第89話 レッドライン




 ――これは僕の甘さが招いた痛恨のミスだ。


 谷蜂を撃つことに躊躇してしまったから……。


 林田巡査は撃たれてしまった。



「林田巡査、しっかり!」


 三浦巡査は、床に倒れる彼に近づく。


 前方にいた一般市民ギャラリー達は悲鳴を上げ、真っ二つに別れて逃げて行く。


 そして僕は狙撃Ⅿ24ライフルを構え、谷蜂も散弾銃イサカⅯ37を構える。

 互いに対峙した膠着状態だ。


 光学標準機スコープ越しの視界からでは、林田巡査がどうなったのか状況がわからない。

 ずっと三浦巡査が呼び掛ける声だけが聞こえている。



「――谷蜂ぃ、動くな!」


 僕の隣で、竜史郎さんも『自動拳銃ハンドガン』を抜き構えていた。

 有栖や唯織先輩も見習う形で揃って銃を向ける。

 

 一見して、仲間がいる僕の方が優位な状況だが、この場合はそうとも言い切れない。

 現に竜史郎さん達は谷蜂を撃つことができないでいる。

 

 おそらく、こうして銃口を向き合いながら対峙している僕が真っ先に撃たれてしまうことを懸念しての行動だ。


 距離は離れているも、散弾銃ショットガンは攻撃範囲が広い。

 まともに撃ち合うのは危険すぎる。


 したがって、あくまで威嚇と牽制であった。


 そんな心理戦が働いたこともあり、周囲は異様な空気と静寂で均衡が成り立っている奇妙な状況が、しばらくの間続いている。


 最初に竜史郎さんが口を開いた。


「――香那恵、ゆっくりと動き、林田の様子を診てやってくれ」


「わかったわ、兄さん」


「香那恵君、その必要はないね! 正確に心臓を撃ち抜いたんだ! んなのバカが見ても即死だと診断しちゃうよ~~~ん、ウヒャハハハハハハ!!!」


 谷蜂は散弾銃ショットガンを向けたまま、醜い形相で嘲笑う。


「ふざけるな、谷蜂ぃ! このまま頭を撃ち抜いてやる!」


 その挑発めいた態度に、僕は怒りが沸点まで湧き上がる。


「やってみろよ、小僧! その距離からライフル弾で撃てば間違いなく、僕の天才的な脳みそがぶちまけられ即死するだろう! それ以前に、僕が先に引き金を引くという選択肢もある! 人殺しにびびって、指先を震わせるお前なんかより正確になぁ! ギャハハハハ!」


 クソッ、こいつ! 僕が躊躇しているのを見透かしやがって!


 谷蜂は既に四人も撃っている……生身の人間を。

 おまけに自ら薬を打ち、精神状態が高揚した状態。


 今の谷蜂は迷わず引き金トリガーを引き、撃たれることも厭わない。


 その差が、この状況として表れているのか。



「……美玖ちゃん」


 不意に谷蜂の背後から、美玖の友達である『ナオちゃん』が人混みを分けて姿を見せる。

 おそらく僕の背後にいる妹を見かけ、心配して出てきたのだろう。


 けどタイミングが悪すぎだ。


「出て来ちゃ駄目だ!」


「ナオちゃん、下がって!」


 僕と美玖が呼び掛けに、谷蜂はニヤっと不気味に笑った。

 銃を構えた体勢のまま退して行く。

 背後にいた一般人達は「ひぃっ!」悲鳴を上げ左右に分かれて離れた。

 

 結果、ぽっつんとナオちゃんだけが独りになってしまう。


「は~い、人質ゲットだぜ~♪」


「きゃあ!」


 谷蜂はナオちゃんに近づき、左腕を伸ばし小柄な彼女を抱きかかえた。


「谷蜂ぃ!」


「おっと、見てわかんな~い? 形勢逆転だよ~ん! 撃ちたきゃ、どうぞ。もれなく、この子も死んじゃいま~す!」


 この野郎、ふざけやがって!


 僕は狙撃M24ライフルを構えたまま前に踏み込む。

 少しでも近づけば、より正確に狙撃ができるだろうと考えた。


「落ち着け、少年。人質をとることが必ず有利な展開に運ぶとは限らない。特に微妙なバランスで膠着した、この状況下ではな。必ず奴の隙ができる……それを待て!」


 隣で竜史郎さんが忠告し、僕は踏み留まる。

 冷静さを欠いた安易な行動が、より最悪な事態を招きかねない。


 竜史郎さんが普段しているように経験による確証を持って行動を起こさないと……。


 僕にとって『師』とする彼の言葉に従った。


 光学標準機スコープを覗き、谷蜂のある箇所に狙いを定め、その時を待つ。

 

 すると、意外なところから機会チャンスが巡ってくる――



「ナオちゃんを離せぇ!」


 美玖が駆け出したのだ。

 

 ――しかも速い!


