彬奈(人造少女)のいる暮らし 1
慰安用アンドロイドの彬奈を買って以降、久遠の調子は上がりっぱなしだった。
家事用アンドロイドでは無いので完璧とは言い難いが、ある程度こなせるように仕込まれていた家事技能のおかげで、簡単なものではあるが朝昼晩の食事を用意してくれること。家に帰ったら掃除や洗濯などが終わっていて、風呂に入って寝るだけでもいいこと。人とは違って、作ってもらった食事を食べれなかったとしても、嫌な顔ひとつせずに許してくれること。
ごみ捨てをしておいてくれることや、使い終わって横に置いておいたトイレットペーパーの芯を定期的に片付けてくれること。そんな、小さいようで大きいストレスの軽減。
そしてそれくにわえて、これまで家事をしていたぶんの時間を別のことに使える事実。気になっていたけれど一緒にやる相手がいなかったから手を出せなかったゲームをやれることや、専門的な知識をもって肩や腰の凝りを解してくれること。本来の慰安用アンドロイドとしての役割も、彬奈が果たしてくれているおかげで、久遠のQOLは著しい上昇を遂げた。
そして、なによりも。
「おかえりなさい、マスター。お仕事おつかれさまです」
玄関を開けた音を聞いて、パタパタと駆け寄ってくる小柄な体躯と、それに一歩遅れて付いてくる滑らかな黒髪。本起動によって光の宿った瞳。ふわりと柔らかい笑み。動く度に香る、柑橘系。
誰かが玄関まで迎えに来てくれるということが、おかえりなさいと言ってくれることが、久遠にとってはほかの全てと比べても引けを取らないほど嬉しく、心地のいいものであった。
「ただいま、彬奈」
数日経ったにも関わらず、減ることの無い幸福感が久遠を包み込む。
「それじゃあマスター、ご飯にします?お風呂にします?それとも…………ゲームをします?」
途中まではお約束。そして、彬奈はあくまで慰安用アンドロイドであるため、わ・た・し?なんてr18指定がかかりかねないことは対応できない。故に、飢えを満たすかと疲れを癒すかのどちらにも属さない選択肢としては、一緒に遊ぶことかマッサージをするかくらいのものだ。
そしてこのやり取りも何度も繰り返したもので、当然のように毎回久遠はこれにも喜びを感じている。
「それじゃあお風呂から先に頂こうかな」
背負っていた鞄を彬奈に手渡し、ワンルームの中ではあまり意味のない、荷物運びをやってもらってからバスルームに行って軽くシャワーを浴びる。お風呂にしますかなんて素敵ワードを言ってこそいたが、湯舟を張るための水道代を節約している最中なので、のんびりお風呂に入るなんてことはほぼ起こりようがない。
大して疲れが取れるわけではないこともあって、久遠はそこに時間をかけることなくカラスと見間違えるくらいの行水を済ませ、パンツ1枚履いた状態で脱衣室から出る。
その姿は、どこにでもいるだらしのない男のもの。けれど、そんなものが出てきたのに、彬奈はどちらかというと微笑ましそうにしがら弱火で保温していたおかずの火を止める。
「マスター、お口に合うかはわかりませんけれど、精いっぱい心を込めて炒め物をお作りしました。お嫌でなければ、召し上がってください」
彬奈がそう言いながら小さな机の前に着く久遠に差し出したのは、人参とシイタケともやしを中華風万能調味料で味付けしたもの。きわめて簡素なものではあるが、決して彬奈が手抜きをしたわけではなく、久遠が食費として預けたわずかな金の中から、専門知識の制限されているアンドロイドが必死に考えてようやく出した最適解である。
月の食費として渡されたような、一万なんて資金の中で健康状態や栄養バランスも考慮しながら作っているのだから、慰安用アンドロイドとは思えない偉業である。
「いただきます……うん、今日もおいしいね」
