第88話 谷蜂の逆襲
凄惨な光景に、周囲から悲鳴が木霊していた。
谷蜂が発砲した先に、一人の男が倒れており床一面に大量の血が溢れている。
躊躇なく胸の中央を貫かれており、明らかな即死であった。
だけど、どこかで見覚えのある男だ。
……こいつは確か、竜史郎さんの跡をつけていた男の一人じゃないか。
「門脇ぃぃぃ!?」
仲間と思われる男の一人が苗字を叫ぶ。
もう一人の男と共に腰を抜かし床に座り込んでいた。
「残るは、有馬と小杉のクズ二人! 医者である僕をコケにした覚悟はできてんだろうなぁ、ああ!?」
谷蜂は銃身のハンドグリップをスライドさせるポンプアクションを行って薬莢を排出する。
何かで調べたのか、やたら手慣れた動作だ。
奴を知る香那恵さんが耳元で「確かあの先生、以前ハワイで銃を撃つのが趣味だと自慢げに話してたわね」と教えてくれる。
またハワイか……あの年齢で『親父』は出てこないだろな?
「わ、悪かった、谷蜂先生! 俺達が悪かったからぁ!」
「返す! ワクチン返すから、どうか許してくださいよぉ!」
よく見ると、男の一人がクーラーボックスを抱きかかえている。
あれは、僕の血液から採取した『抗体
なるほど、そういうことか。
あの三人の男が谷蜂から無理矢理にワクチンを奪い、奴が怒り狂ってパトカーから『
だからって本当に撃つとは……曲りなりにも医師なのに人の命を奪うなんて。
それに谷蜂の奴、何か様子が可笑しくないか?
両目が血走っていて、とても正気とは思えないぞ。
「谷蜂先生、やめてくれ! もう気がすんだろ! そいつら、ワクチンを返すと言っているんだ! もう勘弁してやってくれ!」
自警団のリーダーである佐伯さんが必死に呼び掛けている。
「うっせー! 角刈りがぁ! テメェ、いい年齢して、姫宮(百合紗)にワンチャン狙っているの知っているんだからな! んな熟年リア充なこと、僕が許さないからなぁぁあ!」
え? そうなの? 佐伯さんが有栖のお母さんを!?
だから二人、割と傍にいることが多かったのか……。
「今は、そんな話をしている場合じゃないだろ! とにかく谷蜂先生、銃を降ろしてくれ! 他の住民達まで巻き込むわけにはいかない!」
「いいや駄目だねぇぇぇ! 普段から僕を軽視する連中は全員殺す! 偉大な医者である僕を馬鹿にする奴らを抹殺するぅぅぅ!! するんだよぉぉぉ、ヒャァアハハハハハハッ!!!」
谷蜂は奇声を発し、
「「ぶべばぁ!」」
有馬と小杉と呼ばれた男達は頭部を撃ち抜かれ、血飛沫と共に肉塊が飛び散る。
その凄惨な状況に、周囲からまた悲鳴が上る。
谷蜂は笑みを浮かべ、斃れた男達の亡骸に接近し、さらに二発撃った。
辛うじてクーラーボックスは無事のようだ。
しかし飛び散った血痕は、谷蜂が着用するドクターコートへと降り掛かり、純白の生地が真っ赤に染まっていく。
「ウヒャ、ヒャハハハッ! 僕は神だ! 人の命を救い、奪うことのできる絶対の神ッ! 愚民どもよぉ、神の前に跪づけぇぇええええ! ヒェェェェェェェェェェェイ!!!」
谷蜂は発狂し、銃口を佐伯さんへと向けた。
「やめてくれ、先生! 俺は関係ないだろ!」
佐伯さんがいくら制止を呼び掛けても、谷蜂は応じることはない。
舌を出し、唾液をまき散らせながら怯える様子を楽しんでいる。
まるで
「……あの様子。谷蜂の奴、気を紛わせるために自ら薬を打っているな」
「薬ですか?」
竜史郎さんの言葉に、僕は聞き返す。
「そうだ。どんな薬なのかは知らないが、きっと精神を高揚させる麻薬系に違いない。大方、笠間病院からくすねてきたんだろう。今の奴は最高にハイッてやつだ。普段もああいう性格の奴だからな。今なら余計、何を言っても通じる筈がない」
