狂った人造少女、失われた安息 4
改めて自己紹介をして、久遠と奈央は仕切り直しに飲み物を傾ける。
少しだけ訪れる、何もしていないけれども居心地の悪くない時間。こんな時間がもっと続けば楽なのに、と久遠は思う。
「おじさん、おじさんは、家に居づらいって言ってたけど、ボクでよければ話を聞くよ。聞くくらいしかできないけど、そういうのって、誰かに話すだけでも楽になるものだからさ」
奈央は恐る恐るといった様子で、久遠に話題を振る。その姿は、気を使っているというよりも、その話を投げかけられることを恐れているように見えた。
「いや、君にわざわざ聞かせるような話じゃないよ。気を使ってくれること自体は嬉しいけど、俺だって大人の端くれなんだからさ」
久遠にとっては、子供は大人を頼るべきだが、大人は子供に情けない姿を見せるべきではないという価値観が根付いている。
そして、その価値観に従えば、久遠の、彬奈に対する悩みは、奈央に聞かせていいようなものではなかった。
「……おじさんがそういうなら、ボクは何も言わないよ。でも、もし我慢できなくなったら、誰かに言いたくなったら、その時は僕に聞かせてほしいな」
「おじさんがどう思っているのかはわからないけど、ボクはおじさんの言葉がうれしかったんだ。だから、おじさんが困っているならボクも力になりたい」
あの日、手を取ってもらうことはできなかった。沼から救い上げることはできなかった。
けれど、その言葉は確かに奈央に届いていて。そして、わずかであっても何かいい影響が与えられたということが、久遠にはうれしかった。
「ならその時が来れば、そのときは奈央に話を聞いてもらおうかな」
そう言ってはいるものの、久遠自身に彬奈との関りを奈央に聞かせるつもりはない。子供の気持ちを踏みにじらないための、優しい嘘だった。
「……うん、そのときは、絶対に聞かせてね」
奈央はその嘘を聞き、この先久遠が自身に相談をもちかけることはなさそうだと思いながら、僅かな希望を込めてその言葉を返す。
「……ねえおじさん!教科書に載ってるところで、ちょっとわからないところがあるんだけど、教えてくれないかな?」
自分のせいで話が途切れそうになったことを悟った奈央は、曲がりなりにも社会人として生活している久遠よりも空気を読んで次の言葉を続ける。
その、話題の展開力はどこで鍛えたのか。友達が居なくて、学校に行っていないと話していた奈央は、どこでその力を育んだのか。
天性のものだったのかもしれない。もしくは、そう在らないと会話をして貰えなかったのかもしれない。
「どんなのかな?俺に教えられそうな範囲なら、喜んで教えるよ。小学校の範囲なら、多分大丈夫だろうからね」
奈央の投げた言葉のボールを受け取った久遠は、奈央の求めていた答えを投げ返す。
「やった!えっとね、ボク、この約分と通分がよくわからないんだ……」
奈央は久遠に、さっきまで読んでいた教科書を見せる。
曲がりなりにも大学までは卒業した久遠だ。いくら昔の内容とはいえ、小学校の算数がわからないなんてことは無い。
久遠は地面に棒で図形を書きながら説明をする。昔聞いた話から、感覚的に納得させることに重点を置いて話す。
ある程度の学習レベルまでは、理屈よりも感覚の方が大事だ、というのは、久遠の友人の受け売りだ。
ある程度まで説明を済ませたら、あとは繰り返し練習。宿題代わりと言って、たくさん計算練習をするように伝える。
「ありがとう、おじさん。おかげでちょっと分かった気がする」
伝え方に迷いながら何とかわかりやすいように工夫していた久遠は、その一言で報われた気がした。
ちょうど2人とも飲み物を飲み終わってしまったのもあって、久遠はここらで引き上げることに決める。
「そっかぁ、わかりやすかったからもっと教えてもらいたかったな」
久遠の言葉を聞いて、奈央は少しだけ残念そうな様子を見せた。
「……今日は帰るけど、また今度で良ければ少しくらい見てあげるから」
奈央の様子に若干心が痛んだ久遠は、そう安請け合いをする。
絶対に約束だよ、と言われながら公園を出た久遠は、そのままの足でスーパーに向かい、手早く買い物を済ませて帰宅する。
玄関を開けると、暗くなった部屋。彬奈はソファに座った状態で目を閉じているので、もしかしたらスリープモードなのかもしれない。
電気をつけて、買ったものを冷蔵庫に移して、ついでに取り出したいくつかの具材と調味料を使って久遠はチャーハンを作る。
ここ暫くは彬奈が作ってくれていたが、今日の様子を見る限りだと明日以降作ってもらえるかは怪しい。
自身の食の安全を保証するためにも、久遠はこれまでやっていた、大量生産冷凍保存を復活させることにした。
安くて食物繊維が多い野菜を適当に炒めて、卵を入れてコメを入れる。
作業量的にも多くないし、味付けを濃いめにしておけばご飯のオカズにもなる。久遠が時折作っていたメニューだ。
少し遅めの昼食をとり、食べなかった分をいくつかの小分けにして放熱、冷凍庫に入れる。
食べている間、いつの間にか目を開けていた彬奈が背中を睨んでいた気もしたが、久遠は気付いていない振りをした。
自分が出かけているうちに、彬奈が元に戻っていないか。戻っていなかったとしても、少しはまともになっていないか。
そんな期待をしていた久遠だが、現実は無情で、彬奈の様子は変わっていない。粗暴で、反抗期の子供のようにトゲトゲしたままだ。
そのまま、久遠はベッドで転がり、ずっと睨み続けている彬奈に背を向け、昨日一緒にやっていたゲームを起動する。
久遠はその後数時間、電池が切れるまで一人でのプレーを惰性で続ける。ここしばらく、楽しくできていたゲームが、とても虚しく感じた。
後ろを振り返る。彬奈の若干明るいグレーの目と目が合う。
彬奈は、ただ睨んでいるだけではなく何か言いたげな様子であったが、今の彬奈について何もわかっていない久遠は、触らぬ神とばかりに声をかけない。
声をかけるべきなのかもしれない。久遠の知っている彬奈だけでなく、おかしくなった彬奈とも話してみるべきなのかもしれない。
けれど、久遠にはそれを選ぶことが出来なかった。それは、昨日の彬奈との落差のせいであり、朝一番の理不尽さに対する当てつけであり、今の彬奈に対する悪感情の表れでもあった。
久遠は彬奈に話しかけない。電池の切れたゲームに充電プラグを刺して、そのへんに放置する。
空いた時間に、小さな画面で無料配信されている古い映画を見る。
頻繁にそのふたつを繰り返しながら、どちらも楽しむことは出来ずに、ただ時間を潰す。
夕食を食べて、早めにベッドに転がる。
「おやすみ」
電気を消す時に、その言葉だけはついつい言ってしまったのは、やはり彬奈をアンドロイド扱いしきれていなかったためだ。
そうして、いつもよりずっと早い時間から眠りについた久遠は、真っ暗な部屋の中でも変わらず感じる視線を意識から追い出す。
できれば、明日の彬奈は昨日のような彬奈がいいと思いながら。彬奈のあの、真っ黒でどこまでも沈み込むような、深く美しい瞳を恋しく思いながら。
「……ゃ……み……」
誰かが、何かを言っていた気がした。
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