公園で黄昏る子供 5

「こんばんは、おじさん。ボクね、昨日は、明日まで待つなんて言ったけど、家に帰ってから考え直してみたら、答えが出るかどうかなんてどうでもいいんだって気付いたんだ。だって、おじさんがなんて言っても、昨日のあの会話だけで僕が救われたことに変わりはないんだもの。おじさんがお話してくれるなら、ボクの話を聞いてくれるなら、どうでもいいんだって気付いたんだ」


「だからおじさん、もう、無理に何も言わなくていいよ。また話を聞いてもらえたら嬉しいけど、ボクは毎日この時間にここにいるようにするから、おじさんが暇なときにここに来てくれたら、ボクはそれだけでしあわせだよ」


 久遠が何か言うよりも早く、子供は久遠に対して、この子なりに幸せを求めて、だれからも無関心になられることをおそれたのであろう言葉を口にする。しかし、当然、そんな言葉は久遠の求めていたものではない。


「……君に、いくつか言いたいことがあるんだ」


 久遠は、自身のエゴのために子供が作ってくれた妥協点を無視する。この子の言葉通りにすれば、今後も優しい時間が確約されるとわかっていて、あえてどうなるのかわからない、不確定な未来を選ぶ。


 子供は、なんでそんなことをするんだと、救われるだけの話でいいじゃないかと無言のうちに主張する。けれど、久遠がその話をやめることはない。


「これから先に言うことは、あくまでも俺の感想だ。それ以上でも、それ以下でもない。この話を聞いたところで、君が受け入れる必要もなければ、そもそも最後まで聞かなければいけないわけでもない」


 久遠は、これから話すにあたって全力で予防線を張っていく。自身が傷つかないためにも、この子供が傷つかないためにも。


「君は、自分のことを幸せだって言っていたけれども、俺からしてみれば、俺に言わせてもらえば、幸せも不幸も、主観的で他の人の意見なんて気にする必要がないものだって思えるんだよ」


 そして久遠は、子供に対して、理解できるのかすらわからない、自身の思いを告げる。


「君のお父さんが言っているのはあくまでも相対的な幸せだ。でも、俺は、それよりも、君自身が本当にそれを幸せだと感じられているのかどうかが大切だと思うんだ」


「たとえ周りから不幸だと断定されるような状態の人でも、全身不随の人であっても自分を幸せだと思っている人はいる。家族から愛されていることが幸せだと思う人がいる。たとえ泥水しか飲めなかったとしても、家族のために頑張れる自分は幸せだと思う人がいる。その人たちは、俺たちの視点から見れば不幸かもしれないけど、彼ら自身としては幸せかもしれないんだ」


 必死に考えた言葉。客観的に見てクサい言葉は、翌日以降久遠の羞恥心を大いに刺激することになるだろう。けれど、今の久遠にはそんなことは関係ない。クサくても、あとから悶絶しそうでも、かまわず続ける。


「君の幸せは、君の不幸は君だけのものなんだよ。昔と比べる必要もないし、他の人と比べる必要もない」


 どこかで誰かが、何回も言っているような綺麗事。理想論で、そんな風に思えるのならもっと世界は平和になっている。少し賢しければ子供だって反論するようなものであるが、久遠が抱いているものを言葉に直してしまえば、こんなものだった。久遠の持った善良さは、しょせん理想でしかない程度のものだった。


「……」


 そして、外部から投げかけられる綺麗事などでは、自ら望んで沼の中にいる人は引き上げられない。引き上げようとロープを投げたとしても、掴ませることはできない。沼の中を産湯だと思っているのだから、そこから出すためには並大抵の信頼じゃ足りない。


「そんなこと言われても、ボクは幸せなんだよ。そうじゃなきゃいけないんだよ。もしこれが幸せじゃないなら、ボクは何のために生きてるのかわからないじゃないか」


 言葉自体は、クサかったし綺麗事だったが、決して悪くはなかった。その言葉で救われる人だっているだろうし、それで立ち直った人だっているだろう。


 ただ、言った人が、その人の、受け取り手との関係がよくなかった。


「昨日初めて話したおじさんの言葉が正しかったとしてもさ、ボクには信じられないんだ。だって、信じて行動して、みんながもっとボクから逃げたら、ボクは今度こそ不幸になっちゃう。今の幸せをなくしちゃう」


 今いる場所が危険だと、一緒に逃げようとある日突然街中で言われたとして、仲のいい人や人柄を知っている人なら、まだ話を聞く気にはなるかもしれない。けれど、全く知らない人なら、無視して立ち去るのが当然だ。その点、この子供は逃げるかどうかはともかく、話自体は聞いているのだから、珍しい部類になるだろう。


「おじさんは、こんなボクのために考えてくれたのかもしれないけど、ごめんなさい、ボクにはおじさんの言うとおりにすることはできません」


 けれど、話くらいは聞けたとしても、その手を取れるかになると、そこが知らない人の限界だ。


「おじさんはきっといい人なんだろうな、ボクみたいなのも心配してくれる優しい人なんだろうなとは思うんだけど、やっぱり怖いんだ。ひとりぼっちにはなりたくないんだ」


 いい人と言われた久遠は、胸の中でそれを否定する。けれど、汚い感情からここにいる久遠も、無責任に自分を信じろと言えるほど悪い人間ではなかった。その程度の善良さは保っていた。


「だから、ごめんなさい。ボクはおじさんの言葉を信じられない」


 久遠の気まぐれに伸ばした手は、子供には取ってもらえなかった。沼の中の子供は、悲しそうに笑う。あると言われた毒沼を恐れて、目の前の平地から目を背けて、伸ばされた手を拒絶する。


 久遠の言葉は届かない。子供の周囲は変わらない。ただ時間だけが無駄になった。


「……そうか。それなら仕方がないな。これからはもう、君の前には姿を見せないようにするよ」


 だから、久遠のお節介はもう終わりだ。突然はじめた不審者生活は、相手の子に拒絶されたから終わりだ。


「……ねえおじさん、おじさんって、元々もう少し遅い時間に帰ってきてたんだよね?こんなこと言ったのに図々しいってことはわかってるんだけど、その時間まで公園にいたらまたお話していいかな?」


 言葉は拒否されたが、存在は拒否されなかった。むしろ、普段話し相手のいなかった子供にとっては、突然構ってくれるようになった久遠は嬉しい存在だった。危ない人かもしれないと思いながらも、話しかけようと思ってしまうくらいには、子供は寂しい思いをしていた。


「あまり遅くなりすぎなければ、いいよ」


 久遠と子供は、そのまま少しずつ世間話をする。ネグレクトのことには、家庭のことには触れない、ただの世間話。一言二言話して別れるつもりでベンチから立ち上がっていた久遠は、いつの間にかまた座っていた。




 空の暗さを見て、久遠は話を終わらせる。また今度と言って去っていった子供を見て、自身の言葉が届かなかったことを少し残念に思いながら、それでも少しくらいは役に立てたのかと、別れ際の子供の表情を思い出す。


「……おかえりなさい」


 そうして帰った先には、真っ暗な部屋で白い瞳を湛えた彬奈が一人、ソファに座り込んで待っていた。






 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



 次回から彬奈パートです。星♡ブクマコメントレビューなど、頂けると大変励みになります。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る