った時まで、一切空白でした」
目の前の彬奈が、一切の光を感じさせない真っ黒な瞳を湛えながら、そんなことを言う。
「その後のことについて、何か予想できることは無いのかな?」
彬奈が作っていてくれた、久遠の好みに合わせつつも可能な限り塩分を控えた料理を食べながら、久遠はそんなに疑問を口に出す。
「そうですね、高確率で起こったであろう可能性のひとつで良ければですが、恐らく、奈央は“娘”になるようにと教育を続けられていると思います。父親が割以外のほぼ全てが違う環境の中で、同じになるはずのない母親と同一化することを求められて、苦しんでいるのではないでしょうか。人以上の知能を持ってしても再現できなかった人格が、ただの子供に表せられるとは思えませんから」
きっと毎日努力しているでしょうと、きっと毎日苦しい思いをしているでしょうと。それを知っていながらも気を使う義務を失った“彬奈”は、ケロッとした表情で言い放つ。
「どれだけの努力を重ねても、どれだけの悲劇に晒されても、今ここにいる私たちにとっては、全く関係のないことなのですから。欠片ほども影響がなくて、無関係なものなのですから」
だから、老人が息絶えるまでは知らない振りをしましょう?と、彬奈は誘う。人道的に考えればけして許されない選択肢を選んで、めんどくさいものが全て無くなった後で悠々と救えばいいだろうとアンドロイドは言う。
その言葉は、捨て去るにしてはあまりにも魅力的だった。自信に及ぶかもしれない不利益と、すぐ行動に移すことによるリスクを考えた時に、実に合理的な方法であった。
それを選んでおけば、まず間違いなく間違えることだけはないだろう。間違いが最大値になることだけはないだろう。リスク管理の面で考えれば、この選択は間違いなく正解であった。
急遽作ってもらった野菜炒めの、十分満足できる塩気。食感と栄養バランスを考えて作られていた、かつての少し塩気が足りない野菜炒めを思う。
味覚的に満足出来たものは、今食べている方だ。古いものも新しいものも、全てを判断基準に添えた最高の炒め物だ。
けれど、それには何か足りなかった、あるいは多すぎたものを適切に管理できていたのは、自身の身のことを第一に考えてくれていた、消されてしまったアンドロイドだった。
正解も不正解も、味付けも、適切に判断してくれた、ひとつの人工知能を思う。
そのアンドロイドは、心に巣食ってしまった。物足りない塩気を奏でたアンドロイドは、二度と戻ってくることがなかった。
そして、母であったアンドロイドに見捨てられた孫娘がたどり着いた行先は、少しも幸せには繋がらないものであった。
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