第90話 次なる目的地へ




「きゃぁぁぁぁぁ!」


 悲鳴が聞こえ、再び周囲が騒然とする。


 僕達が目を向けると、谷蜂が血塗れになった右腕を押さえ立ち上がっていた。


「……僕は医者だ……名医だ……誰よりも偉いんだ……」


 意味不明なことを呟き、ふらふらと歩き出している。

 床に転がっている、『抗体血清ワクチン』が入ったクーラーボックスを無視して階段の方へと向かう。


 僕達は谷蜂の後を追ってみる。

 また妙なことを考えているなら、次こそは射殺しなければならない。


 その覚悟さえ過らせながら。


 しかし、谷蜂は上の階に昇らず下へと降りて行く。

 階段のない場所は梯子を使わず、そのまま一階へと飛び降りて倒れ込んだ。


「ぐ、ぐぅ……僕は医者だ……医者なんだ」


 先程から盲目にずっと、そればかり呟いている。

 薬物による影響なのか、それとも傷の痛みなのか。

 まるで幻覚を見ているかのようだ。


 谷蜂は起き上がり、出口の方へと向かう。


 こいつ、まさか、このまま逃げる気か!?


「谷蜂ぃぃぃ!」


 僕も一階に飛び降りて着地する。

 そのまま狙撃M24ライフルを構え、谷蜂の背中に標準を合わせる。


「少年、奴のことはもう放っておけ! ラリった状態であの傷だ! どうせ一人じゃ生きられない!」


「……はい。それもそうですね」


 竜史郎さんに呼び止められ、僕は溜息を吐きながらライフルを下ろした。

 あんな奴を射殺して嫌な思いをするのも、まっぴらごめんだ。

 谷蜂はゆっくりとした足取りで出口を抜けて行く。


こうして『安郷苑』から姿を消した。




「――助けてもらって感謝する。結局、あんたらには迷惑ばかりかけてしまった」


 それから、一階のロビーにて。


僕達は自警団のリーダーである佐伯さんから感謝される。


「別に構わない。しかし、そっちも仲間を失って残念だな」


「ああ、門脇達のことか? これまで余罪もあるし自業自得といえばそれまでさ」


「……そうか。まぁ軍隊でも規律違反は厳しく罰せられたからな。社会的共同体コミュニティを維持させるためにも、そういうドライな考えも必要なのだろう」


 竜史郎さんは軽く流し、葉巻を取り出して一服する。

 なんでも勝利後のゲン担ぎらしい。


「兄さん、引き継ぎ終わったわ」


 香那恵さんが百合紗さんを連れて歩いてくる。


 僕の身体から採取した『抗体血清ワクチン』は、今後は百合紗さんが管理するようだ。

 彼女は介護員であり医療従事者じゃないが、今の時代では資格云々言ってられないので、香那恵さんから保管の仕方から注射の打ち方まで教えられている。


 今後、この施設で人喰鬼オーガに噛まれた際は対応できるようになったというわけだ。


「約束通り、俺達がワクチンを持って来たことは伏せてほしい。まぁ言ったら言ったで、現物を所持している、あんたらが狙われる羽目になるけどな」


「わかっている。きっとまだ『禁断の果実』みたいなモノなのだろう……本来なら俺達の手に余る存在なのかもしれない」


「だからと言って国に託すなよ。存在自体が、まだ『ブラックボックス』だ」


「わかったよ……にしても、久遠さん。あんたは本当に慎重だな。用事とやらが終わったら、また立ち寄ってくれ」


「……検討する」


 竜史郎さんは気恥ずかしくなったのか、瞳を隠すように黒の風船帽スキャットを被り直した。


 皮肉な話、不審者達が一掃されたことで、不信感を抱いていた互いの関係が少し緩和されたような気もする。



「こちらの準備はできました。久遠さんに皆さん、行きましょう」


 水戸巡査が呼び掛けてきた。


「すまんな、無理言って……協力感謝する」


「いえ……林田巡査の意向でもありましたから」


 警察嫌いな竜史郎さんでさえ、流石に畏まっている。


 水戸巡査は施設の人達の協力の下、亡くなった林田巡査を埋葬し別れを告げてきたようだ。

 そして、僕達のために自ら西園寺邸まで先導してくれることになった。

 彼女の身になれば、本当はそれどころじゃないだろうに……。



 こうして僕達はワゴンに荷物を積み、車に乗り込むだけとなった。


「美玖、行くぞ」


 僕は友達に別れを告げている妹を呼んだ。


「わかったよ、お兄ぃ。じゃあね、ナオちゃん……待たね」


 美玖は、涙を浮かべて手を振る親友を背に、こちらへと走って来た。


 ナオちゃんの隣には両親が立っており、僕に向けて深々と頭を下げている。

 谷蜂から助けたことに感謝してくれているようだ。


