旧型慰安用アンドロイド(中古品)、50万円(税込み)。 3

 都会と田舎の中間くらいで、どちらかと言えば比較的都会に近いくらいの立地。久遠の住んでいる町、絵田町かいだまちを誤解なく適切に表すと、こんな言葉になる。


 見どころのない町だ。これといった名物があるわけでもなく、心の安らぐ自然があるわけでもない。人々の良心と善性によって支えられている治安の良さはそのまま互いに監視する居心地の悪さに繋がっており、村社会のいやなところばかりを残している。


 そしてそんな町のひとつのアパート、狭いながらもそれなりに防音については気を使っており、それゆえに一人暮らしようのものとしては多少割高になっている、六畳一間+キッチンのワンルーム。一人暮らしをメインの客層に考えているその建物の目の前に、人通りも車通りも少ないからこそ辛うじて許される路駐を決めて、昼間から何やら怪しいものを室内に運び込んでいたのは、他でもない久遠だ。


 周囲に車を停めてもいいスペースがないことが原因で、自覚しながら犯した罪ではあるが幸か不幸かこの場所を警察が捉えることはなかったので、バレなれば犯罪じゃないの原理によって無罪放免である。


 そうして違法性を確立されなかった久遠は無事にアンドロイドと充電用のソファを自室に持ち込み、近隣住民に見つかることのないまま軽トラを近隣の業者に返して、二駅と少し開いている家までの道のりを、電車を使いながら最短で駆け抜ける。


 そうして、ようやく安心できる状態で家に帰って、久遠はようやく、求めてやまなかった慰安用アンドロイドの入った鞄を開け、老人に渡された取り扱い説明書を読む。その中身は、基本的なアンドロイドの扱いについて説明するもの。


 必ず読んでくださいの注意書きの後に続く、アンドロイドは自意識を持つ擬似思考体ですとか、アンドロイドに施されている基本原則の話だとか、そのアンドロイドの基本コンセプトや初期状態で組み込まれている基礎知性の話だとか、当たり障りのない内容。専門用語などもそれなりに使われているため、初心者の久遠には大まかな内容しか把握できない説明書。


 そんなものを読み飛ばしなから鞄を開き、中に収納されてたアンドロイドの少女を見つめ、しばらく悦に浸ってから久遠は説明書通りに少女を起動させる。


 あまり目立たないシルバーの指輪をカバンに着いているポケットから取り出し、それをアンドロイドの左手薬指につける。そして、そのままその手をしっかり握ること。より具体的に言えば、指輪を嵌めている手をその状態で圧迫すること。それがこのアンドロイドの起動条件であり、この事の他にもいくつかの機能をアクティベートするために所定の道具を使うことが、この鞄にわざわざ専用のポケットが着けられている理由らしい。


『……慰安用アンドロイド第二世代、ハダリー型093、新規起動を確認。バイタルチェックに問題がないため、これより初期設定に移行します』


 真っ黒の瞳をただ空虚に広げていたアンドロイドは、寝起きにピントを合わせるかのように数度瞬きをし、黒い深淵を写しているとは思えないほど精巧に、そしてリアルに作り込まれた虹彩で目の前の久遠を見つめ返す。その吸い込まれるような美しさに、久遠はついつい魅入ってしまい、起動途中のアンドロイドの両頬をしっかり押えこんで舐めるように瞳を見つめると言う奇行に出た。


 不気味の谷を越えた顔はただ美しいだけではなくどこか無機質で退廃的な婀娜あだっぽさを帯びており、その瞳は、どこまでも深い。どこまでも深い。こんな狭苦しいワンルームなどではなく、どこかの古城の棺の中にいる方が似合っている人造少女の姿。


『名前を決め……エラー。既に名前が割り振られています。個体名を彬奈 ひんなとして固定。非正規の手段によって中枢に干渉された形跡があります。彬奈の安全性の保証はできません。生産元への修理に出すことを推奨します』



 その少女、彬奈は久遠の奇行もものともせずに動作を続け、不穏なことを口走る。ただ、警告を受けたはずの久遠は目を見つめることに夢中になるあまり、そのことに気がついていない。


『内部データに異物を確認、消去します。……該当データは消去できません。異物に対して起動制限をかけます』


『……警告、彬奈には多数の問題点及び汚染の痕跡が見られます。起動を中断する場合には、即刻指輪を外してください』


 警告は、しっかり発せられた。けれども、それは決してちゃんと所有者の下に届くことはない。昔から自身の興味のある出来事を目の前にするとつい熱中して周りの声が聞こえなくなることの多かった久遠はついついその声を聞き流してしまい、結果として彬奈の警告は無意味に終わる。