「だとしたら、どうします? このままだと被害者が増えるばかりです」
「俺達が出来ることは二通りある。一つは少年の
「ええ、まぁ……」
けど、僕は人を撃ったことはないんですけど……いくら谷蜂が相手だからって。
周囲にはギャラリーだっていっぱいいるし……。
「気が引けるなら俺がやってもいいがどうする?」
「うっ、いえ。それで……もう一つの方法とは?」
「弾切れを待つ。イサカⅯ37の装弾数は7発だ。かれこれ5発は撃っているから、残りは2発。マガジン式じゃないから、リロードには時間を要する。見たところ、こなれた感はあるが、俺からすれば素人の領域。マニュアル通りの技術しか持っていまい」
「その隙に谷蜂の動きを制するってことですね?」
「ああ、その通りだ。射殺することなく再起不能にもできる」
一見して無難そうだけど、残り2発ってことは少なくても二人の人間が犠牲になるかもしれない。
なら……。
「――僕が狙撃します! これ以上、犠牲が増えるのは容認できません!」
僕は肩に掛けてあった
美ヵ月学園でも一発も外したことはないので集中すれば大丈夫な筈だ。
この距離なら絶対に外さない。
だけど、生きている人間を撃つ――
そう思っただけで指先が震えてしまう。
まだ、以前の倫理観が捨てきれないでいる。
――いや、捨てたくない自分がいる。
こんな世界になってしまったからこそ……捨ててはいけないような気がした。
「じゃあ! 佐伯ぃぃぃ! 神である僕のために薄汚い命を捧げておくれ~~~! ヒャハハハハハハ!」
「やめろぉぉぉ!」
――駄目だ! やるしかない!
これ以上、犠牲者を出すくらいなら、僕は撃つ!
グイッとトリガーを絞ろうとした。
その時だ。
「谷蜂ぃ! そこまでよ!」
三浦巡査が佐伯さんの前に立ち拳銃を抜いて構えた。
「んだぁ? 女警官が! 神である、僕に歯向かうのか~、ええ~?」
「これ以上の暴挙は警察官として見過ごせません! 大人しく銃を降ろしなさい!」
物静かな女性のイメージがあったけど意外と勇敢なところがあるらしい。
けど三浦巡査……確か『黄鬼』になって、僕の血液を摂取されていたよな?
だから、ああして人間に戻っている。
――なのに、どうして普通なんだ?
有栖達のように強化された傾向が見られないんだ?
よく見ると、拳銃を構える手も目立つほどに震えている。
あれじゃ撃っても当たらないかもしれないぞ。
「役立たずの税金泥棒であるポリ公の分際で図に乗ってんじゃねぇぞ! テメェらとは違う医者の偉大さ見せてやんよぉぉぉ!! 地獄で懺悔しろぉ、ウッヒョーッ!!!」
薬物で精神が高揚している谷蜂は一切の迷いなく、三浦巡査に銃口を向ける。
「三浦ぁぁぁ!」
瞬間、林田巡査が叫び人混みを掻き分け走り出した。
しかし、三浦巡査を庇うのではなく拳銃を握りしめて、谷蜂の下へ疾走する。
谷蜂からすれば、それは奇襲攻撃に見えるたことだろう。
僕は
だが林田巡査の背中に塞がれ、
「糞がぁ! だからポリ公は嫌いなんだよぉぉぉぉ!!!」
――ドウォォォン!
銃声が響き、視界から林田巡査の姿が消える。
その銃口から薄っすらと煙が上がっていた。
「――いやぁぁあ! 林田巡査!?」
三浦巡査が悲鳴で、何が起こったのか察する。
クソッ、なんてこった!
林田巡査が撃たれてしまった。
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