 僕も人喰鬼オーガから美玖を助け庇ってくれた恩もあり、車内の窓から顔を出して一礼した。


「お兄ぃ、ナオちゃんが、やっぱりお兄ぃも勇敢でカッコ良かったって~」


「別れ際になんて話をしているんだ……まったく」


 小学生の癖にっと思いながら、まだ乗車していない有栖に視線を向ける。


 有栖は母親である百合紗さん話した後、何故か佐伯さんに呼び止められていた。

 彼女は軽く頭を下げて見せると、黙って車内に乗り込んだ。


「佐伯さんと何を話していたの?」


「うん……『お母さんのことは自分に任せてほしい』って」


 珍しく腑に落ちない表情を浮かべ、有栖は答えた。


「そう、何か意味深だね」


 確か、谷蜂が『佐伯さんは百合紗さんに気がある』って言っていたからな。

 百合紗さんの気持ちはわからないけど、佐伯さんとしては娘である有栖に公認してもらいたかったのかもしれない。


「……私、お父さんいらないもん」


「え?」


「なんでもないよ……お母さん、ミユキくんのこと誠実で良い人だって褒めてたよ」


「ほ、本当……なんだか恥ずかしいなぁ、でも嬉しいかも」


 なんか僕こそ親公認って感じ。


「えへへへ。私だってお母さん以上に、ミユキくんのことそう思っているんだから……」

「え?」


「なんでもない。これからもよろしくね、ミユキくん。それに美玖ちゃんも」


 有栖は機嫌が良くなったのか、普段通りに可愛らしく優しい微笑を浮かべる。


 僕も微笑みを返しつつ、有栖に対してこれまでとは違う感情を持つようになっていた。


 少し前まで、清楚で彩色を備えた学園を代表とする美少女。

 まるでアイドルのような遠い雲の上のような存在。


 ずっと、そう思っていたけど、最近じゃ親近感を覚えてしまう。


 有栖も年頃で普通の女の子なんだなって……とても身近な存在のような。

 考えて見れば、僕の家と環境も似ているっぽいし……。


 このまま一緒に過ごすことで、もしかしたら僕にもワンチャンあるかも……。


 今のところ、友達としていい感じであるわけだし……いや、流石にないか。

 自惚れすぎて勘違いして地雷を踏まないようにしょっと。


「……こうして、また鼻の下を伸ばしてキモくなるセンパイであった」


「ムッツリというやつだな」


「また後でワクチンを採取しなきゃね、弥之くん」


 他の女性陣がまたいちゃもんをつけてくる。

 しかも香那恵さん、ワクチン採取って……また僕の血を抜く気満々じゃん。


 にしてもいちいちなんだろう?

まさか僕の心が読まれているのか?

 それとも何かしら顔に出していただろうか?


「やっぱりお兄ぃ、変わったね……モテ期とかそんなレベルじゃないよ。神っているってやつ?」


 妹よ、神っているって何よ。

 本当にそうだったら、舞い上がり過ぎて気絶しちゃうから変なこと言わないでくれる?

 これだけの美少女達に囲まれているだけに……それなりに自制だってしているんだ。


 もう、いいや。

 関わると、かえってイジられるだけだし無視しておこう。



「よし、出発するぞ。準備はいいな?」


 水戸巡査の打ち合わせが終わり、竜史郎さんは運転席に乗り込んだ。


「そうだ、妹。いや、美玖と呼ぼうか? 仲間になった証にこれをやろう」


 竜史郎さんは足首アンクルホルスターから小型拳銃を取り出し、美玖に渡した。

 身体の色々な部位に拳銃を隠し持っている人だ。


 その拳銃は、ワルサーPPK。

 ドイツ製で向こうの国の警察が愛用する小型拳銃らしい。


 小学生の妹になんちゅうもんを……と言いたいが、今の世界なら持っていて損はないよな。

 それに美玖は有栖達と同じ強化されている。

 さっきの谷蜂との戦いといい、竜史郎さんから戦力として見込まれたようだ。


「ありがとうございます。お兄ぃ、私、撃ち方わかんな~い」


「後で教えるよ。オモチャじゃないんだから大事にポケットにしまっておけよ」


「わかったぁ」


 相変わらず素直で可愛い妹だ。

 彩花じゃないけど、本当に僕の妹かよって感じ。


 だから余計に、美玖がどのような存在であろうと、僕にとって大事な妹であり家族だ。


「じゃ、行くぞ。いよいよ西園寺邸だ――」


 ワゴン車は動き出した。


『安郷苑』のみんなに見送られる形で、僕達は目的地へ向かった。


 そこに得体の知れない『何か』が待ち受けているとも知らずに――






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