 まるで、有栖達を彷彿させる脚力だ。


 ……そうか。


 美玖も『黄鬼』から、僕の血液を投与することで人間に戻ったんだ。

 だから身体が強化され、より攻撃性が出ている。


 けど、同じ条件で人間に戻った水戸巡査は普通だったぞ。

 どういうことだ?

 美玖や有栖達と何が違うってんだ?


「小娘が!」


 谷蜂は容赦なく、右手に持つ散弾銃ショットガンを発砲した。



 ――ドン!



 突き抜ける銃声と共に床の一部が粉砕され、そこから白煙が上がる。


 しかし、その箇所に美玖の姿はなった。


「バカな! 消えただと!?」


 谷蜂は美玖を見失っている。


 実は既に谷蜂から左側の方に素早く回り込み、小柄な体形を活かし死角へと逃げ込んでいたのだ。


 それにしても、相当な俊足だ。

 スピードだけなら、同じ強化された有栖や彩花や唯織先輩以上じゃないか?


 僕でさえ、こうして離れて見てなければ気づけないかもしれない。

 ましてや薬物でラリっている谷蜂なら尚更だ。


「えぇぇぇい!」


 美玖は突進し、谷蜂の左脇腹へと頭突きをする。

 バキィッと肋骨が折れる音がここまで聞こえた。


「うぐぅ!? こ、このガキがぁぁぁ!」


 谷蜂は顔を顰め、左腕で抱きかかえるナオちゃんを離した。


 ――好機チャンスだ!


 僕は迷わず、引き金トリガーを絞った。



 ダァァァン!



「ぐわぁぁぁっ!」


 ライフル弾が、谷蜂の右上腕部を撃ち抜いた。

 

 悲鳴と共に着弾した部位から血が飛び散り、散弾銃ショットガンを落として滑る形で床に転がっていく。


 この距離での狙撃だ。

 きっと上腕骨を砕いたに違いない。


「いっでぇぇぇ! こんちくしょうがぁぁぁぁぁ!!!」


 谷蜂は右腕を押さえながら、その場で蹲り痛みに悶えている。

 あの腕では、もう銃を撃つことはできない。

 とりあえず無力化には成功した筈だ。


「ナオちゃん、大丈夫!?」


「うん、美玖ちゃんありがとう!」


 美玖はナオちゃんに抱擁し、お互いの無事を確かめ合っている。


 その光景を見て、僕はほっと胸を撫で下ろした。

 良かった、本当に……。


「見事だな、少年。あえて頭部を狙わなかったのは、少年らしいが……まぁ、いいだろう」


 竜史郎さんは奥歯に物が挟まった言い方をしつつ一応は褒めてくれる。


 確かに谷蜂はどうしょうもない男だ。


 けど、やっぱり僕は人間を殺めることはできない。

 いくら荒廃の世界で法や秩序が崩壊しようと、そこだけは越えてはならないレッドラインだと思っている。


 けどもし……大切な仲間の身に危険が及ぶのなら。


 その時こそは――



「林田巡査! どうか目を開けてぇぇぇ!!!」


 三浦巡査は、林田巡査を抱きかかえて必死で呼び掛けている。

 香那恵さんが近づき、彼の頸動脈に指を添えて残念そうに首を横に振るう。


 どうやら即死らしい。


 無理もない至近距離で散弾を心臓に浴びたのだから……。


「彼、自分の命に代えてでも、三浦巡査……貴女を守りたかったのね。私にはそう見えたわ」


「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ――……」


 香那恵さんの言葉に、三浦巡査は嗚咽を漏らして泣き崩れる。


 きっと林田巡査は以前から、彼女のことが好きだったのだろう。

 案外、恋人同士だったのかもしれない。

 昨夜の態度から、鈍い僕でさえ薄っすらとそのことに気付いていた。


「可哀想、いいお巡りさんだったのに……」


「そっだね……ガチで残念」


「悲しいが、これが現実っというやつだな」


 有栖と彩花と唯織先輩が林田巡査に向けて呟いている。

 僕も彼女達に同調し頷いた。


「嬢さん達の言う通りだな――しかし疑念も残る」


「疑念って? 林田巡査に対してですか?」


 僕の問いに竜史郎さん首を横に振るう。


「違う、三浦という女警察官にだ。彼女は何故、妹や嬢さん達みたいに能力が発現しない? 『黄鬼イエロー』になり、少年の血を体内に入れたにもかかわらずにな」


 どうやら竜史郎さんも僕と同じことを思っていたようだな。


 けど、この場でいくら考えても答えが出る筈はない。


 その謎を解くためにも、僕達は先へと進むしかないのだ。






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