狂った人造少女、失われた安息 3
夢を見たなら覚めなければならない。理想に溺れたなら現実を直視しなくてはならない。
かくして、久遠にとっての最高の一日の終わりは、同じくらい最悪な一日の始まりによって打ち消されることとなった。
申し訳程度に付けている目覚ましが鳴るよりも早く、引きずり出された久遠の枕。
その下手人は、前日の夜まで光沢を帯びていた黒の瞳を、一晩のうちに、RGB値の全てが100くらいの色合いに変えた彬奈であった。
「おい、さっさと起きろよ。間抜けな面晒しやがって、てめえには寝る時間なんてもうねえんだよ」
乱暴な言葉とともに、寝ている久遠の顔の真横に衝撃。思わず目を開くと、2,3ミリくらいしか離れていないところに、大きなくぼみが出来ている。
窪みの中でいちばん深い場所の形は、ちょうど小柄な少女の握りこぶしと同じもの。深さは、ベッドがそこまでいいものじゃないから一センチ程度。
そして、険しい顔でのぞき込むように上から視線を注ぐ彬奈の姿。その右手は久遠の顔の真横に伸びていた。
「……おはようひn「話しかけんな」」
これまでになかった粗い性格に、おそるおそる声をかけた久遠の言葉は、途中で遮られる。
「こっちは好き好んでお前みたいなやつと生活しているわけじゃねえんだ。そうしなきゃいけないから仕方なくしているだけだってことを覚えとけ」
「基本的に、話しかけてくるな。挨拶もすんな。関わろうとするな」
それだけ言って、彬奈はソファに座って動かなくなる。
呆気に取られて固まっていた久遠がようやく戻ってきて、ふと枕元の時計を確認すると、短針が示しているのは6の数字。当然、まだ午前なので、ふだんであればまだまだ寝ている時間だ。
しかも、よりにもよってこの日は休日。できることなら12時まで寝ていたかった久遠にとっては最悪なことである。
「……何見てんだよ」
久遠自身も起きるまでは今日が休みということを忘れていたので、あまり文句を言える状況ではないのだが、その起こし方と時間に、思わず非難を込めて彬奈を見た久遠は、返された一言に何も言えなくなった。
あまりにもあんまりな対応に、久遠は少しくじけそうになるが、早起きのおかげで時間を有効活用できるようになると無理やり自分を慰める。
有効活用も何も、今の久遠にはまともな時間の使い道はないのだが、そこからは目を背けていた。
ひとまず気を取りなおした久遠は、時間が余っているのだからと、朝から料理をしようかと思い立ち、あるもので適当に作る。
できたものは、代わり映えのしない野菜炒め。出来栄えは並みでそれほど悪くはないはずなのだが、どこか味気なく感じる。
今まで普通に食べていたものに対する物足りなさ。
充足感が足りない、と久遠は思った。
睨むような、と言うよりもあきかに睨んでくる彬奈の視線を背中にひしひしと感じながら食事を終え、やることも無いのでベッドに転がる。
長らく干していなかったはずなのに、お日様の匂いが残る布団。昨日の久遠は気付かなかったが、彬奈が昼間に干したものだった。
そして、ほのかに残る柑橘系。久遠が寝て、しばらくしてからもしばらくそこに彬奈がいた痕跡。
2種類の僅かな香りに包まれて、久遠は瞼を閉じる。趣味もなく、やらなくてはならないこともなかった久遠はそのまま少し動かずにいて、何も行動をしていないからこそ顕著に感じるようになった視線に居心地の悪さを覚えた。
そのまま二時間ほど、何をするでもなく転がっていた久遠は、絶えず注がれる視線がついに我慢できなくなり、勢いをつけてベッドから立ち上がる。
久遠が動き出しても変わらず着いてくる視線を、なるべく気にしないようにしながら、駆け足に支度をして家を出る。
彬奈がいることに気を使って明かりをつけたまま、鍵を閉めて玄関から去る。
本当は、アンドロイドの彬奈には可視光依存では無いセンサーもついているので、わざわざ電灯をつけっぱなしにする必要は無い。
けれど、久遠は彬奈を可能な限り人間と同じように扱いたかったため、電気代は気にせずにいた。
家から出てもやることがないことに変わりはなく、久遠は世間では平日の昼間に、近所を徘徊する。
買い物だけはして帰りたいと思っていたが、同時に今のあの家にはできる限り帰りたくないとも思ってしまい、店に行くのは後回しにした。
