第108話 妹の心情
近づいてきた男は、身形の良いスーツ姿の老人だった。
白髪で眼鏡をかけた痩せた小柄の体形。
そんなに足腰が弱そうに見えないが杖をついて歩いている。
「これは飯田様。どうかなされましたか?」
執事長の濱木さんは丁寧に頭を下げて見せる。
メイドの藤村さんも彼に続いてお辞儀をした。
だが飯田という老人は酷くご立腹の様子だ。
「おい、使用人共! ワシの部屋のトイレットペーパーがないぞ! とっとと持って来い!」
しわがれ声で随分と横暴な言い方をする爺さんだ。
後に聞いた話だと、この爺さんは『飯田
元大手医療機器メーカーのCEOであり、引退後は某工学大学の顧問や医療機器協会の監事など、医療業界に精通していた西園寺財閥にとって中枢を担う人物であったとか。
そんな爺さんに対して、濱木さんは毅然とした態度で応対する。
「飯田様、トイレットペーパーは一部屋で三日に一つまでと、取り決めたではありませんか?」
「はぁ!? 三日も持つわけがないだろ!? 在庫あるだろ、それをよこせと言っているんだ!」
「駄目です。今では消耗品こそ貴重な資源。そんなに頻繁に使われては、あっという間に無くなってしまいます。どうかご自分で工夫なさってください」
「なんだ、その言い草は! たかだか使用人の分際で! ワシを誰だと思っている! 飯田 充蔵だぞ! 庶民よりも日本に多額の税金を納めた上級国民だぞぉぉぉ!」
ああ、この爺さん。
自分から「上級国民」って言っちゃってるよ……。
今の荒廃した日本で、そんな肩書なんて意味ないのに。
こういうプライドが高すぎるところが、世論とズレているんだろうなぁ。
「私達使用人達は旦那様の指示の下、皆様をシェルターに受け入れ公正に管理する義務がございます。私達の指示に従えないのであれば、どうぞここから出て行ってくださいませ」
濱木さんは口調こそ丁寧だが、毅然とした態度を意志を示している。
いくら上級国民だろうと輪を乱す者には容赦ないらしい。
至極当然だな。
飯田という爺さんは、しわくちゃの表情を歪ませ奥歯を噛みしめた。
鼻っ柱をへし折られたとはこのことだろう。
「ぐっ……クソ庶民がぁ、上級国民のワシに不遜な真似をしおって……覚えていろ!」
最後に恨み節を叫び、飯田は杖をついて去って行った。
やっぱり足取りが軽い。杖の意味はないように見える。
近くにいた、僕達に微妙な空気が流れる。
なんだがテンション高めだったボルテージがすっかり冷めてしまった。
濱木さんは振り向き、僕達に向けて深々とお辞儀をする。
「皆様、大変申し訳ございませんでした。お嬢様の大切なお連れの方達にお見苦しいところを見せてしまいまして……」
「い、いえ……濱木さんも大変ですね?」
ああいう輩を相手に管理する側とて気を遣う筈だ。
誰も好き好んで、嫌な役を担う人はいない。
濱木さんは西園寺家の執事長として有能な人だと思う。
「はい、ですが旦那様の言いつけなので仕方ありません。本来なら、あのような者ばかりの相手でなく一般の方にも避難所待機として提供するべきなのですが……」
「まぁ、そうしてしまうと限界もありますからね……けど、さっきのお年寄りといい、ここで暮らしている人達は外の現状を理解するべきだと思います」
「そうですね、夜崎様の仰る通りです。さぁ、皆様のお部屋へとご案内いたしましょう」
こうして僕達は宿泊部屋を与えられることになった。
地上から最も近い、15階になる二部屋だ。
ちなみに、このシェルターでは下の階ほど防衛に優位らしい。
僕達的には宿さえあればどちらでもいい。
与えられた二部屋は、男女別々に分けることにした。
早速、僕はドアを開け、部屋を一望する。
結構、広い。
つーか、元住んでいたアパートなど比ではない。
ざっと見て、20畳くらいあるぞ。
おまけに他の部屋もあり、ワンルームではなさそうだ。
高級そうなソファーやテーブル、大型画面のテレビが設置され、食器類など飾られている。