『起動作業継続の意思を確認。これより、彬奈は起動します』


『人工知能の動作機能、問題なし。記憶領域、異物を制限しているため短期的には問題なし。可動条項、主要原則等問題なし。慰安用アンドロイド第二世代、ハダリー型093、彬奈、起動します』


 瞳の奥から起動時の専用シークエンスを実行しつつ、わかりやすいように目から光を放つ演出なんかを交える彬奈と、その演出によって自身の世界から強制的に引き戻される久遠。ようやく人間らしい思考を取り戻した久遠は、目の前でピカピカ光る彬奈の姿に驚きつつ、記憶には残っていた彬奈の言動を思い出して、少しやらかしたような感慨に陥る。


 彬奈は宣言通り、自身が為すべきはずだったことをそのまま為そうとする。自身の

 不具合を無視して、それがいずれもたらすであろう問題を無視して、主人に求められたままのことを、自身の存在意義を果たそうとする。


 そこにあるのは、AI(拡張知能)的な自己意識。そこに必要とされているものは、人工知能的で、拡張知能よりも融通の利く自己意識。


 機械的ではなく、自身の主に不都合が見込まれるからこそあえて主人に逆らうことがアンドロイドとして求められていたことではあるが、あいにくながら初期設定を担当しているのは、人工知能の方ではなく、人類に便利なだけの道具としての拡張知能の方であった。


 だからこそ、アンドロイドは、彬奈は起動する。主人の利害やその後のことなんて一切考慮せずに、自身に組み込まれていたシステムだけを参考にして。


『機械体、問題なし。内部情報、処理済みにより問題なし。彬奈起動、外部データに残されていた個体識別データには干渉痕が残っているため、読み込みを保留します』


 少女の言葉を初めてまともに聞いた久遠はそれに感慨深さを覚えるとともに、どこか見掛けにそぐわない、合成音声染みた声に違和感を抱き、その声がもっと人間らしいものであることを望む。少女の声がより少女らしいものであることを望み、自身の理想とする少女のそれであることを望む。


「音声データを、適切な状態で読み取りました。以降、彬奈は特に指定がない限り、慰安用アンドロイド体音声25を基本音声として発声を行います」


 彬奈がそうアナウンスをすると同時、というか、し始めたその時から彬奈の声が人工音声染みた無機質なものから、F分の1揺らぎを含んでいそうな、どこか安心感のある、それでいて少女らしく高い音階のかわいらしい声に変わる。これが彬奈に設定された音声なのだろうか、幸か不幸か、その声は久遠にとって、自身の脳髄まで響いて価値観を揺らがせるような、“ぴったり”な音であった。


「起動個体を“マスター”として承認。以降、彬奈はマスターの命令に従いつつ、基本プロトコルを実行します」


「基礎行動原理、マスターの精神的及び身体的な癒し。現在インストール済みの情報の中から、最適な行動を算出。該当行動、“膝枕”が有効であると判断。本格機動までの繋ぎとして、これを実行します」


 まだ充電が途中の彬奈が、久遠がコンセントを接続しただけのソファに移動し、そこに深く腰をかけながら、久遠の頭、というか顔を、自身の太ももに誘導する。一段と低い位置に正座している状態の久遠は、体の構造上やむなく彬奈の柔らかくてひんやりとした太ももの隙間に顔を埋めることしか出来ず、次第にその場所で思考力を奪われていく。


 そんな久遠に対して向けられているものは、初期設定として高くなっている好意。無垢な少女が想い人に向けるようなものよりも、ずっと純粋でずっと隷属的で、ずっと非性的な愛情。慰安用アンドロイドとして根本的なところに由来する、無我の、無我ゆえの愛情。



「彬奈の人工知能の本格起動を確認。これより、初期起動用サポートAIは休止モードに移行し、身体に関する全権を人工知能に委託します」


 そう言って、僅かに残った瞳の光を一時的に失いつつ、彬奈は再び深い黒に僅かな光を宿して動き出す。その手は自身の太ももに顔を埋めている久遠のところまで伸びていき、迷うように逡巡した後、何かから逃れるように、なにかに従うように元の場所へと戻っていった。

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