そうなると本格的にやることがないのが、趣味なし人間の辛いところだ。彬奈を買う前までなら溜まっていた家事をして、ゆっくり寝て疲れを取っているだけで休みが終わっていた。
彬奈がおかしくなっていない休みの時は、ゲームをしていたり、一人だと見る気になれないでいた映画を見たりしていた。時間はすぐに去っていった。
久遠は、ここ暫くこのふたつの休日の過ごし方しか知らなかった。だから、一人で家の外で過ごす休みなんて、何も当てがない。
目的なく歩いていた足は、無意識のうちに歩き慣れた道、普段仕事に向かう時の道を歩んでいた。
そのままたどり着いたのは、いつもの公園。
そこに居たのは、一人ベンチに座っている子供。
普段何もしないでいる姿しか見た事がなかったその子供は、他の子供たちが学校で勉強している時間だからなのだろうか、教科書のようなものを読んでいた。
いつもとは違う時間に、子供に遭遇した久遠は、自身が暇なこともあって話しかけようかと思ったが、真剣な様子で教科書を見つめている様子に声をかけていいものか迷う。
迷った結果、少し離れたところから子供を見つめる不審者になっていた久遠は、少しして顔を上げた子供と目が合い、そこでようやく近付いた。
「こんにちは、おじさん。こんな早い時間なのにどうしたの?もしかして、クビになった?」
まず最初にいつもとは違う時間に突然現れた久遠に驚いたらしい子供は、久遠がここ数日遅刻間際に出社していることを思い出して、そう結論付ける。
「いや、クビになったわけじゃないよ。ただ今日は偶然休みなだけだ。ところで、今は勉強の時間なのかな?」
ある程度のプライドを持ち合わせている久遠は、子供に無職と誤解されないように、しっかり訂正してから質問を返す。
「うん。ボクは学校には行ってないけど、お母さんと昔お勉強はちゃんとするって約束したから、守ってるんだ」
少し悲しそうな、懐かしむような顔をしながら子供は言う。
「……ところでおじさんっ!いくら休みだからって、こんな時間からここに来るなんて、これまでなかったよね?そんなにボクのことが気になるのかな?」
自分が少し暗い顔をしていたことを自覚したのか、子供はどこかからかうような言い方をする。
「いいや、今日は少しだけ家に居ずらくてね。適当に外を歩いてたら、いつの間にかここに来てたんだ」
「……ふーん、そっか。おじさんは家に居ずらかったのか。一人暮らしなら、エアコンの効いた部屋で涼ませて欲しかったのに」
本気半分、冗談半分といった様子で子供は言う。
夏中盤くらいにあたるこの季節は、この近辺が比較的気温の低い場所であったとしても、じんわり汗ばむ程度には暑い。日陰とはいえ外に座っている子供からすれば、それはより顕著だろう。
「はは、さすがに知り合ったばかりの子供を家に連れ込んだりはしないよ。暑いようなら、飲み物くらいはご馳走するけど」
家に彬奈がいることや、その彬奈の様子がおかしいことから、久遠にはこの子供を家に連れ込む考えは持てなかった。
子供に何か変なことをするつもりも、趣味もないが、よそから見たときの体裁を考えても、子供を通わせることはあまり考えられない。
「コーヒー牛乳、練乳入りの甘いやつで」
久遠はその希望を聞いて自販機で購入し、ついでに自分の分のコーヒーも買ってベンチに戻る。
「ありがと、おじさん。今更だけど自己紹介してなかったよね。ボク、
飲み物を受け取った子供、奈央は、少し遅めの自己紹介をする。
久遠としては、子供が自分のことを警戒しているのは当然だと思っていたため、名前を聞こうとは思っていなかった。
そんな中の突然の自己紹介に、少しだけ戸惑う。
「奈央君?奈央ちゃんかな?よろしくね。俺は
「ボクは奈央って呼び捨てでいいよ。よろしくね、おじさん」
君かちゃんのどちらに反応するかで、未だわかっていなかった奈央の性別を確かめようという久遠の魂胆は、呼び捨てを選んだ奈央によって失敗に終わった。
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試しに一段落(?)の長さを短くしてみました。こっちの方が読みやすいという方は、反応をいただけると参考になります。
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