エピローグ ある子供の苦悩

 広い家。広い部屋。


 痛みで目が覚めることがなくなって、しばらくしても相変わらず慣れることのない環境で、子供、奈央は目を覚ます。


 暴力を振るう父はいない。代わりに、優しかった母もいない。いるのは、奈央自身と無関心な祖父だけ。


 寂しくはあるが、仕方の無いことだ。天涯孤独というわけでもないし、今は虐待されているわけでもない。これ以上を望んでしまえば、バチが当たるだろう。


「ボクは幸せだ。ボクは幸せだ。ボクは、しあわせなんだ」


 自分に言い聞かせるように、と言うよりも、そのまま自分に言い聞かせるために鏡に向かって呟く。ネグレクトされてても、学校に行きたくなくても、幸せだと思えれば、それが奈央の幸せだった。


「ボクは幸せなんだ。幸せじゃなきゃいけないんだ。そうじゃなきゃ、ボクはボクでいられないんだ」



 自ら進んで沼にいようとする奈央を、止めたクラスメイトがいた。そのクラスメイトは、否定されて、踏み込むことが出来なくなって声をかけられなくなってしまった。


 奈央のこと心配した大人がいた。自身のことを幸せと言って、助けを求めなかった子供に対しては、何もすることが出来なかった。



 奈央に対して、余計なお世話を焼いた男がいた。話を聞いて、沼から出そうと手を差し伸べてくれた。けれど、沼にいたいという意志を変えることは出来ずに、定期的に話すだけになった。


 自分が幸せではないことなど、本当は奈央にもわかっている。けれど、もしかしたら、祖父が自分を見てくれるようになるのではないかと、自分自身のことを見てくれることになるのではないかという期待のせいで、沼の中の平穏の先に幸せがあることを夢見たせいで、何も行動に移すことは出来なかった。






「……うん。ありがとう、おじさんも気を付けてね」



 そのか言葉の後に、あるいは前に、本当は助けを求めたかった。唯一SOSを出すことが出来た相手に、そのSOSを聞いて助けてくれて、でもその手を拒絶してしまった相手に、もう一度助けを求めたかった。



 求めたら、あの人は救ってくれるのだろうか。



 そう思いながらも、一度拒絶してしまった手前、言葉にするためには覚悟が必要だった。不安だったし、恥ずかしかった。



 そしてこの日も、奈央は自宅に帰る。“おじさん”と話したいがために、少し遅い時間まで公園に座っていた奈央は、自身の指先が冷えきっていることを感じながらも待っていた奈央は、この日は会えそうにないと少し残念に思いながら、自身を待ってくれている人などいない家に帰る。



「ただいま」


 答えはない。玄関には靴がひとつあって、鍵も開いている。にもかかわらず、奥の部屋にいるはずの祖父が返事をすることは無かった。



 奈央は祖父の部屋に向かう。靴を脱いで、手を洗って、ギシギシ鳴る板張りの廊下を少し駆け足で歩きながら、祖父のいる部屋に向かう。


「ただいまかえりました、お爺様」


 襖を二度叩いて、開けても、声をかけても、そこにいる祖父が返事をすることはない。見えているはずなのに、聞こえているはずなのに、ちらりと、こっちを見たのに。


 それは、慣れた光景だった。いつもの日課で、けれども毎回、胸がジクジクと痛むものだった。




 奈央は、零れそうになる涙を必死に我慢する。この日は、いつもよりも心が不安定だった。2ヶ月前まではここまで乱されることはほとんどなかったのに、最近は“おじさん”と話せないと、よくこうなった。



 以前なら、普段なら、これで終わり。あとは自分の部屋に戻って、部屋の中に置かれている本を読んで、一日は終わり。また明日公園に行くまで、誰とも言葉を交わすことなく過ごす。



 けれど、今日はそうしたくなかった。誰でもいいから、どんな形でもいいから人と話したかった。


 だから奈央は、自分が傷つくだけだとわかっていながらも、それを手に取ってしまう。



 クローゼットの中に収められていたものは、大量の少女用の服。そして、いくつかの長いカツラと、一本の香水の瓶。


 かつてそれが嫌で、切り落としてしまったもの。それを取り戻すために、購入したもの。


 奈央は、慣れた手つきでそれを身につける。服を選び、髪を整え、香水をワンプッシュ。


 それによって完成したのは、かつての奈央の姿。両親と暮らしていた頃の、奈央の本来の姿。



 鏡の前で、ふんわりと笑ってみせる。間違いなく、その姿はかわいかった。そして、かつてアルバムの中で見た幼い頃の母と瓜二つだった。


 半分走るように、祖父の部屋に戻る。ノックをせずに、襖を開ける。


「ただいまかえりました、



 祖父に対しての言葉。そして、先程こちらを見てすぐに視線を戻しただけだった祖父は、奈央のその言葉に過剰なまでに反応した。



「おおっ!!あきら、よく帰ってきた!!何か困ったことはなかったか?何事もなく、怪我をせずに帰ってこれたか?」


 飛び上がった祖父は、奈央のことを抱きしめながら、しきりに心配する。


、心配しすぎです。今日も彬はこの通り、しっかり帰ってまいりましたわ」


 祖父の、しわくちゃの肌と、抱きしめられた温もり、そして、自身から漂う柑橘の香りを感じながら、奈央は自分じゃない誰かに向けられた愛情を味わう。


「大丈夫です、。彬はどこにも行きません。どこかに行っても、必ずまたこうして戻ってきますから。だから、安心してくださいませ」


 奈央は子供らしからぬ落ち着いた口調で祖父を窘める。先程、無視されたことで泣きそうになっていた子どもの姿は、そこにはない。


「だいじょうぶ、だいじょうぶですよ」


 腕に込められた強い力は、失われたはずの愛しいものを離さないための力。その中に、確かに込められている愛情を求めて、奈央は続ける。



 ジクジクと、胸がいたんだ。本当はこんなんじゃない、自分に向けられた愛情を感じたいと、心は訴えた。


 けれども奈央は、そんな心の悲鳴を聞かなかったことにする。聞こえないように、奥の底に沈める。




 この瞬間だけは、この家の中で奈央は自分の居場所を見つけることが出来た。



















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 ここまで読んでいただきありがとうございます、エテンジオールです。


 これで、【おかしくなったアンドロイドっ娘の中身をすげ変えようとしたら、消えたくないと泣き叫びながら必死で媚びてきた話】はひとまずおしまいですが、まだ回収したい話とかもあるので、二章に突入することになると思います。



 ただ、ここまで毎日以上更新していたのですが、このペースでやっているといくつもの単位を失うことになりそうなので、これからは二日以内に一本を目標にさせてください。(ブクマ☆♡コメントフォロー感想誤字報告など、頂けるとモチベがめちゃくちゃ上がります)(ダイレクト乞食)



 タイトルも内容も進め方もそれなりに人を選ぶとは思いますが、ここまで読んでくださった皆様には感謝しかありません。


 重ね重ねありがとうございました!!!そして、よければここから先もよろしくお願いします!!!

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