「間取は2DKほどです。台所、トイレ、浴室やシャワーも完備されております。太陽光発電設備や浄水機など備えておりますので、電気や水道等の使用制限はございません。家具等もお好きにお使いくださいませ」
ちなみに他室にベッドもあるらしい。
テレビは番組自体はやっていないが、ブルーレイディスクが鑑賞できたり、ネットが繋がっている間は動画を観たりすることができるようだ。
また娯楽用に最新のゲーム機も置かれているとか。
もう災害時のライフラインどころか、近代的で快適な生活が可能である。
改めて、西園寺家はマジっぱねぇ。
「――僕と竜史郎さんだけだと流石に広すぎるかな……美玖、こっちに来るかい?」
「いいの、お兄ぃ?」
「ああ、アパートより広いし兄妹だしね。竜史郎さんも一回り以上歳が離れた美玖をどうこうと思わないだろ」
「うん、やった~♪」
何気ない提案だが、美玖は思いの外喜んでくれる。
てっきり「お姉ちゃん達と一緒がいい」と断られるかと思ったけどね。
美玖も『安郷苑』で、たった一人で頑張ってきたから、きっと寂しかったんだろう。
たまには、兄妹でゆっくり話をしたり遊んでもいいかもな。
「いいなぁ、美玖ちゃん」
「妹ちゃん特権だね~、ジェラるにジェラれないわ~」
有栖と彩花は羨ましそうな眼差しで見つめてくる。
だったら二人ともっと言いたいが、健全な男女が相部屋というわけにはいかない。
せいぜい、遊びに来てくれとしか言えない。
「そう、なら私も弥之君達と同じ部屋にしてもいいわね」
しれっと、香那恵さんが荷物を担いで部屋に入ろうとする。
すかさず、彩花が彼女の腕を掴んだ。
「ちょいカナネェさん、どこで泊まろうとしているの!?」
「ん? だって、私も兄さんの妹だし問題ないでしょ?」
「いや、大ありだし。リュウさんは良しとして、センパイがいるしょ?」
「そうです、香那恵さん! ずるいです!」
有栖まで猛抗議している。
彼女の言う「ずるいです」の意味はわからないけど、香那恵さんが同室だと確かにドキドキしてしまう。
以前、僕のアパートや民家で寝泊まりした時もやばかった。
香那恵さんは「ふぅ、やれやれ……」と肩を竦めて見せる。
「兄さんもいるんだし、別に変なことになるわけないでしょ? 時折、弥之くんの寝顔を覗きにベッドに潜り込むかもしれないけど……」
「「それがいけないんです!」」
有栖と彩花は見事なまでに声をハモらせツッコミを入れた。
そんな経緯もあり、香那恵は渋々と彼女達と同じ部屋で泊まることになる。
ちなみに、唯織先輩も同室するとのことだ。
「うわっ、やべえ! このベッド、超ふかふかだわ~!」
宿泊部屋にて。
僕は広々としたベッドで大の字になる。
寝室部屋には同じタイプのベッドが二つ並んでおり、ホテル部屋のような配置だ。
たとえ三人だろうと、ベッド同士くっつければ余裕だ。
「美玖、お前も寝てみろよ。これ、やばいぞ~!」
きっと今の僕って、あれだけ鬱陶しかった中学の頃の修学旅行より、遥かにテンションを上げていると思う。
「う、うん……今はいい」
美玖は身体をもじもじとさせながら、僕をじっと見つめている。
気のせいか、ほんのりと頬が赤い。
「どうした?」
「……お兄ぃ、変わったなって」
「まぁね。いつまでも以前のままなら、生きていけない時代だからね。でも僕だけじゃない、みんなだってそうだろ?」
「うん……でも、私が言いたいのはそういうことじゃなくてね」
「ん?」
「……頼もしくてカッコよくなったと思うよ」
「そ、そう?」
「うん、だからお姉ちゃん達も慕っているんだなって思って……」
恥ずかしそうに美玖は言ってくれる。
しっかり者の妹に「頼もしくてカッコいい」なんて初めて言われた。
やばっ、兄として結構嬉しいんだけど!
(だから、お姉ちゃん達が羨ましい……だって堂々と、お兄ぃにアプローチできるし)
しかし、美玖の本心は別にあることを僕は知らない。
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