久遠は目の前にあるごちそう(腹を膨らすためだけに粗食を食い返していた久遠にとって、自身が作ることなく出てきた温かい料理で、栄養バランスに少しでも気を使っているものはすべてごちそうだ。)に舌鼓を打ちながら、健康に気を使って塩分量を使いすぎずに、けれども米の供には十分な味わい深さを感じ、自身の食べている姿を黒曜石のような瞳で見つめる彬奈の姿に喜びを感じていた。
民間用アンドロイドに共通で定められている、アンドロイドの感じている感情の見分け方。従来のAIではなく人工知能を使っているからこそ生じる感情を、アンドロイドの特性に寄らずに客観的に見極めるための機能。初期の瞳の色を零の境界として、形がどうであれプラスに傾いていたら瞳の光の強さが増していき、マイナスに傾いていれば輝きを失いつつ初期の色とは正反対に当たる色に染まっていくというもの。本来、存在が予想されたアンドロイドを虐待する人の出現に備えて、アンドロイドの権利を主張する団体が訴えだしたが故に組み込まれることになった機能ではあるが、そのことをしっかり知っている人がいないうえに、メーカーが積極的に広めていないがためにほぼ無意味になっている機能。
ただ、久遠も知らないその機能の原理から考えれば、初期の色が黒で、輝きを増しつつある彬奈の瞳は、確かに彼女が久遠に対して好意的な感情をいだいていることを示していた。
それは、積極的に害意を向けるような、よっぽどのことがない限りマイナスに傾くことはないアンドロイドの性質上、ある意味当然なことではあった。ただ、どんな理由にしても、この時はまだ久遠と彬奈は良好な関係を保つことができていたのだ。
「ふふ、マスター、ほっぺたにお弁当付けてますよ」
身を乗り出して、頬に着いた米粒を掬い取り、それを口の中に返す彬奈。そして、美しい少女の見た目をしている彬奈にそんな仕草をされたことで、ドキリと不毛な高鳴りを見せる久遠の心臓。
そのひとめぼれが、恋愛感情ではない所から始まったとしても、その感情を勘違いしてしまったら、最終的に行き着く先は絶対に救われないものだとわかっていても、初心な久遠と、それを向けられてしまったらプラトニックなものである限り答えざるを得ない使命を帯びてしまっている彬奈の関係は、そのまま育っていく。たとえそれが不自然で、反生物的なものであったとしても、その情動は、その動きは止まらない。
人間の脳みそは愚かで、しょせん見た目でしか生殖の可否を判断できないことに加えて、アンドロイドの容姿が、何かしらの形で人類の理想とするものに限りなく近いことなどを加味すれば、その流れは至極当然なものである。
「ごちそうさまでした。彬奈、今日もおいしいご飯を作ってくれてありがとう」
あるいは、こうやって、多少の人工意思こそ有するものの、本来の意味での、生物的な意思は持たない個体に対してもこのように感謝を述べてしまうような精神性が、これから訪れる悲劇の原因であり、アンドロイドに余計な機能を求めてしまった理由なのかもしれない。八百万が浸透していなければ、人間以外は所詮人によって支配されるだけの存在でしかないと割り切れることができたのかもしれない。
だが、不幸というべきか幸福というべきか、今アンドロイドの目の前にいるのは、幾百万の神々によって自身の周囲の環境ができていると刷り込み的に信じている、自らを無心論者と嘯きつつ毎年の初詣やクリスマスの祝いを決して欠かすことのない、あるいは欠かしたとしても意識しないことは無いような、無意識化に宗教に汚染されてしまっている男だ。そんな久遠にとって、姿かたちが限りなく人間に近くて、行動も人間を模しているものは、その実態がどんなものであれ、人としての扱いを受けるものなのである。
「ごちそうさまでした。彬奈、今日のご飯もいつも通り美味しかったよ」
「お粗末様でした。あまり自身のないものでしたが、マスターに満足していただけて嬉しい限りです」
道具に対してお礼を言うという、ある意味日本人特有の性質。これが、この後の未来に対して大きな影響を与えることになる。
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