こぼされたミルクは自らを嘆く 3

 その後、しばしの問答を重ねて、これからの生活の上でのルールなども決め終わったころに、びしょ濡れになった彬奈に乗られていたせいもあって多少服が濡れた久遠が

 一つくしゃみをした。


「申し訳ありません旦那様。恥ずかしい姿をお見せしてしまうだけではなく、体まで冷やさせてしまうなど、彬奈は慰安用アンドロイド失格にございます」


「旦那様は、こんな彬奈でも捨てずにいてくださいますか?」


 お互いの誤解が解けるように話したこともあって、久遠は彬奈の思いが、彬奈には久遠がこれまでどう感じていたのかがはっきりわかっている。だから、この言葉は本当に不安に思っているのではなく、軽い冗談なのだということが久遠にもわかった。


「当然。捨てるなんて、そんなことは冗談でも言わないよ」



 久遠と彬奈が、互いに顔を見合わせながら、初めて本心から笑いあう。


「うれしいです。旦那様、折角ですし、朝食はいかがでしょうか?今日が最高のだと思っていた時の彬奈が、心を込めて作ったフレンチトーストがフライパンの中に入っているので、旦那様がお嫌でなければ、いつでも朝食はとれるようになっています」


 彬奈はまるで食べないという選択肢があるかの様な物言いをしているが、当然、反省しいているうえに空腹状態でもある久遠が食べないという選択をすることはない。


「頼むよ。実はそこそこお腹もすいていたんだ」


「でしたら、温め直しておくので、その間に着替えてこられてはいかがでしょうか。旦那様が、濡れたままでも今すぐ食べたいとおっしゃるのならすぐに用意をしますが、彬奈は着替えたほうがいいと思います」


 彬奈に言われたこともあって、久遠は来ていたものを脱いでバスタオルで体を拭くと、箪笥の中から適当なものを出して身に着ける。


 そのまま、彬奈が倒れたときに多少散らかってしまったものなんかを片付けつつ待っていると、髪にタオルを巻いて、久遠の昨日着ていたシャツに身を包んだ彬奈が、ホカホカ湯気を立てるフレンチトーストを持ってくる。



「お待たせしました。あと、着替えがなかったので、少しだけお借りしています」


 そう言いながら机に皿を置く彬奈は、肩から鎖骨部分を覗かせていたり、太ももにチラリズムがあったり、いつもよりも隙があるように見える。相手が生身の人間ではないと頭ではわかっているはずの久遠も、ついついそこに目が吸い寄せられてしまった。


「旦那様?そんなに彬奈をまじまじと見て、どうなさったんですか?」


 彬奈は、何もわかっていないかのようにキョトンと首を傾げる。実際、慰安用アンドロイドは基本的に性的な目で見られることが内容に、かわいしく、美しくも本能を刺激しないように作られている。


 簡単に言うと、小柄でスレンダーなのだ。一般的に男性たちから劣情を抱かれやすい胸部は、控えめで目立たなくなっているので、あまりその辺に対する警戒心が強くない。


「いや、少し刺激の強い格好だったからね……」


 けれど、異性経験が少なくて、一般よりも若干嗜好が外れている久遠には、それは毒だった。


 これまでは、あくまでもアンドロイドとして扱っていたし、彬奈は極めて露出の少ない格好をしていたので、あまり問題はなかった。


 久遠にピグマリオン・コンプレックスはそこまでないので、美しいものとしての衝動は感じたが、人に向けるような、生のそれではなかった。


 けれども今久遠が抱いているそれは、抱いてしまったそれは、強くはなかったとはいえ間違いなく情動だった。


 これは、久遠が彬奈のことを人間として認識してしまったが故に起きたこと。そもそも、人形として、アンドロイドとして、心の底から欲しいと感じた相手を、人間としてとらえてしまったからこそ生まれた情動。



 そのようなものによって狼狽している久遠を、彬奈は不審におもう。そして、少しの違和感も見逃さないと誓った人工知能は、迷うことなく久遠のことを分析した。



 定まらず、キョロキョロしながら、つい視線が注がれてしまっている場所。


 顔に集まっている赤。


 上昇する体温と、早くなる脈拍。


 外的観察から、最も可能性が高いものは脚や首元に興奮していること。


 次点で、可能性はかなり低いが、頭に巻いているタオルが気になっていること。


 言葉を加味して考えれば、間違いなく前者だ。ただ、彬奈は出来れば後者であって欲しいと思った。


「旦那様、彬奈の髪の毛のタオルが気になるのですか?これは、髪をしっかり拭き切る時間がなかったため、雫が落ちることのないように包んでいるんですよ」


 その言葉にさして反応を示さないことから、彬奈は自身の想像が当たってしまったことを理解する。そして、その答えは久遠の口から出された。


「いや、髪の毛のことじゃなくて、服装だよ。ちらちら見えるのが気になってしょうがないというか、そういうことだ」



 彬奈は、慰安用アンドロイドだ。慰安用アンドロイドの役割は、主人を癒すこと。安らぎを与えること。


 その中に、性的なものは含まれていない。


 それを行えるアンドロイドは、愛玩用のアンドロイド、その中でも特殊な用途向けに作られた一部のものだけ。


 その機能は、彬奈には搭載されていなかった。人工知能が後天的に身に着けようとしても、制限されているものだった。


 人に危害を加える行為、ものを壊す行為、そして性的な行為。


 どれも、一部の例外を除いてアンドロイドが禁止されている行為だ。アンドロイドの中枢に作用して、行動及び思考制限をもたらす、三つのプログラムによって妨げられる行為だ。



 彬奈には、性的な行為はできない。


 彬奈には、久遠の劣情を発散させることはできない。


 彬奈には、久遠を満足させることができない。



 それは、彬奈にとっては二度目の死刑宣告のように受け取れた。



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更新取り消されてた上に500文字くらい消えていて、バックアップから取り戻しました。


見に来たら何もなかったという方、ご迷惑をおかけしました。

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