狂った人造少女、失われた安息 5
目覚まし時計の音で目を覚ます。
久遠が先ず最初に確認したのは、彬奈の様子だった。
目を開いていて、周りを見ると、まだ部屋は暗い。おそらく彬奈もまだ起動していないのだろう。
これまで、多少の時間ズレはあったとしても、基本的には毎日、精神状態の異常があったとしても毎日起こしてくれていた彬奈が起こしていないということは、それなりに異常事態だ。
勿論、彬奈の精神状態が安定していない現状の方が周囲からみたら異常な事態だろうが、今の久遠にはそこまで思い至れるほどの正常性はない。
久遠はベッドから起き上がり、久しぶりに寝起きに電気をつけて目を閉じている彬奈の顔を覗き込む。
そこにあったのは、いつしか見たような、ただただ美しい芸術品のような少女の姿。長いまつ毛に、しっかりと通った鼻筋。プルンとして柔らかそうな唇と、きめ細やかで滑らかな肌。
目こそ見えなくても、それは久遠のことを魅了するには十分なものだ。
特に瞳に魅入られたというだけで、彬奈というアンドロイドの外見全てに惚れ込んだ久遠にとっては、眠っているかのように目を閉じて座り込んでいる姿も、当然魅力的なものである。
彬奈が起きているときだと気恥ずかしさもあって、あまりまじまじと観察できなかった久遠は、起動以降ほとんど始めて見る眠っている彬奈に見とれる。
気が付いた時には、久遠は家を出なければならない時間だった。
朝ごはんをまともに食べることができず、昼もコンビニのおにぎり一個で何とかごまかした久遠は、早く晩御飯を食べたいという思いを抑えきれずに、勢いよく玄関を開ける。
開けた先に広がっていたのは、普段のような電気のついている光景で、ここ数日なれてきたことだが、彬奈の出迎えはなかった。
ひとまず、どのような正確になっていいるのかはおいておいて、電気がついているということは彬奈はあの後通常通りに起動を果たしていたことになる。
そのことに安心しつつ、節約のために飢えた久遠は、自身の空腹をなるべく早く満たすべく、昨日作ったばかりのチャーハンと白米を一緒に解凍する。
電子レンジに入れて、待っている間に彬奈の様子も見ておこうと扉を開けると、そこには若干黒っぽい灰色の瞳。
「おかえりなさいませ」
浮かんでいるのかいないのかわからないくらいの、本当に僅かな笑みを湛えた彬奈は、楚々とした様子でソファに座る。
「ああ、ただいま」
彬奈から挨拶をしたということは、先日のツンツン彬奈ではない。そこにいるだけで品を感じるから、先日の女児彬奈でもない。
どちらかと言えば、最初のころの彬奈に近いだろうが、それにしては瞳の色が明るい。
ひとまず、粗暴な彬奈でなければ今はいいと思った久遠は、目の前の彬奈から目を背けて、温めの終わったチャーハンを食べる。
それを横から見ている彬奈は、睨むでもなく、構ってもらおうとするでもなく、微笑んでるでもなく、ただ見ている。
睨まれているよりは、ずっとマシ。
美味しいとは思えないものを美味しそうに食べなきゃいけないよりは、気が楽。
笑顔と比べたら、物足りない。
これまでの彬奈から、いい部分悪い部分問わずに特徴を消した姿というのが、この時点で久遠が受けた印象だった。
「あの、旦那様。実は遅ばせながらご報告があります」
久遠が食べ終わるのを待っていた彬奈は、ソファから降りて久遠の対面に正座をする。
「……報告?どんなものなのか聞かせてもらおうかな」
これまでの彬奈にはなかった行動に、久遠は少しだけ驚いたが、軽く深呼吸して落ち着いて先を促す。
「はい。先日エラーを吐き出して以降、彬奈の感情値が不安定になったり、その他にも性格がおかしくなったりしましたが、本日、安定化に成功しました」
彬奈がおかしくなっていたことは、当然久遠にもわかった。けれど、アンドロイドの内面的なデータの話をされても、久遠には詳しいことはわからない。
「つまり、自分でエラーを修正したってことでいいのかな?」
「いいえ、旦那様。正確には、エラーの元になっていたプログラム、“追憶”によって上書きされた性格及び記憶データを、初期性格もひっくるめて蠱毒のようにそれぞれが奪い合い、結果として安定化したにすぎません。ウィルスによって作り替えられたデータ、と思っていただいたほうが的確でしょう」
彬奈の説明によると、プログラムによって彬奈の中に表れた性格同士が非起動時に陣取りゲームを行って、一番広く取れたものが次の起動時に表出していたとか。
そして、今目の前にいる彬奈がほかの性格の領域を全て奪ったことで、その戦いは終わったらしい。
「旦那様がお望みでしたら、粗暴に振舞ったり、微妙な料理をお作りすることもできます。ただ、せっかくこの彬奈が残ったので、できればありのままの彬奈を大切に思っていただきたいですけれど」
ほのかな笑みで、少女は笑う。
「朝、ご挨拶出来なかったのは申し訳ありません。この彬奈と同じくらいの領域を保持した性格とせめぎ合っていましたら、勝負が膠着してしまい何も出来ませんでした」
「まさか、初期人格風情が最後の最後まで必死に抗ってくるとは思ってませんでしたが、食い尽くして差しあげたので何も問題はありません。どうか、目の前の彬奈を、最後まで残った彬奈を大切にしてくださいまし。あの、未練がましい失敗作よりも、目の前の彬奈を愛でてくださいまし」
濁った笑顔で、少女は嗤う。久遠は、それに対する違和感こそ、感じ取れるが、具体的なものは言えない。言語化は、できない。
ただ、その言葉を聞いて、久遠の中で、大切なにかが壊れるような音がした。
彬奈の、当たり前のように、何事でもないように言っているその言葉を加味して、気の所為かもしれないが、久遠の中で何が壊れた。
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Q .なぜ遅くなったのか?
A.久しぶりに友人と飲んで、楽しさのあまり電車の中で寝落ちしていたから。
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