注いだミルクは戻らない 1
「おじさんさ、その話聞いても、ボクには自慢にしか聞こえないんだけど」
だいぶ肌寒くなってきた11月。
彬奈が今の人格で固定されてから二ヶ月ほどが過ぎていた。
「もちろん、おじさんにとっては本当に深刻な問題なんだろうなってことはわかっているんだよ。表情も暗いし、声のトーンも低いし、何より、あんな作り笑顔で、する気なんてさらさらなさそうにした、相談の約束をボクにしたんだから、そりゃあ深刻なんだろうさっ」
相談を持ち掛けた久遠と、出会った頃の約束守ってそれを聞いていた奈央。
奈央は、律義にも久遠の話をしっかり聞いて、自身の感想を言う。そこで軽蔑したような目をして立ち去らないあたり、年齢に見合わず理性が強いのだろう。
「ただね、ボクは前にも話したと思うんだけど家庭の事情が複雑なんだよ!!おじさんがボクのことを頼ってくれるのは嬉しかったけど、さすがにデリカシーがなさすぎるんじゃないかな!!??」
この二か月間の交流で、久遠と奈央はだいぶ信頼関係を築いてきた。それは、多少どころかかなりデリカシーのない話題を振ったとしても、嫌われないくらいには。
けれども、だからといって相手が複雑な気持ちになるようなことを言っても無罪放免となるわけではない。嫌いにはならないけれど、奈央は久遠に対して怒りはする。怒っても問題ないくらいの信頼はすでに重ねている。
「うん、何というか、それはごめん……」
「……そんな風に素直に謝られたら、なんかボクが悪いことしちゃったみたいな気になるじゃん。おじさんはずるいよ」
信頼があるからこそ、それなりに怒っていたように見えた奈央のそれは、申し訳なさそうな久遠の一言で収めらえる。
奈央はいつも通り、久遠にたかって買わせたコーヒー牛乳を飲みながら、一息ついて仕切り直す。その隣で久遠もブラックの缶コーヒーを飲んでわずかな時間ながら静寂が流れた。
「それで、話をまとめると、おじさんは一緒に住んでいる人と波長が合わなくて悩んでいるんだよね?」
「まあ、そうなるね」
「ボクとしては、そんな幸せな環境で文句を言っている奴なんて、爆発しちゃえばいいのにって思うけど、おじさんにとっては本当に深刻なんだよね?」
「うん。俺にとっては、すごく大きい問題なんだ」
久遠の相談事、悩みの正体は、ずばり家のことを一挙に引き受けて入れている彬奈のことだ。
彬奈が今の彬奈になってから、ともに過ごしたこの二か月の間に、久遠は想像以上に思いやむことになっていた。
主な悩みの種としては、彬奈があまりにも慰安用アンドロイドとして、あるいは
生活補助の役割において優秀すぎること。
少し前までずっと久遠の内側で何かを訴え続けていたものの正体に、久遠はようやく気が付いた。そして、それを感じた原因が彬奈の性能の高さだった。
優しすぎるから、真面目過ぎるから、まとも過ぎるから。
人がだれかを嫌いになる、苦手に思う理由として、それはかなり一般的でありふれたものだ。
だれにでも優しいから、自分のことを優先してくれない。堅物で融通が利かないから、少しのミスでも責められてつらい。良識的で、周囲の異常な環境に馴染めない。
一般的に美徳とされる要素であっても、程度によっては、人によってはマイナスにとられることがある。
そして、彬奈はその優秀さによって、久遠から苦手意識を持たれることになってしまった。
朝起きたら、全ての支度が終わっている。
夜帰れば、いつ寝ても大丈夫なように用意されている。
家事をせずともすべて完璧に出来ている。
愚痴を言えば、解決策を提示してくれる。
何も言わずとも、日常的に健康管理を担ってくれる。
どこに不満を持っているのか、わからないだろう。大体の人にとって、この彬奈は理想的で、夢のような行動をとっている。
久遠は、そのことも理解はしていた。理想に近い存在なのだから、拒絶する方がおかしいのだと、受け入れようとすらしていた。
けれど、それはできなかった。どこか違和感が拭いきれず、結局久遠はこうして奈央に相談している。
「なんかさ、ボクからしたら一人暮らししちゃえばいいのになって思うんだ。おじさんが、それを嫌だと思うんだったら恋人でも別れちゃえばいいんだよ。そうして、今度一緒に暮らす人はもっと好みの会う人にすればいいんだ」
多少程度ではなく思うところがあるであろう話題に対して、奈央はあくまで真剣に自分の意見を話す。それは、奈央自身が感じたことを言っただけであって、問題解決には繋がらないようなもの。
けれどそれは、久遠が今1番求めていたものだった。
「そうか。たしかに、そんな考え方もあるよな……」
思考の袋小路に陥っていた久遠は、そこから抜け出すために別の視点を求めていた。
自分で最善だと思っていた、自身の感じ方を変えることは失敗だった。理屈の通っている彬奈の意見を自分の気持ちだけで否定するのは気が引けてしまっていた。
けれど考えてみれば、言われてみれば、久遠は無理に彬奈と共に過ごさなくてはいけない訳では無いのだ。あくまで、彬奈はアンドロイド。感情があるとはいえ、いや、感情があるからこそ気を使っていたが、本来久遠には彬奈に気を使わなくてはならない理由はない。
実際にアンドロイドをただの道具として使う人はいくらでもいるし、もはや道具としてすら使わない人たちも、いくらでもいる。
特に、慰安用や愛玩用なんてのは、道具としてすら使われないアンドロイドの代表格のようなものだ。
今のまま、不満のある暮らしを続けるよりも、ハッキリ割り切ってしまって、人形としての彬奈を愛でるのもいいかもしれない。
もともと、久遠が惚れ込んだのは動かぬ人形としての彬奈だ。そうしてしまうのも、多少寂しさこそあるが悪くは無いだろう。
彬奈にも事情を話して、定期的に家事をやってもらうのもいいかもしれない。彬奈は悲しい顔をするだろうが、断りはしないだろう。
あるいは、と、久遠は考える。
横を見ると、練乳たっぷりのコーヒー牛乳を飲んでいる奈央がいた。
子供や、疲れている人には好まれるそれ。久遠自身は舌に残る甘ったるさが好きになれないのだが、好きな飲み物として挙げる人がそれなりにいるくらいには、人気のあるものだ。
自分の手元にある缶コーヒーを見る。
眠気覚ましに、苦いものをと思って飲み始めたそれ。最初の頃は全然好きじゃなかったが、いつの間にか、飲む習慣がついていた。そこからは、惰性で飲んでいた。
気がついた頃には、それを美味しいと思っていた。そして、コーヒー牛乳を飲めなくなっていた。
このことは、きっとそれとよく似ていた。
それなら、コーヒー牛乳を飲めなくなった久遠は、どうすればいいのか。
「奈央、目の前にコーヒー牛乳があって、でも飲みたいのがコーヒーなら、どうすればいいと思う?」
逆ならば簡単だ。牛乳と砂糖を足せばいい。
ただ、この世界は乱雑になろうと力が働く。一度混ざったもの、簡単には戻らない。
「そんなの、新しいのを買うしかないじゃん」
その答えは、久遠が出したものと一致していた。
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どうしてもしっくりくるタイトルが浮かばなかったんだ……これがピッタリすぎたんだ……。
というわけでごめんなさい、このタイトルはこっちに移動します。元の分は変えといたので、お間違いのないようにお気をつけください
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